●文献の読み方

 文献が手に入ったら、さっそく読んでみるわけですが、このとき、いくつか注意
 すべき点があります。

  1)論文を書く側の立場で読む
    まず大事なのは、論文を書く側の立場で読むことです。例えば、小説を読
    むときには、普通は楽しみ(エンターテインメント)として読むのであって、ど
    うやったらこんな風に書けるのだろうかとか、ここのプロットをさらにこうすれ
    ば効果的だなどと考えながらは読まないと思います。

    しかし、今回は卒論を書くために論文を読むわけですから、どうやってこの
    論文を書き上げたのだろうかということを、心のどこかで意識しながら読む
    必要があります。

  2)論文の全体的な構成を考慮しながら読む
    これは、1)の具体的な実践の一つになりますが、論文全体が、どのような
    構成で書かれているかを見極めるように読むことが必要です。まず、全体的
    な章立ての配分はどうなっているかを見ます。具体的には、「一、二、三…」と
    節(章)が分かれているはずですが、その分量がどうなっているかを見ます。
    基本的には、「一」の「はじめに」などを除けば、各節はなるべく等量であるこ
    とが望ましいのですが、戦略として、わずか2〜3行で節を終えているといっ
    た場合も見受けられます。これは、その節を効果的に(視覚的にも)示そうと
    いう意図によるものです。そのようなところも見極めていく必要があります。

  3)結論から先に読む
    小説を、結末を先に読んでから、冒頭に戻っておもむろに読みはじめるなど
    という人はまず、いないはずです。推理小説など、犯人が先にわかってしま
    っては、読み進めていく楽しみが9割方なくなります(もちろん、倒叙式の推
    理小説は、「刑事コロンボ」などそのいい例でしょうが、読者に犯人が先にわ
    かるようになっていますけれども、これは特殊な場合です。それでも、コロン
    ボが最後どう追い詰めるのかを先に読みはしないでしょう)。

    しかし、卒業論文を書くために読むという場合は、まず結論を読み、それか
    ら2)で言ったことを考えながら、それぞれの節(パーツ)が最後の結論に対
    してどのような関係を持っているのかを意識して読む必要があります。読む
    途上で、ははあ、これがあの結論を導くための伏線か… などと見抜くことが
    できればしめたものです(何がなんだかわからない結論で、そこに至る構成
    もしっちゃかめっちゃか、というような論文は、少なくとも卒論の作成を学ぶた
    めには役立ちません)。論文のあらゆる部分が結論へと求心的にむかい、論
    文のあらゆる部分が結論へ奉仕しているような論文が見つかったら、それは
    貴重なものを読んだことになります。

    以前、ある企業だったか組織だったかで、あるテーマに関する出題に対して、
    解答者は、表紙に3項目だけの結論を書き、その根拠は、次のページ以下
    に細かく書くという形式でレポートを作成するという文章を見かけたことがあ
    ります。審査者は、その3項目をとにかくざっと見て、これはと思うものを詳し
    く読む。

    書くほうは、その3点をまとめる段になって、自分は一体なにが言いたかった
    んだろうということを強く意識化することになりますし(そのことで、中味が書き
    改められる場合もありうるでしょう)、読むほうも結論から読めるから時間の節
    約になります。この形式のレポートを考案した人は、論文のなんたるかをよく
    知っていた人なのでしょう。

  4)論文の文章の手本になるかを考えて読む
    テンポよく読み進められて、しかも、論がよく頭に入ってくるという場合は、いわ
    ゆる論文の波長が自分に合っているものです。そのような論文をお手本にし
    て、自分の論文の文体を練り上げていくのがいいでしょう。私などの場合は、
    国語学で言えば、大野晋氏の文章がそうでした。大野晋氏の文章は、最近話
    題になった『日本語練習帳』(岩波書店)でもそうですが、「おれがこれから言
    おうとすることはこうなんだっ、なぜそう言えるかというとこれこれこう言うわけ
    だからなんだっ、わかったかっ」という感じの^^;; 明晰さと迫力があります。特
    に、最後に駄目押しで、結論をしっかり繰り返してくれたりする(「わかったかっ」
    の部分)ので、言わんとすることがよくわかります。

    文体は、結局、ずいぶん違ったものになっていますが、文章の明晰さを追求
    するという点は、大野晋氏の文章から、ずいぶん学んだものがあるように思
    います。

    1文の長さという点については、加藤周一氏の文章がかなり参考になりまし
    た。一時期は加藤氏のように、かなり短い1文を連ねていく文章を書いてい
    ました。これも、今ではかなり変容してしまいましたが、だらだら続きそうにな
    ったら、これはいかんと思って切る。そのような態度が自然に身についたよ
    うに思います。

    文体を単に模倣するだけではなく、自分の持ち前の文体をつくる(論文を書
    く場合の)というところまで行ければいいのですが、それはもしかしたら一生
    もののテーマなのかもしれません。