●テーマの 見つけ方・決め方

 〈きっかけをつかむ〉
 テーマは日常にあり、です。本を読んでいるとき、テレビを見ているとき、C
 Dを聞いているとき、あるいは、演習のときに、ふとひっかかったことがらを、
 きっかけにするというのが、もっとも自然で、確実なやり方です。

 例えば、『金色夜叉』を読んでいると、

   「さうねえ、だけれど衆{みんな}があの人を目の敵にして乱暴するので
    気の毒だつたわ。隣合つてゐたもんだから私まで酷い目に遭{あは}さ
    れてよ」
   「うむ、彼奴{あいつ}が高慢な顔をしてゐるからさ。実は僕も横腹{よこつ
    ぱら}を二つばかり突いて遣つた」
   「まあ、酷いのね」
   「ああ云ふ奴は男の目から見ると反吐が出るやうだけれど、女にはどう
    だらうね、あんなのが女の気に入るのぢやないか」
   「私は可厭{いや}だわ」                        (第一章)


 というような会話の場面があります。これは、主人公の間貫一とお宮の会話
 です。どちらが貫一で、どちらがお宮であるかは、一目瞭然でしょう。お宮の
 会話には、当時の女性語に特有の要素が見られるからです。「〜たわ」「〜
 てよ」「〜のね」「〜だわ」のようなものです。

 このような言い方を調べてみようかな、調べたら面白いかな、というように考
 えてみるのが、まずはきっかけになります。

 〈きっかけをふくらませる〉
 とりあえず、「〜たわ」「〜てよ」のような会話を抜き書きしていってみます。
 それだけ抜き書きしても、ある一定の分量にはなるでしょう。けれども、『金
 色夜叉』における「〜たわ」「〜てよ」を集めただけでは、卒業論文として、
 何か、こくのないもののような気がします。しかも、お宮は、下女に対すると
 きには、

   「さうして奥のお鉄瓶{てつ}も持つて来ておくれ。ああ、もう彼方{あちら}
    は御寝{おやすみ}になるのだから」               (第四章)


 のように、貫一に対するときとは随分違った言い方になることにも気づきま
 す。そして、貫一が帰ってくると、

    「あら、貫一{かんいつ}さん、こんな所に寐ちや困るわ。さあ、早くお上り
     なさいよ」                               (第四章)


 という言葉遣いになるのです。ここで、同じ命令でも、下女には「〜ておくれ」
 と言い、貫一には「〜なさいよ」と言っていることにも気づきます。そうすると、
 お宮という視点を一定にして、誰に対してどういう言い方をするのかというふ
 うに広げることができるのではないか、という考えが浮かんできます。

 これで、少しふくらみがでました。しかし、そこまでくると、それなら貫一はどう
 なんだろうか、貫一は、相手によって言い方を変えるのだろうかということも
 気になってきます。さらに、もっと一般的に、女性から女性へ、女性から男性
 へ、男性から女性へ、男性から男性へ、という場合ごとの言葉遣いを、年齢
 差ともからめて考えるとどうなるんだろう、というふうに広がりができます。

 これで、かなり卒業論文らしくなってきました。分量的にも、まあまあ書けそう
 です(ちなみに、規定枚数は、400字詰原稿用紙換算で50枚以上となって
 います)。

 さらに、現代の小説ではどうなっているのだろう、とか、明治時代の前の江戸
 時代ではどうなのだろうか、などと考えていくと、さらにふくらんでいきます。

 ある小さなことをきっかけにして、卒論らしくふくらませていく、というのが基本
 になります。

 (注)『金色夜叉』のテキストは、青空文庫のものによりました。ただし、振仮
    名の記号を変え、振仮名を削除した箇所があります。

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