●「〜中」という言い方

家から駅へ行く途中に、大きな犬を飼っている家がある。その犬小屋の脇に
張り紙がしてあって、「体調不良中なので、餌をやらないで下さい」と書いてあ
った。

「体調不良中」という言い方は、いかにも奇妙な言い方のようにも思われた。

で、その時思い出したのは、「故障中」という言い方である。「故障中」という
言い方がおかしいという人がいるらしい。というのは、「故障」というのは瞬時
に起こることなので、それを「〜中」という継続の表現をとるのはおかしいとい
うのである。

そうなると、同様に、瞬時に起こるできごとを表すような単語に「〜中」を付け
るのは変だということになる。「死亡中」「骨折中」「追突中」… なるほど、確
かに変である。ただ、例えば、ぐっすり眠り込んでいる人間の頭の上に「死亡
中」などと書いた紙をいたずらで置くなどというのは考えうることだし、もう何も
考えたくないときに来たメールに、「昨日、完徹で、今、のうみそ死亡中だから、
今日はかんべんしてっ」などと返信する場合もありうるかと思う。

しかし、「体調不良」は瞬時に起こることではないから、「〜中」を付けても問
題ないはずである。それなのに、なぜ違和感を感じたのか。ここで、「勉強中」
「工事中」「手術中」…と並べると、「〜中」の前に来るものは行為性のもので
あって、状態性のものではないという特徴があるようにも思われる。「不満中」
「安心中」「動揺中」…と並べてみると、やはり変で、「〜中」の前に来るのは
行為性の名詞であるという考えは、妥当なように思えてくる(そう考えてくる
と、「故障中」がおかしく思えるという人の中には、「故障」は状態を表すもの
で、行為を表してはいないということをその理由として挙げる人もいるかもし
れない)。すなわち、ある行為が持続している状態を表すのが「〜中」という
ことになろう。

ただ、しかし、それでは、なぜ「体調不良中」という表現をとったのであろうか。
「〜中」という言い方を考えてみると、その「〜中」のことがらが、一時的なも
のであって、以後変わりうるというニュアンスがあるように思われる。「勉強中」
とは、現在は勉強しているが、いつかは止めことを含意しているし、さっきの「死
亡中」というものも、いつか終わるときがくる、いつもはそうでないこともある、
というニュアンスを伴っているように思う。

そうすると、「体調不良中」とは、体調がいいときもあるのだけれども、今は体
調が悪い状態であり、今後回復する可能性がある(だから、体調回復に悪影
響を及ぼすかもしれない、餌はやらないでほしい)、というメッセージなのであ
ろう。それに思い至ったとき、「体調不良中」という言い方には、体調回復への
飼い主の無上の祈りを見る思いがして、老犬で「ピグ」という名らしいその犬の
体調回復を、私もまた祈ったのである。

今日、ピグの犬小屋の前を通ったら、花が瓶に活けてあった… 体調回復は
叶わなかったようである。まことに残念でならない。(2002.09.09補記)