●あと何をしていたらいい?

 高校時代から国語学(日本語学)に興味を持ってくれるということは、大いに
歓迎すべき、嬉しいことなのですけれども、一方では、高校時代には、やはり、
高校時代にやっておかなければならないことを、クリアしておいて欲しいという
のもいつわらざる気持です。

 まず、時間的な制約があるということは重々承知しつつも、本をよく読んでお
いて欲しいと思います。例えば、面接などで「今までで感動した本は何ですか?」
と聞くと「漱石の『こころ』です」とよく返ってきます。しかし、よく聞いてみると、そ
れは教科書に載っているもので、しかも、その一部のところだけを読んでいるに
すぎなかったりします。このような経験はこちらも重ねているのだということを踏
まえて、「教科書だけでは足りないと思ったので、全部読みました。すると、こん
なことに気づきました。それは…」ぐらいのことは言って欲しいのです。

 その際、できれば、振仮名のきちんと付いている本を選んで読んで欲しいとも
思います。古い本だと、結構振仮名(ルビともいいます)が付いているものがあ
ります。そのような本は図書館の片隅に追いやられていたりしますが、それを
見つけだして欲しいのです。というのは、例えば、現在、漱石の小説は文庫本
では現代仮名遣に直されて、一見読みやすくなっているのですが、それだけ
に、本当はどう読んで(音読しようとすると)いいのか分からないままに、文字
づらを追って、意味だけは取ってしまっているという状態になっているからです。
例えば、最近「世界に冠たる」の「冠」をどう読むのかという質問に遭いました。
「冠」のわきに「かん」と振仮名の振ってある本を読む経験を積んでいれば、
問題なく読めるはずのものです。振仮名が振ってある本なんて、幼稚で… な
どと馬鹿にしたものではないのです。これが、結構知識の源になるのです。

 そういえば、昔の子供向け漫画本には、ことごとく振仮名が振ってあって(本
文の記事などにも)、私など、それでかなりの漢字の読み方を覚えたような気
もします(私の大学の同級生に、自分の知識はすべて漫画から得たものだと
豪語する人がいるのですが、極端な言い方かもしれませんけれども、一面の
真実は突いているようにも思えます:我々の世代は、親から漫画ばかり読ん
でいるんじゃない、とか、漫画ばかり読んでいると頭が悪くなるとか叱られた
世代なのです)。

 ところで、国語学(日本語学)関係の本としてもお勧めのものとして、今回は
高田宏『ことばの海へ』(新潮文庫:現在は、岩波同時代ライブラリー所収)
を挙げておきましょう。これは、日本初の近代的な辞書である『言海(げんかい)』
を編集した大槻文彦(おおつき・ふみひこ)の物語です。幕末の動乱を生きぬき、
明治の新時代に、世界に冠たる…、とまではいかなくとも、世界の中でひけをと
らない辞書を作ろうとした苦心が描かれています。中で、お父さんが死刑になり
そうだというので、江戸から仙台へ心配しながら急ぐ場面、家の中に次から次へ
と病人が出て、しかし、それにもかかわらず辞書の仕事を予定通りに進めていか
なければならない辛さ、切なさの描かれた場面は、印象に残るのではないかと思
います。