◎加藤弘之年譜

1836(天保7) 6.23  但馬国出石藩士加藤正照長男として生まれる
           幼名土代士(とよし)・弘蔵
1845(弘化2)    藩校弘道館に入る
1852(嘉永5)    江戸に出る 甲州流兵学を学ぶ 佐久間象山に入門
1854(安政1)    坪井為春に蘭学を学ぶ
1860(万延1) 3.   蕃書調所教授手伝となる[24歳]
          洋書を読み天賦人権説に共鳴する
          幕命によりドイツ語を学ぶ(日本で初めて)
1862(文久2)11.   結婚[26歳]
1864(元治1) 8.   幕府直参となる、開成所教授職並
1868(明治1)    春、『立憲政体畧』刊行
          弘之と改名
1869(  3)    『交易問答』刊行
1870(  3) 7.   大学大丞となる[33歳]
        7.   『真政大意』刊行(天賦人権説に基づく)
       12.   侍講に任ぜられる 洋書進講担当
1871(  4) 7.   文部大丞となる
       10.   外務大丞となる
1872(  5)    ブルンチュリー『国家学』を進講、訳稿を『国法汎論』とし
           て刊行
1873(  6)    明六社の結成に参加[37歳]
1874(  7) 2.   民選議院設立尚早論を『日新真事誌』に掲載
1875(  8)    『国体新論』刊行
1877(  10) 2.  東京開成学校綜理となる[41歳]
         4.  東京大学法理文三学部綜理を嘱託される
1879(  12) 1.  東京学士会会員となる[43歳]
        11.  「天賦人権ナキノ説并善悪ノ別天然ニアラザルノ説」を
           講演し(於、芝青松寺)、進化論により天賦人権説を
           否定
1881(  14) 7.  東京大学綜理となる[45歳]
        11.  『真政大意』『国体新論』絶版届、販売禁止(『自然と
           倫理』 補遺第一)
1882(  15) 9.  『人権新論』を刊行し、天賦人権説を攻撃、矢野文雄・
           植木枝盛らから批判をうける
1886(  19) 6.  東京学士会院会長に選ばれる[50歳]
1888(  21) 5.  文学博士[52歳]
1889(  22) 3.  雑誌『天則』を創刊
1890(  23) 5.  帝国大学総長となる[54歳]
         9.  貴族院議院に勅選
          *文科大学長外山正一とはかり、上田万年をドイツ留
            学させる。(文献a)
1893(  26) 3.   帝国大学総長を辞任
        11.  『強者の権利の競争』刊行
1894(  27) 2.  『道徳法律之進歩』刊行
1895(  28)   宮中顧問官となる[59歳]
           雑誌『太陽』(博文館)創刊、多く寄稿する
1898(  31)11.  元良勇次郎らと社会学研究会を結成
1899(  32) 1.  『天則百話』刊行
1900(  33) 4.  『道徳法律進化の理』刊行
        12. 『加藤弘之講演会集』刊行
1901(  34)   東京帝国大学名誉教授となる[65歳]
1903(  36)12. 『道徳法律進化の理』増補改定版刊行
1905(  38) 1.  法学博士[69歳]
         6.  帝国学士院初代院長となる
1906(  39)12.  枢密顧問官となる
        12.  『自然界の矛盾と進化』刊行
1907(  40) 9.  『吾国体と基督教』刊行、キリスト教に迷信多しと指摘
1908(  41) 7.  『迷想的宇宙観』刊行
        11. 『新文明の利弊』刊行
1909(  42) 7.  『基督教徒窮す』刊行
1911(  44) 6.  『基督教の害毒』刊行
        10.  『学説乞丐袋』刊行
1912(大正1) 3.  『自然と倫理』刊行
1913(  2)  6. 『国家の統治権』(『自然と倫理』補遺第一)刊行
1915(  4)  5.  『責任論』(『自然と倫理』補遺第二)刊行
        11. 『人性の自然と吾邦の前途』(『自然と倫理』補遺第
           三)刊行
1916(  5) 2. 9  死去、享年80 葬儀は故人の意志により特定の
           宗教の儀式によらずに青山斎場で行われた

【参考文献】
原態:『明治文学全集80 明治哲学思想集』(1974. 6、筑摩書房)所
    収年譜
資料
a 「上田万年先生略年譜」(『国語と国文学』14−12、1932.12)