21世紀のJRA
ギャンブル施設からレジャー施設への転換
堀内正義
柏原耕治郎
有賀誠


はじめに
 われわれ多くの国民のあいだで、「快適なレジャー」として広がりを遂げつつある競馬、その主催者でもあるJRAは、昭和29年の発足以来、実に目覚しい発展を遂げてきた。この発展の背景には、JRAが行ってきた様々な経営戦略の転換によって達成された国民の競馬に対するイメージの変化があると言えるだろう。
 「ギャンブル」から「レジャー」へのイメージの転換、ここでは、このイメージ転換の必然性を発足以来のJRAの経営戦略の歴史の中で検証するとともに、現在置かれている同会の経営環境を分析することで、21世紀の同会のレゾンデートルとその方向を見据えてみたい。尚、本稿では、諸文献、諸統計を参照しながら、平成11年9月9日に同会東京虎ノ門本社で行った独自のインタビューに主に依拠する。

第1章 JRAの歴史と経営戦略

第1節 日本中央競馬会発足の経緯
 昭和11年、競馬法が改正され、これにより全国統一された特殊法人日本競馬会が設立された。これが、現在の日本中央競馬会、JRAの前身ともいえるだろう。
 これより以前にも、もちろん競馬は存在していたが、当時の競馬は、各地に点在する「競馬倶楽部」が個々に行っていたものであった。また、その目的も馬の改良であって、馬券の発売 が行われていなかったため、それほど人気の高いものではなかった。その後、馬券の発売が公に認められ、競馬倶楽部による競馬は次第に波に乗り順調に行われていった。しかし、正しく競馬を発展させるためには、裁決・審判の統一的施行と厳正化、競馬番組の統一的編成、競馬施行体系の統一と改善の必要性が生じた。これらの問題により、前述した全国的に統一された日本競馬会が設立される事になったのである。
 日本競馬会は、昭和11年に発足してから、順調な滑り出しをみせていた。しかし、日本が戦争に突入し、やがて戦局が悪化すると、それとともに競馬は当分のあいだ停止することになった。
 終戦を迎え、その翌年には、ただちに再開された競馬であったが、昭和22年にGHQが、私的独占禁止の見地から,競馬制度の研究と見直し,調査を開始したため、同年,農林水産省は、対応策の検討を進め,国営・公営実現の方針をとることを決定した。これにより、翌23年,新しい競馬法の公布によって,国営競馬時代がスタ?トした。当時、公正に競馬を行えるのは、国以外になかったため、政府は、国営競馬を当分持続する方針を示した。
 しかし、連合軍の占領が終焉を迎えるとともに、国自らが興行的事業を行うのは適当でなく,また予算の運用にも弾力を欠くので,競馬事業の発展のためには施行機関を民営形態に移すべきとの声が高まっていった。
 これに対し、農林水産省は国営競馬から中央競馬への移行を決め、昭和29年に資本金48億7800万円、役職員545名を擁する特殊法人日本中央競馬会を設立したのであった。

第2節 本会発足直後の経営
 昭和29年の日本中央競馬会の発足は、ちょうど日本経済が戦後の復興から繁栄の道程を模索しかけていた頃であり、社会環境が整いつつあった。しかし、競馬場の方はスタンドをはじめ諸施設は大部分が戦前の倶楽部時代に設立されたもので荒廃していた。また、競争資源も乏しかったため、日本中央競馬会のおかれた環境は極めて厳しいものであったと言える。これは、発足してから昭和33年までの4年間、日本中央競馬会が利益なしや繰越損失補填 に苦しんだという。
 そこで、こうした状況を打破するため、日本中央競馬会は2つの方策を打ちたてたのであった。それが、「有馬特例法」と「中央競馬運営方策要綱」である。「有馬特例法」とは、昭和31年から35年までの5年間、毎回2回臨時競馬を開催し、その国庫納付金納付の免除を受け、それを財源としてスタンド・厩舎等の復旧、改築を行うといったものである。これにより、競馬場諸施設の近代化がスタートしたといえるだろう。「中央競馬運営方策要綱」においては、その後における競馬発展の見通しに立って、中央競馬開催の規模の合理化、円滑な運営、経営の改善を図ったものである。
 これら2つの方策は、中央競馬の基礎を作り上げ、その後の競馬発展に大きな役割を果たしたといえるだろう。

第3節 高度経済成長期における競馬
 先に述べた2つの方策により、近代競馬の基礎を作り上げ、大きく発展していった日本中央競馬会であったが、その後に訪れた高度経済成長期には更なる飛躍をみせた。
 高度経済成長期、中央競馬は、国民大衆の爆発するレジャーブームのエネルギーに支えられながら、競馬ブームは醸成されていき、中央競馬はその存在意義を確かなものにしていった。この競馬ブームは、こうした経済的側面や社会的風潮が要因と考えられる。しかし、このブームを支えたもう1つの要因として忘れることができないのが、名馬シンザンやハイセイコーたち、アイドルホース の存在である。このアイドルホースの存在は、競馬ファンを越えた国民的人気を獲得し、第1次・2次競馬ブームの火付け役となったのである。そして、また、アイドルホースたちの存在は、日本中央競馬会の成長のリード役となり、売上金や入場者数の増大をもたらし、中央競馬を国民的レジャーとして定着させた大きな要素であったといえる。

第4節 競馬ブームの停滞
 前節で述べたように、高度経済成長期に日本中央競馬会は、国民のあいだで国営のギャンブルが浸透したということとアイドルホースの活躍により、ファンを拡大し、売上金と入場者数を順調に伸ばしていった。
 しかし、景気が安定し、アイドルホースが不在となると、以前の競馬ブームは一気に沈静化し、売上金は停滞し、入場者数も昭和50年をピークに年々低下していった。この原因として考えられるのが、競馬ブームの高まりにより、競馬場や場外発売所周辺の稠密化現象がおきるという、いわゆる「競馬公害」である。この競馬公害により、競馬は一部の国民から社会的批判を受けることになってしまったのである。当時の社会的風潮より、このような公害問題に対する批判は一層激しさを加えていったため、これが入場者数の低下を招いたのではないかと考えられる。
 また、当時の競馬ブームが、高度経済成長期による景気の波やアイドルホースの存在といった偶発的に起こったことに付随したものであり、日本中央競馬会自身の経営戦略によってもたらされたものでなかったことも原因の1つとして考えられる。そのため、景気が安定をみせ、アイドルホースが不在になると、競馬ブームも沈着し、入場者数の減少が起こるのも当然のことのように見うけられる。
 こうした事態を深刻に考えた日本中央競馬会は、売上金の増加と入場者数の取戻しをするため、画期的な経営戦略を打ち出すことに踏み切ったのであった。それが、昭和59年に行った「ニューブリーズ計画」である。

第5節 ニューブリーズ計画
 昭和50年以降、年々、入場者数が低下していった日本中央競馬会は、この事態を打破するため、昭和59年に「ニューブリーズ計画」を展開していった。
 「ニューブリーズ計画」とは、情報化社会におけるファンのニーズに応えるため、メディアの進展と実状を確実に把握し、従来のファンの固定と新たなファン層の獲得を狙った計画であった。その計画の内容の1つは、大型映像ディスプレイ装置の設置である。この装置は、スタンド内のどの位置からでもレースを迫力ある画面で見ることができるほか、各種のデータをファンに提供するなどファンに大好評を博した。
 そして、2つ目の内容は、映像伝送全国ネットワークシステムの導入である。この中央競馬のニューメディア時代の先駆となったシステムは、開催競馬場からの映像や電算機からの情報を受けて、各競馬場の発売方法に会わせた番組を作成・創出するためのセンターシステムを設置し、一方、各場外発売所においては、センターから送られてくる情報を受信・再生し、モニターテレビに映し出す端末システムを設置するもので、全国の場外発売所の置いて、レース等の詳細な情報が得られるようになった。このシステムは、ファンから好評を博するとともに、サービスの向上と場外発売の売上の増加に大きな効果をあげた。
 これら2つの計画は、ともにメディアとの融合を果たした情報化戦略であるのに対し、3つ目の計画は、大規模なCI制度の実施であった。これは、「ギャンブル」というイメージの抜けきれない競馬をCI制度の実施を行っていくことにより、「快適なレジャー施設」というイメージに転換し、国民に競馬をより身近なものに感じてもらい、新たなファン層の獲得を狙ったものである。その具体的な方策は、レディースデイ の創設やビギナーツアーの開始、シンボルマーク制定、そして、従来の「日本中央競馬会」という呼称から「JRA」という呼称への変更などがあげられる。
 また、JRAは、このように「快適なレジャー施設」としてのイメージを定着させる一方、従来のファンを手放さないために馬番連勝馬券の導入を行い、ギャンブル的要素の強化にもつとめた。このようにして、JRAは、従来のファンも新たなファンも確実なものとしていったのである。
 以上に述べた「ニューブリーズ計画」の3つの内容は、競馬ファンのニーズをしっかりと把握し、それに的確に応えたものであったため、いずれも大きな成果をあげることに成功した。そして、この成功が売上金と入場者数の増加をもたらし、さらに「快適なレジャー施設」としての競馬の地位を確立していったのである。

第6節 現在のJRAと今後の展望
 「ニューブリーズ計画」により成功を収めたJRAは、その後、入場者数、売上金ともに上昇を続け、順調に成長していった。しかし、近年、その成長にも陰りが見えはじめてきた。それが、昭和53年の売上金と入場者数の減少である。特に、売上金については、阪神大震災の年を除くと、実に43年ぶりの減少となった。この事態に関して、JRAは、「バブル崩壊の影響が遅れてきた」ととらえており、事態の改善策として、スタンドの改築、グレードアップなどのハード面におけるファンサービスや接客・情報サービスの向上といったソフト面におけるファンサービスを実施している。
 しかし、現在の景気状況を考えると、今後もこのような事態が続くことが予測され、先に述べた改善策だけでは、対応できないように思われる。やはり、以前の「ニューブリ―ズ計画」のような新たな革新が必要なのではないのだろうか。そのためには、今まで女性や若年層のみをターゲットとしてきた方策を、さらに大きな枠組みである「家族」をターゲットとした方策に変え、以前以上に「快適な総合レジャー施設」としての環境作りを展開していく必要があると考えられる。では、次に、今後の「革新」実施のために、現在まで蓄えられてきた同会の余力がどれほどのストックであるのかを探るため、同会の財務分析を展開してみよう。

第2章 財務分析
 財務分析では「売得金 」の流れ(図1参照)を解明することで分析を進めていく。

第1節 日本中央競馬会の国庫納付金制度
 日本中央競馬会(以下「JRA」という)は、政府全額出資の特殊法人であり、競馬法(昭和23年法律第158号)に基づき中央競馬を施行する唯一の団体である。
 中央競馬は、全国10競馬場で年間のべ288日開催されており、近年、地方競馬、競輪、競艇等他の公営競技の売上げ伸び悩む中で、施設の改善等ファンサービスの向上により売得金(以下「売上げ」という)が増加し、平成9年には4兆円の大台に達している。
 JRAの売上げは、その約75%が勝ち馬投票券(いわゆる馬券)の購入者に払い戻される。そして25%が控除率として引かれることとなる。そのうち15%がJRAの収入として競馬の開催経費(賞金など)に使用される。そして残りの10%が第1国庫納付金として国庫に納付される。
また、この控除率25%というのは世界でも高い部類に属している。ちなみに競馬主要国の控除率は、イギリスが19%弱、フランスが17%前後、アメリカは州によっても違うが16?18%、アイルランドが12.5%となっており日本の控除率が非常に高いものであることがわかる。
そして、10%の国庫納付金 は、日本銀行納付金 とともに一般会計の税収入の雑収入・納付金として計上される。95年度当初予算案でも、4436億円が計上されており、94年度の4285億円からさらに増加している。

第2節 JRAの第2国庫納付金制度
 さらに、決算の結果生じた剰余金については、その2分の1が第2国庫納付金とされ、第1国庫納付金同様、一般会計の税外収入に計上される。この第2国庫納付は毎年度の補正予算編成のための重要な財源にもなっている。そして剰余金の残りの2分の1が特別積立金として積み立てられている。
 平成10年度では、売上げが3兆8012億円で、そのうち第1国庫納付金がその10%に当たる3801億円で、第2国庫納付金が470億円に上っている。また、年度別国庫納付金一覧表(表1参照)でわかるとおり平成4年の1041億円をピークに年々減少を続けている。
これらの国庫納付金は、国の一般会計に納付されているが、日本中央競馬会法(昭和29年法律第205号)に基づき、国庫納付金額のおおむね4分の3が畜産振興事業費に、おおむね4分の1が社会福祉事業に充てられており、我が国畜産の振興等に寄与しているところである(36条)。

第3節 損益分岐点売上
 ここでは同会の損益分岐点売上高について考えてみることで同会の経営上の安全性についての推移を見ておこう。損益分岐点売上高とは、利益がゼロのときの売上高のことで、一般に以下の式で表される。
       損益分岐点売上高=固定費/限界利益率
またこのとき、限界利益率は(限界利益/売上高)、限界利益は(固定費+利
益)である。よってこれらから以下のようにまとめることができる。
       損益分岐点売上高=固定費・売上高/固定費+利益

第4節 JRAの損益分岐点売上高
 平成10年度の数字を実際に用いて考えてみると、まず固定費は競馬開催費
として競馬事業費2453億円、競走事業費として1560億円、業務管理費として1239億円、新営費として17億円、合計5269億円が計上されている。そして売上高は3兆8012億円である。
 そしてJRAにとっての利益とは剰余金941億円がそれに当たる。またこのと
き、第1国庫納付金は変動費と見なすことができる。
よって、JRAの損益分岐点売上高は3兆2252億円と計算できる。これは売上高として十分な数字であるため、今後の経営安全性は極めて高い。
この数字は「剰余金=0」の状態であるが第2国庫納付金の必要性や、JRAの設備としてのハード的な面での充実性を考えるとそのような状態でも問題なく、むしろ固定費の削減・リストラ策を進めることでもっと低い数値に抑えることができると考えられる。

第5節 JRAの特別国庫納付制度
 JRAの特別積立金累計額は、平成10年で9900億円程度あり、その大部分は競馬場の土地・建物等の固定資産となっており、残りは競馬開催中止の場合 の準備金や今後の設備投資に備えるための準備金となっている。
JRAからの国庫への特別納付は、この特別積立金を財源として行われており、過去昭和56年及び昭和58年には、国の一般会計の財源を確保するために、日本電信電話公社の臨時国庫納付等とともに臨時特例的に納付が行われている。その後、昭和61年及び昭和62年に150億円ずつを、農業経営基盤強化措置特別会計の歳入として農業改良資金の都道府県に対する貸付金及び当該貸付に関する事務に要する費用の財源に充てられている。なお、この特別国庫納付金は、最近ではこれが最後となっていてここ12年間は実施されていない。

第6節 JRAの競馬振興事業及び畜産振興事業
 第2節でも述べたとおり、決算の結果生じた剰余金のうち2分の1が第2国庫納付金となり残りの2分の1が特別積立金となるわけだが、平成3年9月の法改正(競馬法及び日本中央競馬会法の一部を改正する法律)により、この特別積立金の一部を活用して特別振興事業ができるようになった。                                        
それに合わせて、実行部署として競馬振興事業を行う振興事業課と畜産振興事業を行う畜産助成課が発足した。 
振興事業課では一般の予算を使って実施してきた周辺環境事業や馬事振興事業のうち比較的大型で相当の費用を要し、長期的視点から見て馬の健全な発展に必要な業務に関して行っている。 
 畜産助成課では国庫納付期金による畜産振興政策を補完し、総合的な観点から畜産振興がはかれるよう支援を行っている。しかしながらJRAの畜産振興事業による施策と国庫納付金による畜産振興事業の施策が重なって行われてしまっていることも考えられ、必ずしもすべての事業が合理的な編成下にあるとは考えにくいところもある。また、以下削除した。
 
第7節 (財)全国競馬・畜産振興会
 JRAが行う振興事業について、特別振興事業のうち競馬振興事業を例に説明すると、第5節でも述べたとおり周辺環境事業や馬事振興事業のうち比較的大型のもので、競馬の健全な発展に必要なものに関して行われる。もう少し具体的に述べるとWINS (ウインズ)へのアクセスの利便性をあげるために鉄道の新駅を設置したり、競馬場来場者の利便性や安全性を考えて競馬場専用地下道を関係各部署と協議協力して設置したりしている。その他でも、地方競馬場の施設の改善を助成したり、騎手などの厩舎関係者リハビリ施設の整備などを行っている。
これらの企画の立案から実行に至るまでのプロセスを説明すると、上記のような企画がまず地方競馬団体、民間企業などから持ち込まれる。それを振興事業課が審査をする。そしてそれが適当であると判断された場合、それに必要な経費を(財)全国競馬・畜産振興会に助成金として交付し、この振興会と企画の持ち込み者との間で企画が進められて行くのである。
畜産振興事業も同様で、つまり振興事業課と畜産助成課は審査を行ってはいるものの、助成金を出すにとどまり、実際には(財)全国競馬・畜産振興会と企画者が企画から立案、実施まで行っているのである 。

第8節  売上げの視点
以上より、売上げの流れを通して財務分析を行ってきたわけだが、最後に今一度それについてまとめてみることにする。
費用面においては、JRAと国庫納付金による畜産振興事業費の明瞭化を進めることでコストダウンを図る可能性があり、そしてこれは必ず行うべき課題である。
しかし、売上げに関しては国庫納付金を含めた数字である損益分岐点売上高を大きく上回る3兆8000億円という売上げや特別積立金累計額9900億円から考えても十分なストックであり、超優良企業と考えても差し支えない数字である。
また、企業であり法律により国庫への納付が義務づけられている以上売上げを伸ばすことは必要であるが、「レジャー」としての競馬と考えた場合“レジャー化を進めていった延長線上に売上げの進展がある”という視点での捉え方を持つ方が寛容であるといえよう。
そして、第3章ではこれらを踏まえた上での問題点について考えていく事にする。
 
 

第3章 JRAの問題点、改善策、そして今後
  第2章で見てきたように、平成10年度の売上は、初めて4兆円台の大台に乗った平成9年度から一転して5%の大幅ダウンとなった。これは数字的に見ればかなりの落ち込みに見えるが、もともとJRAの母体が大きいからであり、他の公営ギャンブルに比べて衰退度合が小さい。JRAの中でも「バブルの時代に上がりすぎた。市場の適正規模がいったいどれほどのものなのかは、私どもでも計りかねるので」などといった様々な意見があり、実際のところ日本一国で行う中央競馬というレジャー産業の売上金の「適正規模」は明確ではない。ただいえるのは、売上減少について企業としては危機感を持っているということである。本章では、独自に行ったインタビューに主に依拠しながら、現在の問題点と改善策の具体化について考えてみる。

第1節 問題点と改善策
 では、売上減少の原因と考えられる3つの問題を取り上げてみよう。
 まず1つ目に、JRAの唯一の商品である競馬の質の低下である。JRAの良い商品とは番組のおもしろさにある。つまりそれはG1競走 であるといえるが、平成10年度にはそれ以前の売上を支えていた「大レースだけは馬券を買う。」というファン層の動きを鈍らせ、G1競走の売上が平成9年度に比べ567億円減少するという結果として示してしまった。これらレースの質の低下原因として、過密日程のため有力な馬が複数のレースに散り、頂上決戦が見られないことなどが上げられている。これに対してJRAはレース体系を見直す考えを明らかにた。具体策として、G1のレース間隔を拡げ、一流馬が出走しやすくすることや、レースの開放で、馬の国内生産者の保護を伴いながら外国産馬や海外調教馬を取り込むといった策がある。現在の中央競馬には「スターホース 」と呼ばれる人気馬が見あたらないことも売上・参加人口の減少の要因である。例えば、売上大幅アップした平成2・3年にはオグリキャップが、平成6年にはナリタブライアンが大きな後押しとなり、競馬界全体を勢いづけた。このようなスターホース不在の現状は、馬全体のレベルの向上という理由もあるが、レースの楽しみを求めるファンの大きなニーズといえる。
 2つ目として、「若者」がある。JRAは昭和63年から毎年、年間を通してのイメージキャラクターとして芸能人 を起用し、プロモートするCI戦略を展開している。その結果、イメージアップにつながり、参加人口層が若くなった。そして女性の参加人口数も以前の4倍(図2参照)に増加し、ターゲットである若者の胸を射止めた。ところが、現代の若者は昔とは大きく変わり、飽きっぽい性質であった。流行は次から次へと絶え間なく移り変わり、競馬もその一環として流されてしまった。昔の人たちの場合は流されることなくどっぷりと浸かったが、時代は変わったのである。そして新しく現代のコミュニケーション型レジャーとして定着した「携帯電話」への出費増加がJRAを含む娯楽産業全体に影響を与えたと見られている(図3参照)。しかしプロモーション活動を誤ったわけではない。こういった展開により、幅広い参加人口層を獲得し、競馬に対するイメージの変換に成功した。そして競馬を若い人たちに知ってもらえたことにより、将来を見つめた上で彼らが親となった時、競馬を知っているのであれば再び来てもらえることが考えられるからである。
 3つ目としてはやはり不景気である。景気低迷で節約が叫ばれる中、競馬ファンも財布の紐を引き締めたということである。

第2節 様々な施策
 JRAはファンにとってのよりよい競馬を提供するために様々な施策を繰り広げている。やはり競馬を行うにあって、地元住民に対しては気を使って協力できないかと考えている。
 例えば、レースのない比には馬場以外の芝生を開放し、年輩の方々のためにゲートボール施設を設けたり、小学生の遠足や写生大会などにも開放したり、地元の盆踊り大会などにも使ってもらっている。こういった地元密着はとても重要であり、理解があるからこそレースが出来るのである。しかし最近でもJRAと住民の対立は絶えず、錦糸町では場外勝馬投票券発売所(WINS)の新館設立が理由による対立が起こっている。これには「景気回復の特効薬」と言う賛成派と「風紀を乱す心配」と言う反対派がいるのだが、競馬のイメージが変わってきた現在でもWINSが風紀心配と唄われるという現実である。今後もよりいっそう地元住民理解のための活動が必要とされる。
 また、近代競馬はスピードが要求されるものであるために、年々競走馬の故障が増加してきた(図4参照)。馬が競走中に足の骨折を折るという事故が多く、それは競走馬の死につながる。JRAにとっては固定資産の不慮の喪失状況として問題となった。その事故を減らすためにJRAは昭和58年に事故防止対策委員会を設置した。そして事故原因を研究・認識した結果、平成に入ってから事故が減少し、近年は連続して競走中の事故率を2%以下にしている。
 
第3節 これからのJRA
 JRAは昭和59年からのメディアの進展と実状を的確に把握したニューブリーズ計画の実行、競馬場の改築、WINSの増築・新設などにより、ハード面の基盤を確実に固めることに成功した。そしてこれからは、いかに競馬を人々の生活の一部に出来るかというライトユーザーに対するソフト面での充実が課題となっている。つまり、今まで馬券を買いたいのだけれど時間帯や地域などが理由で買えなかった人たちへのサービスである。
 まず今後のJRAが力を注ぐ、馬券販売セグメントを、同会は、3つの時間的空間的セグメントに分けている。
1. WINSや競馬場に直接来て馬券を買ってもらう方法。
これが現在の主流だが、更なるWINSの新設計画もあるので、今後はより買い求めやすくなる。
2. 家で馬券を買ってもらう方法。
これに対応して、PAT方式という電話回線を利用して電話やパソコンで馬券を買うことが出来る会員制の在宅馬券投票システムがある。この商品を多様化した営業施策は平成7・8・9年度の売上に大きく寄与し、現在の電話投票会員巣は軽く100万人を越えている。パソコン1台でインターネットを通じて競馬をすべてリアルタイムで楽しむことが出来るという方式が在宅馬券投票システムの理想なのだが、現在はインターネット上のセキュリティが完全に整備されていないため難しい。しかし、いずれは現実となるだろう。
3. 外を歩いているときに馬券を買ってもらう方法。
この分野にJRAは現在かなり力を入れていて、平成5年から実験的に実施されているSAT(サテライト・アクセス・ターミナル)方式がある。これは、馬券の自動発売端末をオーナーや地元警察の理解のあるコンビニエンスストアや、農林水産省下である米屋などと契約して置いてもらい、会員制で馬券を買ってもらえる方式である。今はコンビニエンスストアの中で独自のネットワークが組まれており、ATMもだいぶ置くようになってきているので、技術的タイアップにより、今後のこの分野の動きには期待できる。インタビューによると現在のSAT方式を導入した施設は全国でまだ64店舗で、1店舗当たり200人くらいの会員数という試行段階である馬券は宝くじのように自由がきく商品ではないが、やはり理想ではすべてのコンビニエンスストアで会員という枠も取り払って売ることが出来ることである。
 次に、商品の多様化戦術である。現在JRAでは単勝、複勝、枠番連勝(枠連)、馬番連勝複式(馬連)の馬券を売り出している。この馬券という唯一の商品をいかにファンに楽しんでもらえるかを考え、JRAは馬連以来8年ぶりの新種馬券を2000年から本格導入する。それは拡大馬連勝式(ワイド)というもので、1?2着のほか、1?3着、2?3着の組み合わせも的中となる。馬連の馬券全体のシェアは現在約8割を占めている「馬券イコール馬連」というファンの認識の中に、倍率よりも確率という味で勝負をかける。つまり、当たった金額に喜ぶギャンブルの競馬ではなく、当たったことに喜ぶファンを対象としたレジャーの競馬という新しい馬券である。これは競馬をもっと気軽に楽しんでほしいというライトユーザー向けの商品であるといえる。しかし、ギャンブルの競馬と考えるハードユーザーはこの商品に興味を示すこともなく、逆に反発の声もある。そこで、次なる段階としてJRAが用意している商品が馬番連勝単式(馬単)である。これは1?2着を着順通りに当てるもので、高額配当が魅力となるハードユーザー向けの商品である。ここに馬単よりもワイドを先行させたJRAには、やはりイメージの変換と新たなるターゲットの枠組みを意識した考えが見える。
 その他に、JRAでは複数のレースの勝ち馬を当てる重勝式や、1?3着を着順通りに当てる3連単などという商品開発を考案しつつあるという。

終わりに
 以上、JRAの歴史、財務分析、現状、問題点、そして今後の展開を見てきた。昭和29年の発足以来、JRAは様々な経営戦略を展開することにより巨大な企業として大きな成長を遂げて来た。この急成長の過程の中で、日本競馬において大きな変化があった。それは、競馬が単なる「ギャンブル施設」ではなく、「快適なレジャー施設」として国民に浸透させることに成功したことである。情報化社会におけるファンのニーズに応えるため、メディアの進展と実状を確実に把握し、従来のファンのみならず、若年層や女性といった新しい競馬ファンの獲得を狙ったニューブリーズ計画がイメージの転換をもたらした。司会、その成長にも売上減少という形で再び陰りが見え始めたのである。娯楽市場全体が右肩下がりの現在、JRAが展開する様々な施策により、さらに国民にとって競馬を身近なものに出来るかが今後の成長の鍵を握り、重要な課題といえるだろう。
 【注釈】