纐纈 厚『リベラリズムはどこへ行ったか-米中対立から安保・歴史問題まで-』
(緑風出版、2022年4月刊)

  • 目 次
    まえがき-「絶対非戦」と「絶対平等」を求めて
    【課題と提言:外交防衛問題】
    第1講 米中対立と台湾有事をめぐって

    ~中国脅威論が結果するもの~

    【課題と提言:安保問題】
    第2講 あらためて新安保法制の違憲性を問う

    ~戦争への敷居を低くする危うさ~

    【課題と提言:歴史問題】
    第3講 東アジア諸国民とどう向き合っていくのか

    ~アジア平和共同体構築と歴史和解への途~

    【課題と提言:総括】
    最終講 危機の時代をどう生きるのか

    ~リベラリズムの多様性と限界性~

    あとがき

    概 要
     日本の外交・防衛問題、安保問題、歴史問題は、相互に深く交差し、相互に規定し合った問題である。複雑な動きを見せる現代の政治や軍事を検討する場合、不偏不党の立場から論じていくのは容易ではない。様々なバイアスが入り易く、またデータも刻々変化する。本書は、そうした点を十分に配慮に入れつつ、政治学と歴史学を専門とする筆者なりの視点の打ち出しを試みた論集である。
     本書を通底する問題意識は、書名ともなっているリベラリズムを再確認・再発見することである。リベラリズムとは多様性や客観性、普遍性や公平性を基調とする思想や主義の意味である。近年、国際社会ではリベラリズムの劣化が進行しており、自由・自治・自立を阻むファシズムやナショナリズムが顕在化しつつある。そこでは動員・統制・管理などを基調とする政治思想や政治体制が出現し、自国民への情報統制・管理を強行し、他国に向けては戦争を仕掛け、覇権拡大に奔走するケースが頻発している。ロシアのウクライナ侵略は、そうした国際政治の実態を示す機会となってしまった。
     本書の書名である「リベラリズムはどこへ行ったか」とは、リベラリズムが私たちの手から離れていけば、代わりにファシズムが跋扈する可能性に警鐘を鳴らす意味を込めている。いま求められているのは、多くの人たちとの開かれた自由な議論である。決して偏在した視点で世界を見てはならないし、同時にリベラルな思想を保持することも容易でないことに自覚的であるべきだ。そのような問題意識を抱きつつ、本書は四講に分けて論述している。
     第一講では近年におけるアメリカの軍事戦略を追っている。ペンタゴンが公表する文書など紹介引用しながら、それが対テロ戦争から大国間戦争に対応する戦略に大きく舵を切っていることに着目している。その大国とは第一に中国であり、第二にロシアである。そのアメリカの大国間戦争に加担する日本の現状にも注意を払っている。日本はアメリカの軍事戦略に完全に包摂されていることを明らかにしつつ、戦争の可能性から脱却するためには自立した安全保障政策の確立が求められていることを強調している。
     第二講では、戦後日本の外交防衛を絶対的に規定している日米安保の問題を取り挙げている。日米安保が単なる二国間条約に留まらず、日本の外交方針や国内政治の方向性をも規定していることに着目しつつ論じている。いわゆる戦後日本に宿る安保原理であり、戦後の国体とも称される安保体制の持つ意味を改めて問うてもいる。 
     ロシアのウクライナ侵略を受けて、恐らく日本国内では日米同盟のさらなる強化と自衛隊装備の拡充を求める世論や政治の動きが活発となろう。果たして、ロシアの侵略を同盟によって阻むことができたかどうかは、今後の検討課題であるものの、ロシアがアメリカと並ぶ覇権国家であり、軍事国家であったことが最大の要因であろう。戦後冷戦の時代を含めて、五つの常任理事国は繰り返し他国への侵略や侵攻を重ねてきた。そのためのツールとして武器の開発・生産・輸出入を果敢に実行してきた。巨大な軍需産業を抱え、それが軍産複合体を形成して軍事戦略にも重要な役割を果たし、次の戦争を用意していく構造がある。セングハースの言う「軍拡の利益構造」である。その点を含めてロシアの侵略を批判し、解析する必要もあろう。
     第三講は、特に日本と中国及び韓国との間に存在する歴史問題を取り上げた。日中・日韓関係の軋轢の最大の要因とも言える歴史問題は、解決の見込みが依然として立っていない。歴史問題の克服、いわゆる歴史和解の方途を探すことが関係国の政府だけでなく国民の責務であること、歴史和解なくして健全な国家間関係は成立しないことを強調している。
     第四講では、以上の論述を踏まえて、私たちが何をなすべきかの提言を行っている。提言は第一にアジアの隣人との連帯と共同行動の実現の一つとして東アジア非武装地域化、さらにはアジア非核地帯化の構想実現に向けての研究と運動の一体化促進、第二にグローバル化された国際社会の非軍事化の提唱、第三に抑止論の虚構性の実証作業の展開、などである。
     筆者自身、長年にわたり特に政治史の一分野としての軍事史研究に携わってきた。それは二度とアジア太平洋戦争のような世界大戦を経験したくないからである。ところが、一歩間違えば〝第三次世界大戦〟に踏み込まざるを得ないような危機に見舞われることになった。ロシアのウクライナ侵略戦争である。研究や学問の無力ささえ感じつつも、怯むことなく怠ることなく、戦争原因を探求し続けること、そして戦争のツールである武器移転の実態を明らかにし、戦争のない国際社会の構築に貢献していくことが、学問研究に課せられた使命であることを再度肝に命じたい。