永岑三千輝『アウシュヴィッツへの道-ホロコーストはなぜ、いつから、どこで、どのように-』
(春風社、2022年3月刊)

  • 目 次
    序 章 第三帝国のユダヤ人迫害・大量殺戮をいかにとらえるべきか
    第1章 「合法的革命」とユダヤ人差別の段階的進展 1933〜1937年
    第2章 「大ドイツ帝国」建設とユダヤ人迫害・強制移送 1938年
    第3章 保護領創設とユダヤ人迫害・強制移送 1938〜1939年
    第4章 ポーランド侵攻・占領とユダヤ人迫害 1939年9月〜1941年6月
    第5章 ソ連征服政策とユダヤ人大量射殺拡大過程
     -占領初期 1941年6月~9月を中心に-

    第6章 “ユダヤ人問題の最終解決”
     -世界大戦・総力戦とラインハルト作戦-

    結び ----ポストコロニアルの忘却の大河に抗して
    あとがき
    文献リスト
    索引

    概 要
     アウシュヴィッツはユダヤ人大量殺害(ホロコースト、ショア)をもっとも典型的に象徴するものとなっている。なぜか?それは見るべき巨大な事実群を見落としてはいないか?今でも「アウシュヴィッツの犠牲者400万人」という説が散見される。それは事実か?
     通俗的イメージや歴史理解を批判し、アウシュヴィッツを二つの世界大戦の歴史的文脈の中に適切に位置づけようとしたのが本書である。1990年代までにアウシュヴィッツの犠牲者は精密な実証研究を踏まえて、100万人から110万人とされた。それでは、600万とされるユダヤ人犠牲者のうち、残りの500万人はどこで、どのように犠牲となり殺害されたのか。
     拙著は、第三帝国のユダヤ人迫害の過激化、移送政策から絶滅政策への段階的飛躍に関する世界的論争を最新の史料状況と研究史を踏まえて検証した。それによって、ヨーロッパ・ユダヤ人殺害への画期は1941年12月であり、日本の真珠湾攻撃によるアメリカの参戦、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争が結合して文字通りのグローバルな総力戦となったこと、これらがヒトラー第三帝国の政策を飛躍させた。これが世界の研究の到達点であることを再確認した。依拠する史料は2008年から2021年までに刊行された16巻本の史料集である。これは数多くの文書館史料を調査・選別し、研究史を踏まえた解説を付しており、ドイツ現代史学の最良最高の成果というべきものであろう。したがって、今後のホロコースト研究が出発点とすべきものとして、その紹介を本書で試みた。
     本書の見地は、ホロコーストをヒトラー・ナチズムの民族帝国主義の論理と行動、諸敵対勢力との闘争の展開、そのダイナミズムの中で見ていく。英独仏米等の列強――遅ればせながら日本も――が世界覇権をめぐって競合し敵対する帝国主義戦争は長期的死闘のなかで総力戦化した。最初の世界戦争の帰結は枢軸国の敗戦であり、戦勝列強はドイツに単独で戦争責任を負わせた。それはドイツ国民の圧倒的多数が納得しないものであった。しかも、世界戦争はロシア革命とドイツ革命によって終結した。ヒトラー・ナチズムの基本思想はまさにこうした「敗北の克服」を目指し、復讐と捲土重来、「世界強国」の再建、東方大帝国建設の思想であった。その論理において敗北の責任は一方で「背後の匕首」、社会主義・ボルシェヴィキの革命に、他方で国際金融資本に帰すべきものであった。これらすべての罪をユダヤ人に還元できるものだとした。
     ワイマール期からナチス期への諸政治勢力の闘争のなかでヒトラー・ナチスが権力を掌握する段階から、初期の再軍備景気・完全雇用実現でナショナリズムが膨張し、要求は段階ごとに膨れ上がり過激化し、ユダヤ人追放圧力・追放政策も進展する。オーストリア併合、ズデーテン併合は民族自決の論理がまだ武器として有効であった。しかし、チェコスロバキア解体からポーランド侵略に至れば、それは通用しない。ポーランド征服において第三帝国の第一の課題はポーランド国家の鎮圧であり、国家指導部・エリート層を排除してポーランド国民を労働奴隷として支配することであった。この基本戦略の下、ポーランド人の下に位置付けたユダヤ人をさしあたり追放することが主たる政策となった。ソ連征服戦争の過程でソ連の反撃の強大化・パルチザン戦争に対応しながら、ユダヤ・ボルシェヴィズム、その大衆的基礎としてのユダヤ人への大量殺戮ベクトル群が強大化する。このプロセスを段階的に追跡したのが本書である。
     まさにこうした排外的膨張的ナショナリズムの過激化のプロセスは、現在進行中のウクライナ戦争においても出現している。大国ロシアによるクリミア併合、大国ロシアの支援を得たドネツク・ルガンスクのロシア系「人民共和国」の武装闘争がウクライナ民族主義の過激化をもたらし、遂には大国ロシアによるウクライナ制圧戦争へと飛躍した。戦時下で、とりわけロシア軍撤退過程で残酷さと無差別性が高進しているようである。「バンデラ主義者」、ウクライナ・ナチスのせん滅という「大義」から民間人を大量的に巻き込む犠牲者拡大過程が進展している。ここにみられる大量殺戮への論理と力学には、ホロコーストとの共通項がいくつもあるように思われる。