イスラーム・中東トピックス

14ワッハーブ運動

アラビア半島地図 18世紀半ば、アラビア半島に起こったイスラーム改革運動。創始者はムハンマド・イブン・アブド・アルワッハーブ(1703〜93)。彼の生まれたアラビア半島のナジュド地方は、当時のイスラーム世界の最大勢力であったオスマン・トルコの支配が強く及んでいなかったため無政府状態に近く、偶像崇拝や多神教が横行していた。アルワッハーブは1740年頃から、このような行為を排除しようと過激な運動を起こすが、逆にこの地方の支配者に追放されてしまう。郷里を追われたアルワッハーブは、ナジュド地方の豪族で後のサウジアラビア王国の源流となる、サウード家に身を寄せて支持を受けながら、哲学思想・神秘主義は初期の正しいイスラームに対する歪曲・逸脱であり、コーランと預言者のスンナに立ち戻るべきだと主張し、タウヒード(神の唯一性)とカダル(定命)を強調して多神教につながる可能性のあるものを追放する運動を展開した。

 ワッハーブ運動の支持者たちは、聖者・偶像崇拝などに代表される、正しいイスラームからの逸脱は異民族であるイラン人やトルコ人がもたらしたものと考え、更にオスマン・トルコのスルタンをも異端として攻撃し、アラブ人の民族意識を目覚めさせた。この運動自体は、オスマン・トルコからの討伐令を受けたエジプトのムハンマド・アリーによる攻撃でまもなく滅ぶが、現在のサウジアラビア王国はこのワッハーブ主義を奉じており、「統治の源泉はコーランとスンナにある」と憲法にあたる統治基本法で明言している。また、この運動は18世紀以降に他の諸地域で次々と発生したイスラーム復興の先駆けともなった。


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