イスラーム・中東トピックス

7イラン・イスラーム革命とホメイニー師

イラン地図

ホメイニ師
ホメイニ師

 1979年2月、イランのパフレヴィ―王朝を倒し、イスラーム共和国を樹立した革命。国王モハンマド・レザー・パフレヴィーは63年以来、近代化の白色革命を進めたが、石油収入からの特権層の腐敗と国王の強権政治を生み、アメリカとイスラエルが対アラブ政策上、これを強力に支持した。

 革命は、1978年1月9日のコム(イスラーム教シーア派の高等学院都市)の暴動に始まった。その後各地で反政府運動が頻発するようになり、5月11日には国王の世俗的近代化政策に対する反政府デモで警官隊との衝突で100人以上が負傷し、非合法のトゥーデ党(共産党)も参加した。国王モハンマド・レザー・パフレヴィーは6月6日イラン国家治安情報機構(SAVAK)長官ネゥマトッラー・ナスィーリーを解任し、8月には1979年8月の自由選挙実施も約束した。8月19日のアバダンにおける映画館焼き討ちは、反政府分子に対抗したSAVAKのテロとされる。9月以降、イスラーム教シーア派指導者アーヤトッラー・ホメイニー師らの呼び掛けとバーザール(地場小売業者)の財政支援によりテヘランなど各地で反政府集会・デモが続き、政府は9月8日戒厳令を布告した。中でも12月10日〜11日全土でのアーシューラー(ヒジュラ暦61年1月10日のカルバラーの悲劇を記念する哀悼記念日)の2000万人デモ(テヘランで300万人)は革命の流れを決定づけ、1979年1月16日国王モハンマド・レザー・パフレヴィーは出国を余儀なくされた。2月1日にはパリからホメイニー師が帰国し、予定された国王派の国軍クーデターも不発に終わり、革命が成就した。


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