イスラーム・中東トピックス

6イランイラク戦争

イランイラク地図 この戦争は1980年にイラクがイランを攻撃することで始まったが、当時、(1)イランのテヘランがイラン革命後の権力闘争中だった、(2)クルド人の地域が内戦状態だった、(3)軍の粛清のため、イラン軍の戦闘能力が激減している、という3点から攻略の好機と見られたとされる。

 1980年9月、イラク軍がイランの油田地域フーゼスターンに侵攻した。だがそのことへの国際的反応は鈍かった。なぜならイランが国内でアメリカ大使館占拠事件を起こし、国際世論はイランに冷たかったからであった。やがてイランの権力闘争でホメイニ派が権力を握ると、革命政権は対イラク戦線で反攻を開始した。

 1982年の春までにイラン軍はイラク軍をイラン全土から一掃したが,イラク軍も自国の防衛ラインを死守する。そしてアメリカが中心となってイランに武器禁輸を行い、イラクに大量の兵器が供与された。
イラクの崩壊とイラン革命の拡大が他のアラブ諸国を脅かしかねないという理由でアメリカを中心とする西欧諸国はイラクを支援した。

 1988年になるとイラク軍への大量の兵器投入でイラク軍の装備は、完全にイランをしのぐようになり、人口でもイランを上回るようになった。そのためはじめてイラク軍が防衛陣地を出て前進しイラン軍が確保していたイラク領を奪回した。

 1988年7月、イランが国連安保理の97年に出した停戦決議598号を受諾し停戦が実現した。このイランイラク戦争の間にイラクの軍備が増大し、軍事大国に成長したため、1990年フセイン大統領はクウェートに侵攻し、湾岸戦争にいたった。


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