私の受けた予備校の授業
箸  では実際に生徒たちが「感動」を受ける授業とはいったいどのようなものなのだろうか?そのまえに私がたびたび使っている「感動」という言葉に少し説明を加えたいと思います。
 「おもしろい授業」と言われた時いったいみなさんはどのような授業のことを指すと思いますか?答えは特にありません。そこで私なりの考えを示したいと思います。授業中に常におもしろおかしい冗談を言ったり、自分の体験談などをおもしろおかしく説明することなどを多用することで授業を楽しいものにしようとしている先生が必ずどんな学校にもいると思います。それが全く不必要だとは言えませんが、それでは結局、各々の科目の説明に入ってしまえば”現在の公教育”であげたようなつまらない授業を展開することになりかねません。つまり、私は今挙げたような冗談を多用したりするような先生の授業を「感動」のある授業であるとは考えていません。聞くところによると私の通っていた以外の予備校の一部ではギター片手に歌を熱唱しながら授業を展開している講師がいるというような信じられないような噂を耳にしました。その講師の授業アンケートでは「時間の無駄!」といったようなかなり否定的なコメントが多かったようです。従って、そのようなパフォーマンス主体の授業ではなく、私は学問の中身自体を丁寧に教えてくれてなおかつ「分かった!」といえる先生の授業をさして「感動」ある授業であると考えています。では、具体的にはどのような授業をしてくれることを言うのでしょうか?ここでまた竹内氏の著書からその事例を表すものを抜粋してみたいと思います。
 「一騎打ち」を手掛かりに鎌倉時代の全体像を描く
13世紀におけるモンゴルの対日本戦争に関して、下記の設問に答えよ。
2度の合戦(1274年文永の役、1281年弘安の役)における日本軍の戦い方には、モンゴル軍とくらべてどのような特徴があったか。日本の武家社会の特質と関連させて、次の語句をすべて使い述べよ
 恩賞 武士団 集団戦 一騎打ち (東京大学・1993年)  
 元寇(蒙古襲来)の時に日本の武士たちが一騎打ち戦法で戦ったことはよく知られております。騎馬民族であるモンゴル軍は集団戦法を得意としておりましたので、名乗りを挙げてから戦闘を行うという一騎打ちだと圧倒的に不利な戦いになります。にもかかわらずなぜ日本の武士は一騎打ちで挑んだのか。たしかに言われてみれば不思議な現象です。その原因を、「武家社会の特質」と関連させて説明させるという問題です。(中略)
 鎌倉時代を扱うときには、まず、鎌倉時代の支配体制が「惣領制そうりょうせいに基づく御家人制ごけにんせい」に依拠しているということを説明します。板書例のように(板書例略)、将軍と直接の主従関係を結んだ武士を御家人といいますが、その主従関係は、将軍から御家人への御恩ごおん(先祖伝来の土地を保証したり、戦功があった場合には新たな所領を与えたりします)と、御家人から将軍への奉公ほうこう(いろいろありますが、最も重要なのは将軍のもとで戦に従事する軍役です)によって成り立ついわば契約の関係です。
 この御家人制とは別に、武家社会には惣領制という血縁原理に基づく同属組織がありました。これは、一族(一門)の長である惣領が、一族の庶子たちを統率し、さらに家子いえのこ郎党ろうとうと呼ばれる非血縁の従者(下級武士)を従えているというものです。そして、惣領が将軍との間で主従関係を結んでおり、御家人として軍役奉公を務めるときには、一族全体を率いて従軍するという構造になっています。
 惣領は、一族の氏寺・氏神を祭り一族の所領全体を統轄していましたが、所領は庶子たちに分割されて管理を委ねられていました。ですから、簡単に言えば、庶子たちにとっては、所領を分割してくれるのだから、惣領の命にしたっがて奉公を務めようという関係だったのです。そして、鎌倉幕府が必要な奉公を確保できたのは、この惣領制という武家社会の組織があったからにほかありません。ここまでは、鎌倉時代の授業の最初のところで話す内容です。ところで、問題の元寇は、1274年と1281年ですから、鎌倉時代の後半にあたります。このころは武家社会の様相も初期の頃とは大きく変質していきます。授業のテーマとしては「鎌倉時代後半の変動」というところで、図(省略)のような板書を作成しながら説明をすすめていきます。政治・外交・経済・社会の四領域に分けて、それぞれのキーワードを並べます。
 「政治=得宗専制政治」(これは授業では別の単元で丁寧に扱い済みの事項なので今は省略しますが、ひとまず北条氏の独裁体制とご理解ください)
 「外交=元寇」
 「経済=貨幣経済の発達&分割相続の進行」
 「社会=血縁的結合から地縁的結合へ」
 当時の武士たちは恩賞を目当てとして戦闘に従事していたのですが、元寇後の恩賞は不十分で、しかも途中で打ち切られてしまいました。これが御家人窮乏化の一因ですが、この点については、ある程度勉強をしている学生であれば理解しています。
 ですが、御家人の窮乏化は元寇前から進んでいましたので、より本質的な窮乏化の原因があったはずです。それは、貨幣経済の発達にともない消費が著しく拡大したことと、分割相続を重ねていくことで一人あたりの所領が細分化されてしまったということなのです。そこで、この窮乏化対策として幕府は、1297年に永仁の徳政令を発して御家人を救済しようとしましたが効果は少なく、かえって御家人の幕府への不信感を募らせることとなりました。となると、御家人たちは自分たちで救済を図るしかないわけでして、それが所領を惣領が単独で相続するというものです。
 こうして、惣領のもとにおける血縁的結合が弱まるにつれて、惣領の統制から独立する庶子が現れはじめます。これが惣領制の解体と言う現象で、その結果、従来のように惣領が一門を率いて従軍するといったスタイルが崩れてくるのです。
 さて、ここまでは、問題と関係なく進めていくのですが、この辺で最初の問題を考えてみることにしています。〜教科書では、元寇の記述と惣領制解体の記述は離れています。教科書によっては異なる単元にでているものもあります。ですから、この二つが同時代であるということ自体が学生たちには驚きのようです。(中略) まず、何のために一騎打ちするのか問い掛けます。この点には、問題に使用語句として「恩賞」が与えられていることもありますので、「恩賞目当ての一騎打ち」というのは簡単に思いつきます。次に、本来惣領制がうまく機能していたならば、戦闘に従事した個別の武士たちはどうやって恩賞を得られたはずか、と問います。ここで、以前に学習した惣領制の仕組みについて復習することになります。その過程で、惣領に恩賞(御恩)が一括して与えられ、庶子たちは惣領から恩賞を分与されるということに気づかせます。その点に気づけば、元寇の頃に進行していた惣領制解体の結果生み出された独立庶子が個別に恩賞を求めて一騎打ちに挑んだということが指摘できるのです。
 なお、授業ではこの先次のように展開しています。独立庶子家が、個別バラバラに戦うのではいくら何でもまともな戦闘とはなりません。そこで、幕府は守護(守護は、もともとは今でいう警察権を中心とする権限を持っておりました)の権限を拡大して、御家人や独立庶子家を含む非御家人たちすべての武士を軍事動員できるようにしました。この話を手掛かりにして、室町時代の守護領国制と言う支配体制がどういうふうにして生まれたかという単元に接続していきます。
*この問題を通して教えられること ある時代を構成している政治・外交・経済といった各要素の連関性と、それらが次の時代を構成する各要素とどのように連関しているかということを考えさせます。このことを私(著者)は「科学的な歴史理解」と呼んでおります。そして、このようにして教科書ではバラバラなものとして覚えていたであろう知識(ここでは、一騎打ちと惣領制解体)が連関しているということを論理的に発見させる授業を狙っています。