私が浪人時代にお世話になった駿台予備学校・秀英予備学校日本史課非常勤講師竹内久顕氏は教育書『予備校教師からの提言−授業・入試改革へ向けて』(以下、著書とする)の中で独自に現役高校生たちにアンケートを実施したところ、中には良質な授業を想起させるような回答もあったようですが、おおむね次の4つのタイプの日本史の授業が高校で行われていると分析している。(著書P77)
「@事項の羅列型
−このケースが1番多いようです。穴埋めプリントを用いて空欄を埋めながら授業を進めたり、あるいは、教科書を読みながら語句の説明を加える平板な授業。
A専門的過ぎる授業
−おそらくその教師の専門分野なのでしょう、およそ高校日本史とは思えないような過度に専門的な(「質の高い」という意味ではない)、些末な事項を扱ったマニアックな授業。
B教師の不勉強
−事実誤認は時には到しかたないとしても、研究の進展によってすでに否定されているような、あるいはかつては通説的であっても現在では少数説に過ぎないような見解にもっぱら依拠して教えるケース。例えば、原始時代、荘園制、武士の発生、中世・近世の外交(たとえば、倭寇を単に「海賊」としてしまう教え方や、江戸時代の外交を閉鎖的な「鎖国」イメージでとらえる教え方)などは、私(著者)が高校生だったころに比べても通説的な理解が大きく変化しています。
Cテクニック伝授型やドリル暗記型
−たまに見かけます。一問一答式の大学受験問題集(しかも、劣悪なもので、私[著者]なら決して受験生に勧めないようなもの)を全員に買わせ、毎回の授業はそれを暗記しているかどうかを生徒に一人一人当てて答えさせることに終始する。あたかも条件反射的訓練のような授業を受けているという例がありました。あるいは、先に私が批判した『実況中継』本をもとにして授業が行われているという信じられないような高校生の声も聞きました。」
このことは他教科であっても当てはまることではないだろうか。@に関しては私の通っていた高校でも一番多く行われていた授業である。英語や古文、漢文であれば、ただ単に英語などの文章を生徒たちに読ませ、一文一文日本語訳を答えさせる。その解答に関して教師が誤っている部分を訂正したり、単語・熟語・文法に関して平板な説明を加えるといったような授業である。(ただし、これに関しては受験という視点を除けば大学でも行われているといってよい)このような授業が公教育で行われている結果として生徒たちは学問のおもしろさを分からないまま、受験勉強などという人生の1つの関門に立ち向かわせるのであるから生徒たちにとってこれほどの苦痛はないでしょう。私の求めていた「おもしろい」授業とは先生がテレビのお笑いタレントのようにおもしろおかしいことをいうのではなく、その教科の中身をいかに生徒に魅力あるものとして伝えることができるか、すなわち「分かった!」と生徒が実感できるような授業なのです。そんなことは、当たり前ではないかと言われそうですが、では、なぜ学生たちは塾や予備校に行くのでしょうか。それは今述べたような授業が私の通っていた高校も含め大半の学校で行われており、当たり前のことが必ずしも当たり前ではないのが現状なのです。最初に書いてあったとおりこのような現状を打破したいというのが私の願うことです。
参考とした本 |
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教育書『予備校教師からの提言−授業・入試改革へ向けて』 (竹内久顕著、高文研、2001年10月) |