日本地方自治研究学会

報告者 川島高峰

和光大学経済学部講師

 

行政の効果測定

―「政策評価」行政の評価と効果―

(レジュメ発表当日改訂版)*

 

 

   も く じ

  問題の所在

  1. 政策評価の登場

   1-1 世界的な傾向

   1-2 日本的な事情

  2. 行政評価、政策評価、行政の効果測定

   2-1 政策評価と行政評価

   2-2 行政の効果測定

  2-2-1 測定概念

  2-2-2 効果概念

  2-2-3 効果測定の効力

  3. 総務省「政策評価」行政の問題点

  4. 「政策評価」への提言

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

..................................................................................................................................................................................................................................................................

* 政策評価については、総務庁行政監察局が「政策評価に関する標準的ガイドラインの案」を7月31日に発表し、8月をその周知期間としました。他方、内閣は8月4日、行政改革推進本部に対し年内を目途に「行政評価法案」の提出を指示(公明が主導)、その早期制定が見こまれています。このような動向から発表レジュメの改訂をさせていただくこととしました。

問題の所在

 昨今、先進国等において「政策評価」や「行政評価」が新たな政治・行政の手法として注目されている。従来、政策評価に関する議論は測定の技術や手法に力点が置かれたが、「行政の効果測定」と題した本発表では、むしろ、メタ評価(評価の評価)に関心の力点がある。それは第一に最も抽象化した観点として、そもそも「何かを評価する」という概念の定義であり、第二に省庁再編後の総務省行政評価局が行おうとしている「政策評価」行政の評価であり、最後によりマクロな視点として政策評価が有効に機能するために必要な環境は何かという提言である。

1. 政策評価の背景

 1-1 世界的傾向

 アメリカでは既に政府業績評価法(Government Performance and Results Act)が施行され、日本でも1997年12月、行政改革会議が最終報告として政策評価の導入を提言し、99年7月の国家行政組織法一部改正により政策評価の実施が法制化された。このような先進諸国における政策評価の導入に共通することとして、

 @可測性の問題

・不確実性の増大;plan-do、plan-doの連続で結果は予測範囲内にあるとの前提が崩壊した。

・価値の多様化;成熟社会では欲求に対する予測が困難。欲求について一般傾向が成立しにくい。このため政策決定に際し行政ニーズの事前調査の必要性が増大。

 A 行政国家化現象への対案;行政評価=行政国家の評価、管理統制の機能不全の抑止

 B 「環境」への配慮

・行政が環境にもたらす影響力は巨大化したが、その環境を変更する能力に対し、環境を回復させる能力は著しく低い。それ故、事前査定が重大となる。

・資源拡大から適正再分配、もしくは資源循環の志向の増大。

 C 評価技術の向上;情報革命によりマクロ―ミクロの共時分析・大量観測と個別分析の相互補完といった「複雑系」の把握・調整について、より現実的な時間内で「可測性」を見こめるようになった。

等の四点があげられる。

 1-2 日本的な事情

 @ 日本的な可測性の問題;バブル崩壊と予算の限界、総中流社会の完成

  ・欧米追随型の政策の歴史的使命の終結と右肩上がりの経済の終結がほぼ同時に訪れた。

  ・一億総中流と呼ばれるような「高度に」平準化した社会の完成の次にくるのは@一億総上流、A格差拡大、B総体的後退の三通りとなる。しかし、@は非現実的であり、起こりそうなのはAもしくはBである。この環境において重要なのは資源の拡大ではなく、その再分配である。

 A 日本的な行政国家化現象→官僚神話の失墜、市民との信頼関係は最悪の状態では?

  ・自民党長期単独政権は行政を監視評価すべき立法府が行政と癒着することを不可避とした

  ・政策決定過程全般に対する不信感;透明性の欠如、ウラ取引の決定過程があるとの認識が常識となる

  ・官僚の職業規範に対する不信;国益→省益→局益→私腹

  ・自己変革能力に対する不信感;既得権益の擁護

  ・政策立案能力に対する不信感;無駄な公共事業、バブルの「戦犯」、バブル崩壊後も資源拡大型行政に固執

  ・low-politicsとhigh-politicsの逆転;原発立地、米軍基地、大規模公共事業等をめぐる住民投票運動等、現在の日本ではlow-politicsが、むしろ、highとなる局面が増えた。

 B 政治行政の環境志向→高齢少子、自然環境、財政赤字等の政策上の重点のシフト

2. 行政評価、政策評価、行政の効果測定

 2-1 政策評価と行政評価

 概念そのものに混乱がある。日本の場合、行政側と立法側で呼称が統一されてない。「政策評価」は、ある政策の事前ということであれば立法過程における評価となるし、途中もしくは事後となれば行政過程に対する評価とみなすこともできる。ところが、立法過程は政府提出法案と議員立法があるので、結局、政治・行政と区分し得るものではない。また、「政策」をそのレベルから政策―施策―事業と三つの段階に分けることが行われているが、このように分けたところで「施策―事業」が行政部の範疇になる事は明瞭にしても、やはり「政策―」の範疇がどうなるのかは曖昧である。さらにわが国における行政裁量権は余りにも大きいので、「政策―施策」の区分が曖昧とならざるをえない。行政の「政策」範疇は狭いに越したことはなく、立法の段階で米国並にもっと細かい規定をすることが重要である。結局、法律の「曖昧」さが「政策」概念の曖昧さを招いている。

これに対し「行政評価」という用語には、@ 行政に対する外部からの評価、A 行政内における自己評価という二つのニュアンスがあり、どちらの意味で使うかは観点により異なる。特に統一的な見解というものはない。「行政評価法案」が政府から提出の見こみであるが、この定義も「内閣法制局」による定義ということになるか....。しかし、わが国で「政策評価」が注目を集めるようになった経緯を考えると、これは明らかに行政と市民の間での信頼関係の崩壊を最大の端緒としている。従って、そのモチーフは@にあり、第1の目的として行政・市民の信頼回復があり、第2に民意に応答性ある行政の構築がある、というのが私見である。

 2-2 行政の効果測定

 2-2-1 測定概念

測定とは:測定主体がある基準と方法に従い、ある時点Aに被測定主体の行為が状態にもたらした変化(もしくは無変化)並びにその行為が要した資源を、ある時点Bにおいて定義することである。

 この定義に従うと測定概念の構成要素には、@「測定の主体」、A「測定の対象」(状態もしくは被測定主体)、B「測定の基準」、C「測定の方法」、D「測定の時点」(事前、途中、事後)がある。この中で本報告の観点から問題としたいのは、

 (1)測定・被測定主体間の関係;上下関係、対立関係、緊張関係、癒着関係等。

 (2)測定対象の種類;人材評価、機構評価、政策評価

 (3)測定の方向性;一方向的、双方向的。

 (4)測定の時点;施政されてから効果が観測可能となるまでに一定の時差を要する場合

実施から効果が現れるまでの時差には短期(1年以内程度)、中期(立法・行政サイクル)、長期、超長期(歴史的評価)が想定し得る。立法・行政サイクルとは、選挙から次の解散までとか、単一内閣期内、予算の編成―執行―決算といった予算循環のように何らかの行為主体を特定し得る期間を意図している。

        ;調査時点が持つ政治性、例えば予算編成期の前か、後か

        ;事前、事後、途中。一度、行われる事により変化したり失われたりするものがあり、しかも、

         その回復が困難な場合には事前が重視されるべきである。逆に、回復が比較的容易なもの場

         合には事中・事後を重視。事前・事中・事後に同じ比重を置けば良いというものではない。

 2-2-2 効果概念

効果とは:時点Aにおいてある行為によりもたらされたある時点Bにおける状況の諸変化のなかで望ましいと判断された性格・性質の変化のことである。

 この定義に従うと、効果概念には少なくとも@行為と変化の因果関係、Aもたらされた変化、もしくは無変化、B望ましいと判断する主体、C望ましい、もしくは望ましくない変化の四つの構成要素がある。

 今日、政策評価の基準として「望ましい変化」に必要性、効率性、有効性、公正性などが言われるが、これはそれを誰が望ましいと判断するかにより異なる。行政にとって有効性があると判断されても、民間では何ら有効感が感じられない場合もある。

 2-2-3 効果測定の効力

 変化に対応したテーマ設定

 

3. 総務省「政策評価」行政の問題点

「政策評価」行政は、会計検査院等いくつかの仕組みがあるが、省庁再編に伴う最大の「目玉」は「政策評価」が法制化され義務付けられた点にある。これによると、総務省行政評価局が省庁横断的に評価行政を行い、その結果は、唯一総務省が持つ勧告権により各省に対しなされ、各省はこの勧告に報告をする事が義務付けられる。これに対し、各府省は自己チェックのためのセクションを設け、総務省が提示した評価のガイドラインを参考とした自己評価手法を決定する。「必要な場合等」は第三者の活用を図るとしている。なおガイドラインは7月31日に発表された。詳しくは下記URLの総務庁行政監察局の「政策評価」のホームページを参照のこと。http://www.somucho.go.jp/kansatu/kansatuf.htm(「政策評価に関する標準的ガイドラインの案」等がPDFファイルでダウンロードできる)

総務省による政策評価ガイドラインにおける問題点

基本的に「政策評価」行政であり、自己評価である。お手盛り、形骸化、行政のための行政とならないか?

その対応策として第三者機関の設置を掲げているが、ガイドラインによると各省の第三者機関の設置は、「必要な場合」、「求められた場合」とあり、その「場合」を決定するのは各省自体である。中立、公正の観点から民間等の第三者によるチェックを「原則として」活用すべきである。

第三者として学識経験者、省庁OB、シンクタンク等があげられている。しかし、日本の民間シンクタンクは富士銀行系、野村証券系といった系列が如実であり、第三者機関として役割を期待するには信頼性に欠ける嫌いがあり、シンクタンクとしての職業規範が確立していない。また、何故、NGOが全く出てこないのか?

第三者機関の位置付けは、専門知識の活用よりも監視機能を重視すべきである。

総務省は他省庁に対して政策の見直し等について評価行政により影響力を持つ事ができるのだろうか。ましてや行政評価局は、総務省内の同じ立場の部局である郵政企画管理局(旧郵政省)、自治行政・自治財務・自治税務各局(旧自治省)等に、厳しい評価はしにくいのではないか?

 ガイドラインは地方公共団体には適応しないとしている。しかし、地方債起債の許認可や地方交付税の権限等を持つ自治行政局、自治財務局、自治税務局は同じ総務省の傘下にあり、間接的であれ地方公共団体に対し総務省は「行政評価」+「政策許認可」という強力な統制力を持つことになる。実際、山本清助教授(岡山大学経済学部)は「公的部門におきます評価の目的でありますとか機能といったものはどういうものがあるかというふうに申し上げますと」、「第一点は、統制という目的でございます。これはまさしく、公的部門におきましては税金等におきましてある程度強制権限でもって徴収した財源をもって行財政を執行するわけでございますから、当然その結果に対しまして評価をしてコントロールしていくといったことが必要になるからでございます。」と答弁している(行財政機構及び行政監察に関する調査会、参・1998/03/11)

 ガイドラインでは、「政策評価と政策評価を除く行政評価・監視とは、明確に区分されるものとし」とあるが、従来の行政監察報告における手法と、政策評価の手法での大きな相違というものは、「事前評価」の導入以外には、余りないのではないか。これを「各省庁に対し調査に入るに際して入り口が異なる。」、「手続きの相違」と説明されたが、「手続きの相違」なら正に整理・調整されるべきことである。監察では「合規性、適正性、効率性」が強調されるというが、「明確に区分される」というのであれば、これらは政策評価では強調されないということになる。

 せいぜい、実績評価(達成度的観点によるベンチマークのようなもの)の説明において、5年程度の時期が目標設定期間とされているに過ぎない。事前評価の政策規模については事業評価くらいのものであり、マクロな観点で事前に戦略評価をしようとする性格がない。ビジョンの構築性に欠ける。

 

4. 「政策評価」への提言

 日本の政策評価は未だ導入前にあり、先行したアメリカでも段階的導入がはかられており、メタ評価の検証を行う状態にはない。行政としての政策評価には、そもそも根本的な限界がある。官僚に省益を越え行動することを要請することは、場合によっては組織内における自滅行為を要望することと同じであり、基本的に行政の外部からの評価機構が必要である。行政部内において厳格でより中立的な評価機構を望めば、それは第二の内閣法制局、あるいは大蔵主計局を生み出すようなものであり、評価機構そのものが官僚制の弊害を引き起こすことは必定である。このような「政策評価」行政の問題点から、基本的問題として、今後、行政評価が機能し得る環境とは何か、機能しにくい環境とは何かが、議論される必要がある。

 

評価が機能しにくい環境

評価が機能する環境

@

官民の間での信頼関係の失墜

  情報の非公開

  市民参加の形骸化

市民参画と情報交換による信頼醸成

情報革命による情報公開のコスト低減

住民参画の可能性が技術的に増大

A

競争原理と危機管理の不在

常識的な危機管理と能力競争が可能な行政人事

B

説明責任の不在

情報革命による対話型説明の可能性

C

評価主体と被評価主体の垂直的関係

評価主体と被評価主体の水平的関係

D

行政による自己評価

行政の外部で行政に拮抗力ある評価主体の存在

@ 公務員制文化の問題 官尊民卑、反体制的市民運動、官僚へのラベリング。

官僚を「悪玉」と一方的に決め付けるのは疑問。例えば建設省の公共事業見直しのプランは省内的にはその検討が1996年(平成8)頃から始められていた。官僚機構はその生き残りのためにも、省内的には改革案を先取りして検討する。要は、省内のものをどう引出すかではないか。

 「評価」は通常の日本語では肯定的なニュアンスを持つが、昨今の議論は「無駄がないか」、「不正がないか」が中心である。ネガティブな評価も必要であるが、優れた行政は取り上げ広く紹介するという手法がないと、行政官の政策評価行政に対するモラルが上がらないのではないか。

A 政策評価には「人材評価」の視点が全くない。機構と政策だけを評価対象とし、ネガティブな評価とあってはいよいよもってモラルはあがらない。また危機管理の面では行政官個人レベルにおける緊張感が生まれにくい。

B 説明責任の革命 

C 政策評価と分権 評価の逆ベクトルと国会付属のフィードバック機構

D 行政評価機構の安定性

財政危機に直面しているときに政策評価行政の予算が安易に削減されたり、他部局の圧力に合うことを避けるためにも独立性の高い機関にするべきである。またこの機構の要員は専門性が高いので特別な人材教育が必要であり、外部の影響力から守るために一定の身分保証が必要である。