戦後半世紀、時代の終りを実感することが何かと多い。世相は、ともすると世紀末の慨嘆に流れがちである。しかし、全ての終りは、新たな始まりでもある。新たな世代の登場は歴史認識に新たな視点をもたらす。問題はその新たな視点との対話をどう築くかにあるのではないだろうか。それは冷戦思考と戦後日本の客体化による戦後責任の批判的継承となるのではないか。
冷戦の形成が、先の大戦末期における米ソ間の戦後構想をめぐる対立にあったことは今更、指摘するまでもないことである。従って、冷戦は戦争の産物であり戦後責任には冷戦に対する責任が含まれる。ここで言う冷戦責任とは、国際冷戦に対する責任ではなく、国内冷戦による言論の自己規制、もしくはそれに伴い発想が拘束を受けていたことに対する責任である。本稿の冒頭で示した笹本征男氏や、堀場清子氏の研究は原爆をめぐる戦後責任・平和主義の意識構造にあった盲点を、鋭く指摘したものであったが、この盲点が戦後半世紀に及び省みられなかったのは、他でもない冷戦力学のためであった。
戦後、一時期とはいえ左右両翼の特定の政治勢力はアメリカやソ連の核武装を容認し、国内的には被占領状況に対し自己を最も正当化できるような位置から自己表現してきたことの帰結がここにある。歴史認識における国内冷戦は、その論争を通じ左右の対立構造内においては新たな論点や視点を提起したと言えるが、その他方、緊張した対立関係は左右双方においての内部批判の形成や自己批判に関わる発想の余地を減少させてきたと言えるのではないだろうか。今後、歴史認識をめぐる左右の対立構造そのものを客体化し、その意識構造を綜合的に批判することが必要である。
ベネディクト・アンダーソンは国民国家を「想像の共同体」と位置づけたが、この概念は必ずしも非欧米圏の政治文化には該当しない。なぜならば、非欧米圏において国民国家は想像の対象ではなく、適応すべき、採用すべき、或いは選択の余地の無い世界システムだったからである。このため、その統合の理念のベクトルは、未来志向の対内的な契約観念−その典型はルソーの社会契約説となろう−ではなく、むしろ、失われた歴史や、歴史に対する自己決定権の回復といった回顧志向による対外的な擬似伝統的な観念に向けられていた。我が国ではこの回顧のベクトルは、戦争の記憶をめぐる共同体という「戦後日本」を半世紀にわたり持続させてきたのである。この意味からすれば、占領改革と独立から約半世紀、ようやく被占領心理という同時代性から決別した世代が登場したことは、歴史認識とアイデンティティーに新たな展開をもたらすと言える。それは、言わば記憶の共同体から、想像の共同体への展開である。冷戦後世代には、これまでの世代と比べれば発想の基底を存在拘束するような外的、内的要因(つまり、国際冷戦と思想の国内冷戦)が少ない。このアイデンティティーの自由が、「新たな日本」を形成するのではないだろうか。
「新たな日本」という言葉に抵抗感を持たれる読者もいるだろう。筆者において、それは世界市民概念と日本市民概念の相互補完により形成されるべきものであることを改めてお断りしておきたい。人は決して、生れくる時代、国を選ぶことができない。現在の我々が今の日本を選ぶことができなかったように、戦中の日本人もまたあの時代の日本を選ぶことができなかった。何人も自らが生れる環境を選ぶことができないのである。それゆえ、「選ぶことができなかった」ということを理由に、自らが生れた「場」に対する責任を放棄することができるならば、いかなる責任をも人は負わなくてもよいことになるのではないだろうか。その他方、今現在、我々がつくるこの国のかたちは思うと思わざると次世代の「祖国」となるのである。二一世紀を前に「祖国」を考え、民族意識と民族主義の峻別を主張する理由は、この一点に尽きる。