山口定氏は戦争責任問題の世代的継承について、未来責任という概念を提示したが、その問いの根底には次のような現状認識があった。
「孫に対してオジイサンの責任を提起するのは、‘民族’としての責任の連続性を主張する民族主義の論理にでも立たない限り−そして私は民族主義者ではないのですが−どうしても無理がある」4)「『民族の一員としての責任』という論理に依拠することなしに、いかなる意味において、責任問題を提起できるのか、ということを考えぬく必要がある」5)
筆者(一九六三年生)は、かねてからこの戦後世代から冷戦後世代への掛け橋となることが自己の世代の一つの使命であると考えてきた。従って、この山口定氏の問いに私はいかにして答えるのかが、本論文の目的でもあった。結論を先に述べると、類的普遍性という観点と「一員としての責任」という観点の双方の相互補完により、新たな冷戦後責任という思想構築を目指すと言うものである。特定少数の知識人であれば、類的普遍性にのみ依拠してゆくことも可能であるが、戦争責任に関わる思想は常に、一定の民衆性を視野に入れておくことが必要である。従って、相互補完により「民族の一員」という意識が持ち得る危険性を抑止しつつ、その他方、この島国ではともすると実感が乏しくなる類的普遍性とにう観念に何らかの実態感を与えることを意図したのである。これは冷戦後世代の起点に位置する筆者による、山口定氏の提起した未来責任概念の批判的継承である。
「民族の一員」という価値や意識を排除することに無理があるとしたのは、主に以下の理由からであった。
@ 民族概念の適用に二重標準があるということ
A 民族主義と民族意識は区別されるべきこと
B 歴史認識とアイデンティティー
戦争責任・戦後責任において民族概念の摘要には常に、ア)日本民族と他の民族との間で、イ)責任主体の定義において、二重標準があったのではないだろうか。
● 自民族と他民族
例えば、これは民族自決権とどのような整合性を持たせたらいいだろうか。侵略への反省は、当然、尊重されるべき概念として民族自決権があるということを前提としている。また他民族の自決権を尊重するとは、それは単に国家主権に止まるものではない。それは特定の文化圏を共有する人々(この場合、複数の民族による特定文化の共有を含む)には、その文化圏に固有な尊厳があることを承認することを含む。こうなると他民族の民族概念は尊重し、自民族については「民族」という概念によらずに考え抜くということは、その二重標準において余り説得力ある論理となり得ない。
そもそも「民族とは何か?」は、アカデミズムでは常に論争的な概念であり、なるほど現実には、民族規定は学問的にではなく、合理的にでもなく、権力的に、経験主義的に規定されたものである。また、それが共同幻想であり、虚構に過ぎないということもあまた指摘されてきた。しかし、民族が虚構であると論文で何百本指摘することは容易であるが、現実の国民国家を基本とした世界を変容させることは困難である。かつては欧州統合が先進事例一つとして説得力を持ったが、今や、コソボに代表されるように民族概念を陳腐、虚構とみなすことは、何等、現実に説明力を持たない。
また、仮に民族は虚構に過ぎないと、過小評価した場合、次の問いにそのような人々は何と答え得るのか?。そういう主張は、次の問いに対する説得力ある、そして対話性ある思想構築の後にしていただきたい。すなわち、我々は分断された南北コリア民衆に向かい、民族とは陳腐な概念であると言えるのであろうか?、あるいは東西ドイツの統一の意義は、そもそも民族概念に価値を見出さないとするのであるならば、何もさして評価すべき事柄ではないのではないか?。世界精神は、未だ類的普遍性を共有し得る発達段階に至っていない。当面、現実味ある予測の範囲において国民国家がそう簡単に消滅するとは考えられない。
●責任主体の定義
戦争行為が、加害と被害の線引きとして国家間を単位に引かれる以上、「民族」の枠は理念はともかくとして、そう簡単に「克服」できるものではない。粟屋憲太郎氏は台湾で映画『侵略』の上映に際し、講演を行った。映画が終わるとほとんどの人は拍手をしてくれたか、一人の老人が「急に立ち上がって、こんなひどいことをされて拍手するとは何事か」「許せない、日本人が信用できない」と。主催者が粟屋一行を「この人たちは日本で闘っている人」「そういうこと(日本の侵略)を究明しようとしている人たちなんだ」と、いくら説明しても、「私らに対する怒り」を解いてはもらえなかったという6)。
このことは「相手からどう思われているのか」ということを考慮にいれておくことが、戦争責任・戦後責任を考えてゆく上での重要な前提の一つである。特に被害の側において主体認識として「民族」の枠を離れることは当面ありそうもないのが現状である。明らかに、加害意識よりも被害意識のほうが世代継承されやすいのである。
もちろんこの件について、山口氏は過去の「けがれの清め」を意図して「民族」の概念を越えようと主張しているではない。しかし、この点について山口氏は氏の見解が「誤解」を受けやすく、正しく理解されていないことを述べているが、民衆性を視野に入れて考えるのであれば、やはり「誤解」を招きやすいような主張では、新たな時代への責任思想の構築は困難である。「誤解」される側にも責任がある。この点に戦後責任に対する筆者の批判的継承がある。つまり余りにも彼等は「誤解」され、その結果、「自虐」史観の批判と反動史観の台頭を招いたのである。反動史観の批判と同時に、そのような状況を作り出したことに対する自己批判もあった方がいいのではないか。おそらく、そのようなことは若手の研究者の殆どが敢えて公言をしないだけで、薄々誰もが感づいていることに相違ない。
「人間として」という普遍的立場から過去の戦争をとらえ直す、ということの可能性を否定するものではない。しかし、この立場に限定して考えたとすれば、対象とされる戦争は何も「日本の戦争」である必然性はない。それは朝鮮戦争やベトナム戦争に関する戦争責任問題もあれば、湾岸戦争やユーゴ紛争の問題においても成立し得る。過去の戦争から、現在の戦争へ、今日的視点への問題提起へ。この方向性は正しい。しかし、こうなると冷戦後世代にとってこのような方向性と日本との関わりは何によって得られるのだろうか?。それを唯一結び付け得る要素、やはり、民族意識だろう。勿論、市民意識という表現でも構わない。しかし、その場合の市民とは、やはり「世界市民」という側面だけから日本との関わりを意識するのではなく、「日本市民」という観点から意識されるのではないか。
しかし、戦後、戦争責任問題を前向きに捉えてきた思潮は、一般に民族意識を、軍国主義、ファシズムの温床として一方的に否定してきたため、民族意識から展望を引出すという発想は殆ど見られなかったと言える。平和主義にはその提起に「日本人として」とか、「日本国として」という立場があってはならないのか?。平和を愛するということと、日本を愛するということは、何故、対立的なものでなければならないのか?。
そもそも愛国心は、それ自体が罪悪と言えるだろうか。真に問題なのは、愛国のためならば如何なる自己犠牲をも省みる必要はないとするような極端な愛国主義であり、逆に共同体の成員が共同体に何らかの親近感を持つことは成員としての自覚や責任認識にかなり重要な役割を果たすはずである。このような意識において、明らかに程度は質を伴うものであり、この意味において民族意識と民族主義は峻別されるべきである。極端に民族意識を排除することは極端な愛国主義と同様、何らかのいびつさをその成員の意識にもたらしたと考える。自由主義史観と世上、言われるところの「自虐史観」は正にその典型である。
そこで、これは筆者の提案であるが、民族主義の否定と民族意識の肯定が両立し得る方法論を考えることが今後、いよいよ重要となるのではないだろうか。そして、これは批判的継承においては、ステレオタイプ化された見解を安直に受け入れることを抑止し、左右双方を批判的に継承する―いずれかが完全に正しく、他は完全に誤りであるというのではなく―ことへの入り口となり得ると考えるのである。このような複眼的視点から、はじめて民族を超えた普遍的視点への経路が見出されると思うのである。
本章で提起したことの根本をより抽象化して言うならば、
「特定の秩序とその成員の関係について、成員がその秩序に責任ある主体として自らを認識するには、どのような条件が必要なのか」
という問題である。「責任ある主体」としての意識には、当然「一員としての意識」が含まれる。問題はその成員への帰属意識が、何によって説明され、成立しているのか、ということである。社会「科学」は、このための「説明」や「成立要件」から、非合理的な要素や精神主義的な要素、そして宗教的な要素、要するに合理的には説明のつかない要素を努めて排除してきた。従って、ここでの問題提起に対する帰結は、以下の言葉によって完結するはずである。
「成員と秩序との関係が契約的な観点においてのみ成立し得るデモクラシーが、最良のデモクラシーである。」
それでは、冷戦後世代にとって戦争責任問題の何らかの継承とは「契約」なのであろうか?。「契約」であれば、その破棄もまた権利として認められるはずである。戦中・戦後世代はその「破棄」をどのような論理を持って受容するのであろうか。
ナショナル・アイデンティティーの減少には、戦後民主主義における理念による理由と、都市文明における不可避性という二つの理由が存在する。
我が国では、戦後民主化が占領下の改革としてナショナリズムと逆行したため、デモクラシーの担い手像は、もっぱら普遍的で、抽象的な市民観念に依拠せざるを得なかった。勿論、戦後民主主義の、実際の担い手、特に自由主義者の多くは「大正デモクラシー」の世代であり、そこに議会デモクラシーへの理解の足場を置いていたと言える。しかし、アカデミズムにおいて保守主義の潮流を除けば、凡そナショナル・アイデンティティーの概念と民主主義の理念は親和性を持つことはなく、双方は敵対的な関係にあったとさえ言える。
集団的アイデンティティーを否定し、個人としての人格形成、自足、自立を求めることは近代個人主義の一つの姿である。この立場からすれば、民族意識を希求することは陳腐であり、我々がナショナルと言うに足るものを捜そうとしたら、それこそ過去にあった相違の痕跡を求め史跡を訪ね歩くとか、海とか山とかといった自然景観ぐらいでしかない時代がくるのかもしれない。
その他方、現代都市文明社会では、個々人の生活史や人生において集団的アイデンティティーが持つ意味が、ますます低下することは不可避である。さらに言えば、自己の意味付けに集団が持つ意義が低下し、「家族」さえも解体の危機に瀕している。そのような傾向は、世代が若くなれば、若くなるほど強いと言えたとすれば、確かに冷戦後世代は「日本人」の痕跡を残していない「国籍不明」の文化世代と言えるかもしれない。
しかし、アイデンティティーの希薄化がもたらすのは、言うまでもなく必ずしも良いことばかりではない。例えば、選挙デモクラシーは成員が社会に帰属意識を持たないところでは有効に機能しにくい。一般に住民意識が低いところでは、政治的関心も低くなる。市民意識なき市政、都民意識なき都政、国民意識なき国政というものは経験則からして余り説得力のあるものではない。そのような社会では比較少数でも高度に組織化された集票集団が、投票せざる多数者を制して政治決定を占有するということは、我が国の今日の政治状況を見れば明らかである。
また、秩序があっても成員間のアイデンティティーが希薄な代表的なシステムが、資本主義市場システムに他ならない。世界市民と地球規模化した市場システムは、果たして我々に新たな自由概念と希望を託し得るものなのだろうか?。果たして、類的普遍性に依拠しただけの世界市民はグローバル化した市場主義に勝てるのだろうか?。我々にとってそれは新たなる自由概念なのか、それとも座標が消滅した空間を故郷喪失者として漂流することなのか?。
これら現状が示唆することは、ナショナル・アイデンティティーによるデモクラシーの再生が展望できるほど日本人は「幼くなく」、さりとて、類的普遍性にのみ依拠するには余りと言えばまだ「若い」ということではないだろうか。そもそも、責任主体をどのうような概念に依拠することで構築するのか、という問題は個々人により異なるだろう。その多様性は容認されるべきであるが、重要な点は、そのような思考のあり方が、一つの特定の秩序にいる一人の自己だけを想定とした閉ざされたものであってはならない、ということである。
つまり、「私」と社会との間について考えてみたことではなく、「私たち」と社会の間について考えてみたことでなければならない。「私」個人の思考の中に「私たち」との対話を想定―想定などではなく、実際にそのような対話を踏まえたものであればなお良い―が必要である。この対話において、始めて「一員として」の意識が意義を持つ。そして、今この「私たち」に筆者は「冷戦後世代」を加えて欲しいし考える。かつて、戦中世代が、その「私たち」に「戦後世代」を加えていったようにである。戦後責任の思想に欠如していたのは、他でもない、このための対話の想定であり、そして、正にこの対話そのものであった。余りと言えば、冷戦後世代を「聞き手」の対象に限定しすぎたのである。次に、その語りのあり方を考えてゆくこととしたい。