(1) 冷戦後世代とは何か
前節では唐突に「冷戦後世代」という言葉を用いたが、一応その概念の規定をしておこう。筆者はこの言葉を、抽象的に、そして消極的に定義している。「抽象的」というのは、具体的に何年以降に生まれた世代というように理解はしていないからである。強いて言えば、政治・社会に対する価値形成が始まる前(個人差もあろうが、大体十代前半頃までか?)に、冷戦崩壊があった世代ということになる。従って、概ね一九七〇年代以降に生まれた世代がこれに該当するということになろうか。「消極的」というのは、この一群の世代のアイデンティティーが何か特定の観念体系によって代表し得るというものではないことによっている。筆者流に定義するならば「戦後を知らない子供たち」である。象徴的な例礼として、例えばこの世代は、まず「戦争を知らない子供たち」という歌の名前も知らない。戦後世代のアイデンティティーの一つに、この「戦争を知らない」という認識があった。「そこには、体験することがなかった戦争時代への尊重があり、そこから平和への意志を確認し、戦後の平和を謳歌したのである。」
しかし、冷戦後世代に「戦後を知らない子供たち」という歌は存在しないし、別して「知らない」ということがアイデンティティーの核心を形成しているわけでもない。この世代は二つの観点でアイデンティティーが希薄である。第一に、同時代史型社会が崩壊した世代であり、国民的体験とか、国民的な生活文化の様式といったものが少ないか、減少しつつある時代の世代である。第二は、冷戦崩壊が象徴されるように求心的な観念体系が不在の時代にいる世代である。このため、左右双方のあらゆるものが批判対象であり、「右」も「左」もひっくるめて「前の世代」となってしまうことがある。
この彼等は戦争をどう認識しているのか?。一九九五年六月上旬、明治大学理工学研究科(大学院生)、早稲田大学理工学部学部1・2年生の合計八二名を対象に、ささやかなアンケートを試みた3)。念のため冒頭でお断りしておくが、これは決して統計科学的な調査ではない。またそのような意図をもって行ったものでもない。サンプリングには偏りがあり、学生の公正な意見分布を反映するものでもない。従って、意見分布の比率は目安に過ぎない。強いて言えば、サンプリングについて次のこと位は言えるだろう。
(2) 冷戦後世代の事実認識
ここではまず、事実認識に関する三つの質問とその回答結果並びにその分析について見てゆくことにする。なお、事実認識に関わる個々の設問は戦争認識を的確にとらえるものとして有効なものと筆者は考える。この設問は現代史の会を主催した藤井忠俊氏が、かつてその研究会席上において、やはり学生に対して行った質問であるとして、紹介して頂いたものである。
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8.5%( 7名) |
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22.0%(18名) |
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2.4%( 2名) |
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以上の問1〜3で、アジア・太平洋戦争に対する基本認識がわかる。これは調査前から予測がついたことであるが、学生の圧倒的多数が「太平洋戦争史観」による対米敗戦という認識を持っている。その他方、「いつ始まったか」という設問に対し、無回答、その他を合計すると全体の33%がアジア・太平洋戦争について曖昧な認識を持っていたことを示している。また、この設問に1937年と答えた四名の学生全員が、戦争の呼称を「太平洋戦争」もしくは「第二次世界大戦」と回答しており、戦争勃発の原因に関する知識と戦争の性格評価との間に因果関係が見られない。同様の傾向は1931年と回答した学生四名にもあてはまり、戦争の呼称を「十五年戦争」としたものは一名だけで、他は「太平洋戦争」、「第二次世界大戦」と回答していた。また、十五年戦争と答えたもう一人の学生は、戦争の始まった時期を「1930年頃」と回答した。昨今、歴史研究者間で提唱され始めたアジア太平洋戦争という呼称を用いた学生は一人もいなかった。
後にも述べるが、今日の学生にとってアジア・太平洋戦争が侵略戦争であったということは常識となっている。しかし、そのような学生の認識においても「アジア」に中国が含まれているものが殆どない。中には負けた国をアメリカと記して、わざわざ、「他には負けていなかった」と付記するものもいる。学生の大多数は謝罪すべきと認識しているようだが、何の何に対する謝罪なのかという謝罪の対象と内容という段階になると、朝鮮人の強制連行問題とか従軍慰安婦といった報道される頻度が高い事項に集中している。
一般に若い世代の戦争認識は、「人間として許せない」という発想に依拠していると思われる。それ自体は正当な認識といえるが、やはり、謝罪の対象が何かについての知識が欠如している。やはり、アジアの「常識」として近現代史の教育が重要である
他方、どの国に負けたかとの設問は、国名を選択肢から選ぶというものではなく、空欄に国名を自由に記入させる方式を選んでいた。その結果、わずか三名とはいえ、日本は日本に負けた、という見解を得た点は興味深かった。なぜならばこの回答は、明らかに先の戦争について克服すべき問題点が日本自らの内にあるという自己内省的な観点によっているからである。
(3) 冷戦後世代の責任認識
1.全く関心がない |
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2.余り関心がない |
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3.どちらともいえない | 15.9%(13名) |
4.少しは関心がある |
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5.非常に関心がある |
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戦後50年ということで、報道の影響のせいもあり関心度は予想したよりも高かった。「全く関心がない」、「余り関心がない」、「どちらともいえない」と回答したものの多くは、過去の戦争に対して「実感」や「体験」がないため関心が持ちにくいということを頻繁にその理由として挙げていた。体験を手がかりにものを考えようとする若者にとってある意味で当然の結果といえる。しかし、「余り関心がないが、関心を持とうと努力している」「日本国民として関心を持たなくてはならないことかもしれないが、個人的に特に関心はない」といった発言からも伺えるように、必ずも「無関心」を肯定したり、正当化しているのではない。
「少しは関心がある」というのが最も多く全体の半数を占める。その理由を「非常に関心がある」と回答したものと合わせて検討してみると次のようになる。最も頻繁なものとしては「二度と繰り返してはいけない過去であると思うので」、「次世代に伝えるべきだから」といった見解があげられた。特に「日本人はなぜ、自分達のしたことを謝罪できないのか全く理解できない」とあるように、戦前の日本の正統性を主張するような政治家の暴言・放言には不快感すら示すものが多い。少なくとも、加害の否定や過去の一方的な肯定は同意し難いものとなっている。
1.全く正しかった |
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2.大部分は正しかった |
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3.少しは正しいことをした | 6.1%( 5/ 1名) |
4.わからない |
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5.回答したくない |
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6.全く間違っていた |
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7.大部分は間違いであった |
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8.少しは間違いがあった |
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数値だけでみると全体の約7割が否定的な評価を下していることになる。「全く間違っていた」「大部分は間違いであった」を単独で選んだ回答者の多くが、その理由として「侵略戦争であった」「戦争自体が間違いだから」という事実認識を示している。以下の分析では、選択肢を一つだけ選んだ学生の理由についての分析を先ず行う。
「大部分は間違いであった」という選択肢には当然、「間違い」という一点にだけ評価を集約することはできないという意味あいが含まれている。この選択肢を単独で選んだ32名の内9名がこの点について理由を述べている。それらの見解を要約すると、帝国主義が世界を動かしていた当時にあって日本の帝国主義だけが非難されることに疑問があり、またそのような世界情勢下では日本が膨張主義的帝国主義となったのはある程度仕方がないのではないか、ということになる。なお、こういった見解は「当時としては」という前提によっており、「だからといってアジアの人々におこなった行為が許されるとはおもわないことも加えておく」というある学生の言葉は、おそらく、この9名全員の共通認識と思われる。このように、加害行為に対する評価と当時の帝国主義に対する評価が分離している点に特徴がある。この分離の傾向は「少しは間違いがあった」を選択した学生も同様であった。ここでも「間違い」を認識する最大の理由は加害の認識であり、他方「全く間違い」とは言い切れないと判断する根拠に戦争をする以外に仕方がなかったのではないか、という認識がみられた。
次にこの設問で三番目に回答が多かった「わからない」(15名)についてみてみる。ここでは「知識が少ないから」等の文字どおり「わからない」が4名。「戦争を経験していないので、何も言う資格がない」が1名。質問の意図を不明とするもの1名。理由を書いていないもの1名(しかし、消しゴムで消した跡があり「根本は正しい」との筆跡があり、さらに選択肢にも「少しは正しいことをした」を選んだ形跡がある)。国民は政府により戦争強力を強制されたが2名。他の6名は全員が、今日の価値尺度で過去を評価することに否定的である。たとえば、「そのときの状況などによって、各々正しい・正しくないという認識があると思うから」「彼らが正しかったかどうかは本人たちの基準でしかわからないので私にはわからない」「世界全体がそういう雰囲気だったのだから正しいとか間違っているとかは言えない」。
これら現在の価値観と過去の評価基準との分離の傾向は複数回答を選択した学生に顕著に現れる。「全く正しかった」と「全く間違いであった」の双方を選択したものは、その理由として「現在の常識で考えれば間違いなのだろう。当時の常識では正しかったのだろうと思う」と回答している。「わからない」「大部分間違い」を選択した学生は、「現代の倫理的な見方及び1人の人間としての感情からは日本のしたことは、全く許せないものであるが、近現代の世界史の流れからみると先の戦争は必然的なものであったのではないかとも思われる」。また、「少しは正しい」と「大部分間違い」を選択した学生も「日本国民の生活を守るためには、あのころ戦争が唯一の方法に思えたのだと思います。けど結局やったこと悪いことが多かったように思います」。
この分離の認識にはいくつかの原因が考えられる。第一にそれは学生にとってもう「終わった」遠い過去の問題であるという認識である。ある学生は「関ヶ原の戦い」を引き合いに出し、戦争の是非を問われても答えようがないはずだと述べている。第二は、学生といはず、一般に日本人には世界史の歴史展開の主導権が西欧にあるという歴史認識が底流にあるのではないか。第三は学生のニヒリズムである。それは正しいものなどこの世にあるのか、といったシニカルな態度である。アンケート調査を通じた学生との対話で、『「正しい」て何だ?』という何か不信感に満ちた学生の質問に、しばしば、遭遇し当惑した。青年的気質ということもあるのかもしれないが、なにがしかの世相の反映ともとれよう。価値と思想が多様化し、特定のイデオロギーや観念体系が強力な求心力を持つという時代は終わった。それに代わって、懐疑主義的な傾向が強く、それは青年的気質においては、物事を断罪したり、価値判断しようとする行為、それ自体への強い不信感として現れるのである。この傾向は今後も無視できないものとなるだろう。
1.戦後世代には責任は全くない |
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2.戦後世代には余り責任はない |
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3.わからない、日本の過去についてよく知らない |
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4.戦後世代にも少しは責任がある |
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5.戦後世代も戦前・戦中世代と全く同じように責任がある |
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6.全く間違っていた |
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7.大部分は間違いであった |
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8.少しは間違いがあった |
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単刀直入な設問となったが、戦後責任と言わず敢えて戦争責任としたのは、一つには「戦後責任」という言葉が、一般の学生には余りなじみがないと判断したからである。また「余り責任はない」と「少しは責任がある」は、程度の認識として後者の方が前者よりも強い責任認識を意味するものとして選択肢を設けた。もっとも、そのニュアンスを必ずしも被験者が共有しているわけではないので、設問としてはやや不適切であったかもしれない。この設問では、選択した回答の如何に関わらずその理由の中から学生の戦後責任に対するイメージをつかむことができる。
「責任は全くない」43.9%という回答に対し、程度の差はあれ何らかの責任を認めるもの(2.4.5.の回答を選んだもの)の総計は47.6%になる。責任の有無はこの世代で鋭い争点になっていると考えられる。また、「責任は全くない」を選んだ者もその理由の中で、直接的な戦争責任はないとしながら、戦後責任に相当する考えを述べている学生もいた。ちなみに「戦後責任」という表現を用いたものは一人もいなかった。
「責任は全くない」を選んだものが最も多く、その理由に「生まれていないから」を多くのものがあげている。この設問に反感を覚えた学生も多く「寝ぼけてんじゃないよ」「責任転嫁」「責任のなすりつけ」といった強い否定の言葉が散見した。しかし、戦後補償の必要はないとか、もう過去の清算はできているといった現在における日本の責任そのものの否定を言うものは二名に過ぎなかった。この選択肢を選んだものの内5名が戦後責任について次のような見解を述べた。「現代の歴史教育には大いに疑問はあるし過去を直視しようとしない一部民衆(戦後世代を含めて)には大いに異議あり」「これから戦争をしないように努めるのが若者の義務」「過去の世代の人々が、果たしきれなかった責任については何らかの事はしなければならない」「責任を負った方が有益であると思われれば責任を負うべきだし、はねつけた方がよければ負うべきではないと思う」。
「わからない」と答えたグループは、根本的な知識の欠如によるものもある。しかし、例えば、「?」とか、「お前のじいさんのせいだとか言われてもこまるし、かと言って戦後処理を昔のことだからといって責任のがれするわけにもいかない」といった、戦争責任に困惑した表情が目に見えるような回答が寄せられた。
「余りない」と答えたグループは、責任継承の是非について戦争責任を戦後世代に負わされることへの疑問がより強かった。「そういう考えは学者のへりくつ」「経験していないことを言う方が無責任」といった強い表現にそれが現れている。この「余りない」のグループが継承の根拠とした点は二つに大別される。まず、「一応被害者は今でも怒っているし、怒られている対象であるということは、やはり怒る気持ちも分かるからそれに対して対処していかなければならない」「相手国の人などには、まだまだ、気を使わなければならない」といった、相手の立場にたってみた認識である。次に、「国」を継承の枠の単位として考えようとする傾向も見られた。しかし、「国民という集団において“責任”というわけではないが、過去の事実として心に留めておく義務はある」「戦後世代の人が行ったわけでもないが『日本』という国がやったことだから」「国という枠組みで考えれば責任はないとはいえないが」等、歯切れの悪さがあることは否めない。
しかし、こうした中で次の見解は責任の継承について一つの理論を提示していると言える。「人はどこに生まれるか、自分の意志で選択できないから今日の若者に責任があるとは思われない、しかし、人は自分の生まれ育った環境と無関係に人格を形成できないので、全く責任がないとは言いきれないと思う」。
このような「生まれ育った環境」との関係という認識において、次の指摘も示唆に富む。「アジア諸国の人々に対して差別的な意識をもっていたりすることは、結局、戦前世代の教育を受けてきたからであり、その意識を変えないかぎり、また新たに道義的な責任を負うことになる」。あるいは、そうした「差別的な意識」について、「意識下に根づいてしまったら、それはその人の『考え方』となり、やがて次の世代へも伝わってしまうかも知れない」。
このように「生まれ育った環境」との関係とは、前の世代から自分たちの世代へ、そして自分たちの世代からその次の世代へと、いわば戦後責任から未来責任へと必然的に展開してゆく。「歴史は過去の事実のラレツではなく、未来へとつなげる為のものである」、「過去は過去として認め、今日まで責任を押しつけるべきではない。それよりも、未来の平和と、安全を願うことが先決であろうと思う」、「これから戦争が起きれば、それは第二次世界大戦の反省を生かしていないことになるので、それは現在の若者に責任がある。」
「少しはある」を選んだグループは「余りない」と比べて、責任継承の根拠に「国」という枠組みによる継承を余り抵抗なく受け入れている。「なぜなら日本人であるから」「先祖がおかした過ちを我々子孫が少しでもつぐなうべきではないか」という率直な表現も見られた。もちろん、「先人がしたことの後かたづけはしなくてはならない」「『親の借金は子が返す』的考えより」といったように、責任継承は明らかに負の遺産である。しかし、ここでも次のような未来責任の志向が現れる。「世代とはつまり人間の『死』と『生』の繰り返しによるもので、一つのつながりである。それを、前世代のことは自世代と無関係にすることはできないし、次世代のことを考えない行動をとることもできないはずだから」。また、戦後責任として、「戦後補償の問題をどうするかという事を政治参加という方法で示してこなかったことに責任はある」「戦争責任を完全に果たさずにいる国の態度へ無関心な者が多いこと」等、現状に対する厳しい批判が見られた。
「全く同じように責任がある」を選んだ3名は過去に対しても、現状に対しても厳しい見方をしていると推測する(この3名はなぜか理由を余り多く記していない。責任継承を当然と考えているためであろうか)。しかし、「戦前、戦中世代が無責任である以上仕方ないから」とあるように、責任の継承そのものが被害なのである。
さて、この章の小活として、これら学生の回答から構築し得る責任思想とは何か、筆者の見解としてその可能性を模索する方法について述べておきたい。まず、世代的継承と批判的継承の二つに分け、このアンケートの事実認識に関する回答を世代継承との関わりにおいて、責任認識に対する回答を批判的継承との関わりから考えてゆきたい。そして、世代継承においては、民族意識と民族主義の峻別を、批判的継承においては「語り」のあり方について問題提起をしたい。