戦後終焉の年の戦争認識に関する研究動向を三つの範疇にまとめてみた。
@ 「歴史認識、戦争責任」といった過去の評価に関わる問題
A 「封印された記憶のリヴェール」としてこれまで看過されてきた点についての問題提起
B 「死者との関わり、遠ざかる戦前(戦中)」といった記憶の成立要件に関わる問題
@は、最もステレオタイプ化された例としては、「聖戦か、侵略か」として、従来から延々と繰り広げられてきた論争やその周辺を示している。これについて本稿では立ち入った議論をするつもりはない。むしろ、@に対し新たな問題としてAの「封印された記憶」があり、さらに、記憶の風化と冷戦後世代(それは戦後世代でもない)の問題としてBがあった。
Bの代表が笹本征男『米軍占領下の原爆調査』(新幹社)であった。同研究は、
また、堀場清子『禁じられた原爆体験』岩波書店、同著『原爆 表現と検閲』朝日新聞社も、原爆報道について、
ということを明らかにした。
このような研究の大きな意義は「戦後責任」の新たな取り組みを提起した点にあると言える。それと同時に、旧来の言説の知的権威に一定の後退をもたらしている点にも注意が払われるべきである。例えば、笹本征男氏はアメリカに協力した日本側の調査団の医師の一人に加藤周一氏があり、その加藤氏の回想においても「当時の大日本帝国の原爆被害利用という国策とそれに協力した自分は見えていなかったとみるべきであろう」2)と指摘した。勿論、この一点をして多様で膨大な加藤氏の業績を評価することはできない。
しかし、おおよそ時代の節目、世代の交代において、従前の時代の思想は常にその枠組みや存立の基盤が再検証されるものである。これを批判的継承とここでは呼ぶことにしたい。継承が、何ら批判を伴うことなく行われるのであれば、それはいずれ陳腐化し、知的に躍動を失い、単なる党派性の継承になってしまうであろう。その意味でこれは新たな継承への展開となり得るはずだが、ここに日本の特殊事情という問題が浮上する。つまり、この新たな展開に対し、その受け皿となる主体、つまりは世代の問題である。我が国では歴史認識をめぐる展開が余りにも多くの問題を未決のままに、次の世代からさらにそのまた次の世代へと持ち越されてしまった。その結果、戦争責任問題をめぐるその解決のための思想や行動を批判的に継承することと、その記憶や知の存立基盤そのものを持続させることとが同時に問題化してしまった。コンパクトに言えば、思想と行動の批判的継承と、その主体の世代的継承の問題である。
かくして、冒頭で示した第三の範疇、「死者との関わり、遠ざかる戦前(戦中)」が問題となるのである。一九九五年、歴史認識をめぐる言説には、しばしば、「実感」や「感性」といった言葉が散見できた。これは同時代史として戦後の終りを意味するとともに、研究者間においても世代継承をめぐりその終わりを補完し得る「実感」を求めたために他ならない。
筆者のような世代(一九六三年生)は、戦後世代とその次の世代(冷戦後世代)の間にあり、この継承の問題に最も責任を有するのではないかと常日頃考えてきた。そこで、次にこの実感なき世代への継承の問題とその可能性を、先ずは彼等自身の言葉のうちから検討してみよう。