知人の茂木さんの紹介で、はじめて水窪を知った。だから、わたしは水窪に行ったことがない。「みさくぼ」と読むことも知らなかった。
毎年、県境で峠の向こうの村と、国盗りの綱引き合戦をする村だ、と言われ、「ああ、」と声を出しはしたものの、かすかにその光景を思い起こしたにすぎない。
それはテレビのニュースか何かで見たものだった。
山々にこだます男たちの声に比べ、峠の道はいくぶん細いように思われた。
今度、水窪をたずねる時は、きっとこの南信濃の峠道から訪れてみようと思う。
インターネットとは妙なもので、行ってみたこともない村と、つながっているような気にさせられる。それは水窪の山々のせいかもしれない。
その水窪が国体で山岳競技の開催地になる、と聞いて何か考えてみることができやしないかと思った。いいや、水窪はそのことについて考える必要があるだろう。
ただイベントがあって、人が一時的にきて、というだけではない何かを。
この世にアルピニズムというものがあることを、最初に教えてくれたのは母であった。私に「高峰」と名づけた母は山の本を数多く遺した。アルピニズムとは決して高等、高邁な思想ではない。それは、考え、そして登ることである。
しかし、山は人を孤高な思いへといざなう。
そんなアルピニストの一人にガストン・レビュファがいる。往年の山登りならずとも、山岳映画を通じその名を知る者は多いだろう。レビュファのサイン入りの本が私の書斎にある。1964年(昭和39年)刊行で1,700円と破格な定価のこの本は、天然色の写真とふんだんな山々のカットを取り込み、見た目よりもやや手に重い装丁である。
私はページの一つ一つに刻まれた思いを確かめながら、まだ見ぬ水窪について考えてみることにした。
アルプスの峰々の朝焼けを遠望する表紙には、書名がこう記されている。
『天と地の間に』
このページは、静岡県水窪町の自治体運営について、学生と供に考えるためのページです。戦略経営研究会茂木さんの案内から、私は水窪町について知る機会を得ました。ちょうど、私が担当する情報基礎論では、今期は自治体の経営評価を学生に課す予定でした。そこで、履修者に対し今期は水窪町おこしプランを前期総合課題とすることにしました。 まずは、学世たちがネットサーフで探してきた水窪情報についてのリンク集を発表します。 今後、大学の授業という毎週一回限り舞台ではありますが、水窪の関係者の皆様、そして有資格者の方々とささやかな連携をとりつつ、大学―自治体―実業の間での学行実という新しい輪の形成を試みたいと思います。 ひとつよろしくお願いします。 |