マッカーサーへの投書 在日編


  1. 各民族共存共治を目的とする政党  1946.2.15
  2. 陳情書 在日朝鮮人聨盟山形県本部  1946.2.13
  3. 早く故郷へ帰りたいのです。
  4. 元帥様朝鮮の子供  1946.5.17


 マツクアーサー元帥閣下   二月十五日(1946)
          岩手県□□町     鄭 □□

謹啓 新春の候閣下の御健康を祈り聨 合軍将兵の御勇健を祝ひ申上候
 小生儀御陰様にて自由の身となり入出獄 以来の病いも昨今は大分よくなり候。ため近々上京致し「各民族共存共治を目的とする政党」創立に関し御了解を仰ぎたく予め 提案趣意書を同封御目にかけ申候

頓首

    各民族共存共治を目的とする政党

 提案 我々は日本が平和国家として向上発展すべきことを心から希ふとともに、再び侵略的軍国主義 国家として立つことを欲しないものである。それは日本に取りては民族的滅亡を意味することであり、東洋の地に再び殺戮と惨禍をもたらすことであるからである。然るに日本民族は二千年にわたる其の侵略的軍国主義によって、民族性並に各人の性格に至るまで、侵略的掠奪的民族性化されてゐ、軍国主義的破壊的性格化されてゐる。ために日本民族のみによる国家社会組織運営は、その主義主張の如何を問はず再び排他的侵略的帝国主義的発展となるの恐れがある。

 ここに侵略的民族性を改革し、軍国主義的国家社会制度を是正して、平和的向上発展を策するがためには、どうしても日本が各民族共存の国家社会とならねばならなく、各民族人の国政発展が必要である。過去の日本民族単存独治の国家社会より、各民族共存共治の国家社会とならねばならぬ。由って我々は各民族共存共治を目的とする民主主義政党を創立し、各民族共存共治社会の実現をはかって平和的発展を策し、国内の一切の種族的階級的因襲的差別を撤廃し、弱小民族を保護して各民族平等の福祉増進をはかり、いよいよの場合には国際機構に訴へてまで、侵略的破壊的排他的一切の征圏(?)発展を抑制せんとするものである。

 我々は自由を與へてくれた聨合国に心から感謝して、その占領目的達成の一翼たるべく、大体右のような趣意で、天下に広く同志を求めて民族共存政党を創立したいと思ひますから志しを同じうるする男女の士は何卒左記のところまでに御一報を賜はり度御願い致します。


一九四六年二月一三日 在日朝鮮人連盟山県県本部

陳情書  在日朝鮮人聨盟山形県本部

 陳情書

 世界平和建設ノタメ自由擁護ノタメ而シテ此等ノ神聖ナル目的ヲ責任以テ遂行シ得ルガ如キ民主々義政権ヲ各国ニ樹立センガタメニ尊キ人的物的犠牲ヲ惜マザリシ聨合国ニ対シ衷心ヨリ感謝ヲ捧ゲ我朝鮮モ此ノ恩沢ニ依リ日本ノ悪性ヨリ解放サレ完全独立ノ光栄アル民族自主権ヲ獲得セリ。依ツテ在日同胞ハ祖国建設ノ重大ナル使命ト矜持トヲ以テ帰国途上ニアリ。而シテ帰国同胞ニ対シ聨合国ガ最大ノ便宜ト好条件トノ提供ヲ惜マザリシ事ハ吾等ノ深ク感謝スル所ナリ。
 斯ル聨合国ノ恩恵ヲ蒙リ嬉々トシテ帰国スル我同胞ニ対シ不愉快ト猜疑トヲ以テ今茲ニ特記セントスルハ過去ノ日本帝国主義及軍国主義ノ残滓思想ヲ未ダニ保持セル。下関及其他乗船地ニ於ケル日本特ニ警察当局ノ責任者達ノ非協力的態度及措置ナリトス是我等ノ深ク遺憾トスル所ナリ。我同胞中ニハ教養浅クシテ無知ナル者モ多クアリ。之我等モ率直ニ認ムル所ナリト雖モ、ソハ我等ノ一方的過誤ニ非ず。実ニ同胞ヲ斯ク迄奴隷化シ教養ヲ奪ヒテ與ヘザリシ日本植民政策ガ、当然ソノ責任ズベキモノナリト、言ハザルベカラズ。此ノ点ニ関シ聨合国当局ノ完全ナル了解ト理解アル包客トノ特ニ希望スル次第ナリ。而シテ下関警察署長以下責任者、及関係官庁責任者ニ対シ進駐軍ヨリ公正ナル立場ニ於テ正義ノ原則ニ基キ忠告ヲ與ヘ且ツ指導命令ヲ下シ、今後ノ事態改善ノタメニ強硬ナ態度ヲ以テ臨マンコトヲ当地区在留朝鮮人ノ総意ノ名ニ於テ懇願シテ止マズ

以上 陳情ス


神奈川県川崎市 慮□□

 苦しい戦争は終結を告げ我々朝鮮民族にも平和と自由が與へられました。そうして更に独立といふ気栄は刻一刻と近づきつつあるのであります。その時に、我々は長年住み馴れた日本の土を起つて懐しき祖国朝鮮へ帰らなければならなくなりました。何といつても我々の祖国は朝鮮です。□れた心の故里は朝鮮です。帰りたい思い胸一杯です。一日も早く故郷へ帰りたいのです。
 然し風の便りに朝鮮のことを聞きますと、日本から引き揚げた我々の同胞はなつかしの祖国へ引き揚げた迄は良かつたが、それでなくても人口の多い所へ益々多くなる一方、而して人口過剰の為、住むに家なく食ふに食はなく、物資は有つても価のあまりに高い為買ふこともできず、日本の如き配給といふ公平な制度もなく、働かうにも職はなく田地は入手できないといふ仕事だそうです。それに加へて社会の治安は強度に混乱してゐるといふことさへ耳にします。そのやうなことを聞くと、如何に祖国を愛し故郷を想ふの念に強き我々も、自ら進んで自分の身を火中に投ずるにしのびないのであります。朝鮮に別れを告げて以来、幾星霜、その時も故郷を思はない時とてはなかつたのであります。けれども今急に何の便りもなく、彼の地へ行つても便りにする人もなく、又今次に於て唯一の力たるべき金銭の持ち合わせも豊富になく帰国してもとせうして命をつなぎ得ませうや。
 早く帰らなければならない筈でありましたが、以上の如き次第で今まで延び延びになつてゐたのです。然しながら、我々は一日も早く我が朝鮮国内の治安安定し、世界の文化に貢献せられんことを切望してゐる次第であります。そうして一日も早く喜び勇んで喜々として祖国へ引き揚げたいのであります。
 以上のやうなわけで、今か今かと、その日を待ち暮してゐるのであります。


一九四六年五月一七日

下□□ 神奈川県

 元帥様におねがへします。私くしたち朝鮮の子供は一日もはやく朝鮮にかえりたいのであります。そのためおかねヤにもつをもつてかへらしてくたさい。元帥様おねがひします。私くしたちは国にかえつていつしようけんめいでべんきようしたいのてあります。父さんヤ母さんかおかねにもつをもつていかなければためだというので元帥様によろしくおねがひします。
 なんとかおたのみします。

元帥様朝鮮の子供  さよなら 下□□