特集 特攻の思想(第二回)

「罪業深キ悪念ナレ共」

日本政治思想史

臨時代講 川島高峰

2002.10.17

 

全体の見取り図

「神風」の歴史

文化史的、精神史的背景   ←今日の講義内容

検証『特攻の思想』と『神なき神風』

911テロとKAMIKAZE

 

 

文化史的・精神史的背景としてとらえることの是非

藤井忠俊の問い (季刊『日本現代史 日中戦争の兵士像』より)

殺された側の心理 何にこだわるのか

「戦争と文化」 川島高峰「戦後の終焉と冷戦後責任」より

 

 

 

 

 

大西瀧治郎の特攻の「思想」 「外道」に思想はあるか

義烈空挺部隊 1945/5/23

ノー・リターン B29焼討作戦 1945/8/101945/8/17

若い者に死に場所を与える

勝機をつかむ→勝たぬまでも負けない→名誉ある敗北? 2000万特攻の発言

 

 

 

 

 

 

河原宏『日本人の「戦争」』築地書館(1995)の問いの立て方 古典と死生の狭間で

単に二十世紀の近代戦というに止まらず、古代以来の歴史と古典と伝統のすべてを注ぎ込んで、すべてを失った戦いだった。 (中略) 戦後日本人は「歴史」を失った人問として、それに代わる外来の「抽象」を信奉している「かのように」振る舞っている。ここにいう「歴史」とは人々が愛着し、それと共に生きているという実感に支えられたものとしてである。 (中略) 戦後およそ半世紀、われわれは「歴史の畢った」後の人間として、実感なき「抽象」の時代を生きてきたのである。そうだとすれば、またそうであればこそわれわれは、今後歴史の中に心を求めて、可能な限り多くの人と共有できる新たな実感と共感の根拠を探りあてなければならない。戦争を考え直す埋由もここにある。

* 森鴎外『かのように』←ドイツ新カント派ハンス・ファイヒンガー『かのようにの哲学』

 

 

小泉八雲「戦後に」 

兵土たちの列を眺めていた。その日の夜、彼方の丘から聞こえてくる就寝ラッパ、彼が「忘れがたい哀愁の音色」と書いたラッパの音を聞きながら、しみじみと萬右衛門に語しかける。

私は萬右衛門にいった。

「今夜は、みんなあの連中は大阪か名古屋に着くんだね。さぞかしみんなラッパの音を聞いて、帰らぬ戦友を偲ぶことだろうね」

すると爺やは、ひたすら真剣な顔をして答えた。

「西洋の方は、死んだ者は帰らないと思召しでしょうが、わたしどもはそうは思いません。目本人は誰もが死ねばまた帰ってまいります。帰る道をみんな知っております。…ええ、もうみんな、わたしどもといっしょにおりましてな。日が暮れると、故郷へ呼びもどすラッパの音を聞きに集まってまいりますよ。」

(他、友人への書簡、停車場)

 

 

 

 

万葉の祖国と言霊の戦い 『君が代』、『海行かば』 必要とされた過去(川島)

海行かば 水漬く屍 山行かば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みは せじ 『万葉集 巻十八』

 

 

 

 

軍人精神の民衆思想的な系譜

 武士道の変容

戦時戦士階層の思想 武士道=修羅道の認識→御仏の道を希求、戦場の合理主義

平時戦士階層の支配イデオロギー 死の自己目的化、戦場なき主君への忠誠

共同体と死、そして共同体の死(歴史の畢り)

 

 

 

「七生報国」 原典「湊川の合戦」、『太平記 巻十六』

「抑最後ノ一念二依テ、善悪ノ生ヲ引トイヘリ。九界ノ間二何力御辺ノ願ナル」

ト問ケレバ、正季カラカラト打笑テ、

「七生マデ只同ジ人間二生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候ヘ」

ト申ケレバ、正成ヨニ嬉シゲナル気色ニテ、

罪業深キ悪念ナレ共我モ加様ニ思フ也。イザサラバ同ク生ヲ替テ此本懐ヲ達セン」

ト契テ、兄弟共二差違テ、固枕二臥ニケリ。

 

 

軍国主義教育の中で「業深キ悪念ナレ共」が削除

異民族への戦争

葉隠れの継承と強調

戊辰戦争に見られる忠誠と反逆の構造が、戦場の合理主義と修羅道の認識を生起・継承させる余地はあった。西郷伝説・会津白虎隊などの説話化がそれである。