『銃後』 読売新聞社(1997)再刊を

 『銃後』刊行から六年が経ちます。多くの方からお褒めの言葉を頂いた『銃後』は、刊行後三年にして在庫がなくなりました。その後、読売新聞社は出版部門を縮小、この部門を新たに吸収した中央公論社に移管する方向で動いてきましたが、その間、『銃後』の増し刷りは棚上げにされたままです。

 本年、『銃後』は、ついに『日本史文献事典』に「重要文献」として選ばれることになりました。既に韓国の大学で日本語のテキストに用いていただいたり、東京外語大学でもテキストとして利用して頂いており、日本人の戦中意識を知る文献として幅広い評価を頂いております。それにもかかわらず、今現在、『銃後』を書店で入手することはできません。今後も引き続き継続交渉し、『銃後』再刊の道を拓きたいと思います。

 月刊『自由』 1997年10月号
 『This is 読売』 1997年11月号
 週刊読売
 東京大学史学会編『史学雑誌』 1998年5月
復刊ドットコム
 一定数以上の復刊のリクエストが集まると、復刊の働きかけを版元に対して行ってくれます。心ある方のご協力を頂ければ幸いです。
今月の推薦書
月刊『自由』 1997年10月号

 本書は一九四一年十二月八日から四六年五月未にかけての「太平洋戦争」中の銃後における日本人の精神史的考察を行った著者の「博士論文」(明大・政博)の前半部を一般向けに書き改めたものである。巻頭、巻尾に取りあげられている花田佐助氏の生きざまが、当時の日本人の平均的な、そして著者の本書を編んだ狙いといえるようだ。

 花田氏は、福岡の一寒村から十六歳の時に上京、苦学する中で政治運動に参加、一九三三年(昭8)、二八歳の若さで深川区議選に立候補し当選した。しかし、「太平洋戦争」が始まるや、すぐに三六歳で召集令状が来た。その時、彼は、「末長く生きるであらう子供の為に卑怯な真似はしないと心秘かに誓った」という。そして、東京空襲で家族全員を失った彼は、戦後初の総選挙に立候補して、日本の再建は、

「……旧勢力の徹底的払拭とは戦争傍観者が後釜に座する事でもなく又戦争妨害者が日本を支配する事ではありません。最もよく戦争に協力し、而も多く戦争の犠牲と被害とを受けた人々が再起することに依ってのみ可能です」

 と。自分のような戦争犠牲者が、日本再建に立ち上がることこそ、なにものにもまさる死者への供養であり、生き残った者の務めであるという考えを有権者に訴えたが敗れた。

 花田氏の考えは正しい。また、本書の著者が、「最も戦争に協力し、最も多く傷ついた民衆にとって、あの戦争とは何だったのかを考え抜く必要は、今日においても、否、たとえ敗戦後、百年を経ようとも、決して失われることはないだろう」と、アジア・太平洋戦争をめぐる日本国民の記憶を取りあげ、太平洋戦争の意義を究明したことは正しい。

 今日の日本人の頭の中には、戦中の政府の情報統制や国民教化によリ「造られた記憶」、敗戦により「失われた記億」、被占領により新たに「造られた記憶」が混在している。そして戦争体験には、世代、銃後か前線か、内地か外地か、といった相違がある。更には世代間によっても戦争認識の相違がある。

 このような多様な問題はあるが、本書の分析はそのなかの「本土の銃後」に焦点がおかれており、その視点は、敗戦前後における日本人の戦後意識への連続性を考えた時、本土に生きた銃後の民衆意識が最も大きく、戦後に直結するというもので、貴重な研究といえよう。一

 今日のわが国には、「日本だけが悪い」とか「日本は全く正しかった」といった極論が横行しているが、戦争体験はそんな単純な論法で割りきれるものではないことは、著者のいうとおりである。そうした意味で、戦時中を生き抜いてきた日本の民衆にとって、侵略国、被侵略国、敗戦国、戦勝国といった立場の相違は何の意味もないといえる。共に味わった哀しみと僧しみをこえて、民衆の苦しんだ「あの戦争」を語り尽くすことが、戦争の真の意味を追究することの第一歩だといえよう。



「普通の人の生の声」が共感を呼ぶ
『This is 読売』 1997年11月号

 勝利への成算もないまま"激情"にかられたように突入した太平洋戦争−。その激情のエネルギーは民衆レベルの支持がなければ持続しなかったことはいうまでもない。こうした艮衆レペルの実感は、悲喜劇的な体験談として家族や地域で語り伝えられているものだが、時は流れ、語り伝えのカは弱まった。占領軍による「真実はこれだ」的なストーリーや、軍部だけに責任を押し付ける論理が、日本人の歴史観に"空自部分"を形作っていたともいえるだろう。

 一般国民はあの戦争をどうとらえ、どんな実感のもとに三年八か月の日々を送ったのか。本書は語り伝えに代え、同時代の膨大な文献資料によって等身大の国民意識を再構成した。特高警察や憲兵隊の流言・投書の取集録、各種の記録、日記、新聞記事など膨大な資料から引用された「生の声」の数々が、時代を超えた共感を呼ぷ。戦争を支えた"当たり前の人たち"に微苦笑もさせられる。

 開戦の報を国民の多くは「スッとした」という爽快感、解放感でとらえている。相互に宣戦布告のないまま四年間も続いていた日中戦争の閉塞感が、戦後にある米英への開戦で素朴な明るさを生んだといえる。緒戦の熱狂の中で前途に対する合理的な不安は少ないが、「アメリカヤイギリスノ様ナ大金持ト日本ノ様ナ貧乏国ト戦争シタッテ何ガ勝テルモノカ」(特高月報)という靴職人の発言も紹介されている。

 一方では、食糧不足などを巡る都市と農村、出征兵士の留守家族とそうでない家庭の対立などに、ある意味では生き生きとした庶民の顔がうかがえる。「西欧文化に挑戦する聖戦」のまじめな次元とは別に、配給の不足が買い出しや闇経済の横行を生み、コソ泥も横行する。神奈用県では一九四三年七月、すべてのゴルフ場の「適当な部分を農耕地に振り向ける」ことになり、鍬を三十分振るった後でないとプレーを楽しめなくなった。

 四四年七月にサイバンが陥落、激化する空襲に世相は厭戦気分に傾くが、戦争保倹による"焼け太り"や小役人の「顔」の世界が出現する。そして敗戦。「残念だ。しかし、ホッとした」という実感と、戦時体制の解除による安堵感が、「終戦」という言葉を定着させた。

 戦争の日々をどう実感したかは、人それぞれだろう。だが、民衆の実感が薄れた時、戦後の映画でもありふれた寸景だった慰安婦に「強制連行話」が創作される。本書は、博士論文を書き改めて刊行された。事実を総体として記録する努力に敬意を表したい。(宮地忍)


 なお、この評者と筆者との間で強制連行に関する見解については相違がある、ということをお断りしておきます〔著者〕。


読売の本
週刊読売

 あの戦争中、新聞などでは識者たちがしきりに聖戦の意義を説いたが、一般の民衆だって言葉を持っていた。彼らは何を、どういう形で表現していたのか。

 「内乱だ 革命だ 東条必殺だ」
 「アメリカヤイギリスノ様ナ大金持チト戦争シタッテ何ガ勝テルモノカ」
 「岸様御かげでルンペン」

 順に、憲兵隊あての"不穏投書"、特高警察に記録された靴職人の発言、衆院選の無効票に残された岸信介商工相批判の雑言である。

当時、治安当局は"歩く録音機"と化して、巷の不穏発言や流言を拾っては克明に記録し、分析し、検挙した。

 本書は、それらの膨大な資料を駆使しながら、戦局の推移とともに変化していった民衆の意識のありようを浮き彫りにする。

 空襲が激化する中、「赤飯にラッキョウを食べれば」あるいは「金魚を拝めば」爆弾に当たらないという流言が広まった。迷信の類だ。しかし、著者は言う。

 「(空襲下の)偶然性に支配された不条理な死と直面する中で、人々は『おまじない』という不条理で不安を克服しようとした。これを笑うことはできまい」

 昨今はやりの、「自虐だ」「自賛だ」の「史観論争」が、浅薄に思えてくるはずである。



1997年史学界の回顧と展望
東京大学史学会編『史学雑誌』 1998年5月

 第二の傾向は、加藤の『敗戦後論』が、普遍的な「正義」や「真理」に基づいて現実をトータルに裁く姿勢を拒否し、この自分たち自身が「悪い戦争を戦い、敗れている」という「汚れ」の実感に立脚して論を進めている点にかかわる。そういった実感表白の内容の妥当性や、著者一人の実感を直接にナショナリズムの再構築と結びつける筆の運びには、重大な問題があろう。

 だが、言わば中空に浮かんだ「正義」の視点から歴史と社会を概括的に見下ろすのでなく、時代の内部で生活の現場を生きる個人や集団に注目し、彼らがそれぞれに周囲の状況をどう捉えていたか、その個的な視点にいったん沈潜する思考作業をへてから、改めて時代の全体像を組み立てようとする試みとしてこれを読みかえれば、そうした方法は、いくつかの仕事に顕著に現われる傾向と共通するものをもっている。

 そのような業績のなかで注目すべき作品は、川島高峰『銃後』(読売新聞社)である。同書は、太平洋戦争下の庶民の言動をリアルに伝える、「不穏投書」「不穏言動」の記録や、選挙における無効投票といった現象を素材として、「銃後」にいた膨大な人々が、実際に何を考え、感じていたのかを、一つ一つ克明に再現している。そしてそれは、戦争についての一面的な「記憶」にしか立脚しない解釈が、国民は協力したのか抵抗したのかといった二分法に帰着してしまう−『敗戦後論』もおそらくその弊を免れていない−のとは異なり、現実に歴史を生きた人々の、複雑で重層的な意識のありようを教えてくれる。

 大岡聡「昭和恐慌前後の都市下層をめぐって」(『一橋論叢』一一八−二)は、一九二〇、三〇年代の東京下谷の露店商による社会運動と、その中で指導者として活躍政治家の主張を記述する。この論文は、ひたすら社会の片隅の微細な点によりそうことを通して、新鮮な時代像を描きだすのに成功した。

 かつて艮谷川女是閑が、大所高所に立つ英雄や賢人ではなく、無数の「凡人」の生活の祖点から社会・国家の全体に対する批判をを提起したことを、飯田泰三『批判構神の航跡(筑摩書房)は重視する。

 川島や大岡の研究が示しているのは、そうした(個的なもの)に脚をすえる思考方法の、歴史研究における展開の可能性にほかならない。


適宜、改段をしています。