法律知識ベースの構築

by 和田 悟


初出 : 明治大学情報科学センター年報第9号(1996年度)37頁


Satoshi WADA
Lecturer at Meiji University Politics and Economics Faculty
E-mail  swada@isc.meiji.ac.jp 
Web Page http://www.isc.meiji.ac.jp/~swada/ 

 

1.はじめに

 「法律エキスパートシステム」とは,法律家が行う法的推論をモデル化し,計算機上に実現するものである.エキスパートシステムには大きく分けて次の二つに分類できる.専門家に代わって専門的な判断を下す「専門家代替(代行)システム」と,専門家が判断を下す際に有効な道具を提供する「専門家支援システム」である.現在わが国の法律分野におけるシステムとしては,国際統一売買条約(CISG:United Nations Convension on Contracts for the International Sales of Goods)を取り扱うものが吉野一(明治学院大学)らを中心に進められており,筆者もこの研究プロジェクトに参加し,法律知識ベースの構築に取り組んでいる.このシステムは専門家支援システムであり,法学教育や法律実務に役立てることを目的としている.また,法律エキスパートシステムの構築にはルールベースのアプローチと事例ベースのアプローチとがある.我々の研究はルールベースを基礎にして事例ベース推論の機能を取り入れたものになるはずである.いずれのタイプであれ,法的推論のモデル化を行う以上,法律家が行う推論の分析が必要であり,特に知識ベースに関しては,条文と関連知識についての法的知識構造の解明が中心的な課題となる.

 本稿では,上記研究プロジェクトで法律知識ベース構築に用いている表現形式の紹介し,これによる表現上の課題について述べる.

2.CPFによるルールの表現形式

2.1 要素述語論理式の表現

 法律知識の記述には吉野が提唱する「複合述語論理式(CPF)」を用いている.CPFは,要素述語を概念の表現に必要なだけ入れ子構造に組み合わせた述語論理式とその論理的結合である.要素述語は2項述語論理式で表現する.第1引数は述語が指示する事態または個体を表すIDであり,第2引数は述語で表される概念の内部構造である.この内部構造は,格関係子とその値の対をリスト形式で表されている.すなわち次のような構造を持つ.

述語記号(ID,[格関係子1:2,格関係子2:2・・・])

 ここで用いられる格関係子は,「EDR電子化辞書」の概念関係子をもとにしている.主な関係は次のとおりである.

格関係子一覧

関係子 省略記号 説明
agent agt 有意志動作を引き起こす主体
object obj 動作・変化の影響を受ける対象
a-object abj 属性をもつ対象
manner man 動作・変化のやり方
implement imp 有意志動作における道具・手段
material mat 材料または構成要素
time tim 事象の起こる時間
time-from tfr 事象の始まる時間
time-to tto 事象の終わる時間
place plc 動作の対象となる場所
source src 事象の主体または対象の最初の位置
goal goa 事象の主体または対象の最後の位置,効果の帰属先,法律行為の相手方

表1 概念関係子一覧

 次に,こうした格関係子を用いて表される要素述語論理式の例を挙げる.

'obligation'(OBLIGATION,[

agt:B,

cnt:C,

goa:A,

obj:O,

tim:T

])

 これは「AがOに対してもつ義務Oで,その内容がCである」ことを示している.また,OBLIGATIONは,表現されている法律関係の識別子である.要素述語論理式は入れ子状に用いることができ,必要に応じて格の値として複合述語論理式が入る.これによって複雑な事象,特に法律関係の記述を可能にしている.

2.2 CPFによるルールの表現

 法規範文は一般に法律要件と法律効果からなり次のような形式をとって表される.

 sen(ルールID,[

効果部 <- 要件部

]).

 要件部,効果部は,それぞれ,法律効果,法律要件を表す述語論理式が入る.通常,効果部には複数の述語論理式で構成される.要件部は通常複数の要件からなるが,これはAND(&),OR(#)によって結合して表現する.また,否定は基本的に「失敗としての否定」を用いる.国際統一売買条約第24条に規定される契約成立のルールに相当する式を次ページに挙げておく.

 このようなCPFでルールを表現してゆくには,ルール中に現れる格概念の構造を考察し適切な格関係子を選び,値を決めてゆかねばならない.これまでの法学はそれぞれの概念がどのような格構造をもつのかを明確に指示してくれはしない.したがって,ルールをCPF化するにあたっては,自然言語で表されている法規範文の意味や,流れ図による分析結果を検討してひとつひとつ吟味してゆく必要がある.

 また,ひとつの概念の内部構造ばかりでなく,CPFに現れる複数の要素述語の格の値も十分な検討を必要とする.なぜなら,ひとつCPFに現れるそれぞれの要素概念の格の値は,同じものを指し示す限り同じ値となっていなければならないが,自然言語によって表現されている法規範文では,残念ながら,各概念の格の同値関係が必ずしも明確ではないからである.それゆえ,自然言語による法規範文をCPFへと自動的に変換することすることにはかなりの困難を伴う。

 国際統一売買条約のCPF化は当初条文と一対一対応するように記述する方針で行われたが,相互に関連しあうべきルールの整合性や推論過程における位置づけなどの点で難しさをはらんでいるため,現在では先ずは論理流れ図によってルール間の関係や明文化されていない暗黙のルールを分析したのちCPF化するという手順で作業が行われてきた.

% 2a 契約の成立

sen('2a',[

'is_concluded'(IS_CONCLUDED,[

agt:[OFFEROR,OFFEREE],

obj:'contract'(CONTRACT,[

agt:[OFFEROR,OFFEREE],

cnt:CNT_CONTRACT,

imp:IMP_CONTRACT,

obj:OBJ_CONTRACT

]),

tim:T

])

<-

% 2AA = [2AAA]

% 申込が時点T1に効力が発生し

% An offer becomes effective at the time T1.

'become_effective'(BECOME_EFFECTIVE,[

abj:'offer'(OFFER,[

agt:OFFEROR,

cnt:CNT_CONTRACT,

goa:OFFEREE,

・・・(中略)・・・

]),

tim:T1

])

&

% [2AB] 2AB'

% 申込に対する承諾が時点T1以後の時点Tに効力を生ずる

become_effective(BECOME_EFFECTIVE2,[

abj:acceptance(ACCEPTANCE,[

agt:OFFEREE,

cnt:CNT_ACCEPTANCE,

goa:OFFEROR,

imp:IMP_ACCEPTANCE,

obj:offer(OFFER,[

agt:OFFEROR,

   ・・・(中略)・・・

]),

src:SRC_ACCEPTANCE,

tim:TIM_ACCEPTANCE

]),

tim:'time_after'(T,[tfr:T1])

])

]). 

3.説 例

  我々のシステムの解こうとする設例は,たとえば,次のような建設機械の売買契約である.

(1) 4月1日 Anzaiは,Bernardに売買の申入れとなる手紙を発信した.手紙の内容は次のようなものである.

 ・建設機械を$10,000で売却する.

 ・機械は5月10日までに届ける.

 ・機械到着後10日以内に代金を支払うこと.

 ・運搬にはトラックを用いる.

 さらに,この手紙には,4月末日まで申込を取消さないので,それまでに返答すべきことが書かれていた.

(2) 申込は4月8日にAnzaiに到達した.

(3) 4月9日 Anzaiは申込を取消すと電話した.

(4) そのとき,Bernardは「申込を承諾する.しかし,機械は鉄道で運ばれたし」と言った.

 こうした事案をCPFによって記述してルールとともに推論エンジンに与えておき,たとえば「5月10日には,いかなる法律関係が存在するか」といったゴールを解かせるのである.

4.問題点

4.1 事案に潜む隠れた知識

 条文に表現されている要件・効果を整理しまとめただけでは,推論に十分なルールを得ることはできない.明示されてはいないが当然のこととして前提されている知識や法解釈を適宜ルールの中に埋め込んでゆかなければならない.したがって,ここに入り込む解釈により異る結論が得られる可能性がある.様々な学説・解釈による結論の違いも法学教育にとっては有用であり,これを実現することも研究プロジェクトの射程に含まれている.

 そればかりでなく,事案の取り扱い上も暗黙の内に前提とされている知識,デフォルトに関する知識も多く存在する.たとえば,CISGから得られたルールでは,申込の要件として「申し入れがあった」こと,「申し入れが一または複数の特定の者に向けられている」ことが必要であるが,前述の説例中の事実には「AnzaiBernaldに申し入れとなる手紙を発信した」という事実が述べられているだけである.また,これらルールに直接記述されているような概念で述べられることは期待できない.CPFレベルになった際にうまくルールが事実にマッチするためには,次のように,事案にある事実からルールに必要な概念が生成されなければならない.

事案の記述 

'dispatch'(dispatch_c7a_1_1,[

agt:’Anzai’,

goa:’Bernald’,

man:MAN_C7A_1_1,

obj:'proposal'(proposal_c7a_1_1,[

・・・中略・・・

])

仮定されるべき事実(1)

'is_addressed'('is_addressed_c7a_1_1',[

agt:'Anzai',

obj:'proposal_c7a_1_1',

goa:'one_or_more_specific_persons'('Bernard',

_)

])

仮定されるべき事実(2)

'proposal'('proposal_c7a_1_1',[

 ・・・中略・・・

 ])

 (1)は,概念の中に入れ子になって含まれている概念を,単純に独立した事実としている.しかし,すべてをこのように扱うわけにはいかない.次の記述は申込に対する応答かどうかを示す事実(この記述自体も与えられた事実から記述者によって解釈され追加されたものであるが)を考えればわかる.

 「承諾を意図したものである」

'purport_to'('purport_to_c7a_1_2_4',[

abj:'say_c7a_1_2_1',

obj:'acceptance'('acceptance_c7a_1_2_3',[

agt:'Bernard',

cnt:CNT_ACCEPTANCE,

goa:'Anzai',

imp:_,

obj:'proposal_c7a_1_1',

src:_,

tim:TIM_ACCEPTANCE

])

])

 この事実から,acceptance()部分を独立させて,承諾の事実を作り出すわけにはいかない.このように,陳述や意図,意思表示の内容に関連する事実の場合には,概念中の概念を取り出して事実としてはならない.予想外の事実が作り出されてしまう危険を考えれば,dispatch()の対象(obj)格など特定の場所に現れた概念のみ,独立した事実として扱うようにするなど,なんらかの方法で前提知識の導出の場面を限定しなければならないだろう.

4.2 契約の内容の分析

 契約内容はcnt格に格納されるが、構造化されてはいない。したがって、すでに挙げた説例に見られるような契約内容の変更など、契約内容にかかわる場合、ルールの記述や扱いが難しい。たとえば、申込に対して変更を含む承諾が行われた場合には,変更が実質的なものであるかどうかを判断したり,変更がどういう種類のものであるか--条件を追加しているのか,条件を変更しているのか,条件の変更の場合には,どの点に関して変更を加えているのか--をcnt格に立ち入って判断する必要があるからである.この判断を行うには,cnt格内のCPF表現の仕方を統一しておく必要があろう.特に,国際統一売買条約第19条第3項に挙げられてるような契約の重要な要素である次のような項目に関する陳述は記述に特定の述語を用いるのが望ましい.

 ・代金

 ・支払い

 ・物品の品質

 ・物品の数量

 ・引渡の場所

 ・引渡の時期

 ・当事者の一方の相手方に対する責任の限度

 ・紛争の解決方法

 上で挙げた契約条件の他にも,設例中で扱われている運搬方法など,一般的かつ定型化可能な契約条件があるだろうと思われる.契約内容の構造決定や,個々の条件の記述方法の確定もまた今後の課題である.

5. まとめ

 本稿では、吉野により提唱されているCPFによる国際統一売買条約の知識記述について紹介するとともに、知識ベース構築の際の検討課題について述べた。国際統一売買条約は各国の法文化による解釈の相違が起きにくいように配慮されてはいるが、それでもなおCPF化に取り組むたびに自然言語によるあいまいさに突き当たり、ルール中の諸概念の相互関係を明確にし様々な格の値を定めてゆかなければならない。自然言語以上の精緻さでルールを検討してゆく難しさを痛感する。

 また、他方で、法適用の柔軟さは自然言語のあいまいさ−意味のゆらぎ、あるは、わい曲−にあるとも思えるので、この柔軟さを持ったままルールの知識表現ができないものかといった事柄も検討してゆきたい。

 


A.参考文献

[1] 吉野一編、『平成6年度科学研究費補助金重点領域研究研究成果報告書法律エキスパートシステムの開発研究−法的知識構造の解明と法的推論の実現−』(1995).

[2] 吉野一編、『平成7年度科学研究費補助金重点領域研究研究成果報告書法律エキスパートシステムの開発研究−法的知識構造の解明と法的推論の実現−』(1996).

[3] 吉野一編、『平成8年度科学研究費補助金重点領域研究研究成果報告書法律エキスパートシステムの開発研究−法的知識構造の解明と法的推論の実現−』(1997).


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Uploaded (on this Web Page) : Jun/22/1998

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