勉強するということについて

by 夏井高人


 授業に疲れ,お茶の水駅のホームからふと周囲の建物群を見上げながら,「夜のホームから見上げる病棟の群れは,荘厳に折り重なって,なにかしら黄昏に揺れるポタラ宮殿の如く琥珀色の目映さが降り注ぎ・・・」などという書き出しで雑文をひとつ書いてみようかと思いかけ,そして,すぐにやめた。あまりに陳腐すぎる。まるで酔っぱらいの戯れ言だ。

 イチローの活躍を伝える夕刊新聞を片手に上野駅で通勤用特急電車に乗り換えた。車内は暇だ。新聞を読み終えると,久しぶりに読もうと思って鞄に入れておいた司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を取り出し,ぱらぱらとめくってみた。

 そうして,しばらく揺られていた。

 ふと気づくと,降りる予定の駅の1つ手前の駅で列車がストップしている。車内放送で,車掌の声が流れる。この先の線路上で人身事故があったため,全面的に運行がストップしているらしい。こういうときに何もすることのない乗客は悲惨である。読書もできない,新聞も読めない,酒も飲めない,音楽も聴けない・・・みんなイライラしている。しかし,不幸中の幸いとでもいうべきか,私には,さきほどから手にしている文庫本が1冊ある。

 この本の登場人物である秋山兄弟と正岡子規は,おそらく稀代の天才であったのであろう。おそらく,普通の人がまねしようとして努力しても,決して誰もまねることのできない人生を送った人々だ。彼らは,明治維新直後 に,伊予から新都東京に出た。それぞれ動機は異なっていたにしても,いずれも学問によって身を立てることを志した。しかし,いずれも学者にはならなかった。なぜならなかったのか。それぞれの理由があるが,司馬遼太郎は,現代にまで通ずる重要な指摘をしている。その一つは,ミスマッチであり,他方は時代の要請である。

 ミスマッチとして指摘されていることの中には,財政的な問題が含まれている。学者は,べらぼうに金のかかる仕事だ。自分で何かを生産して売るという仕事ではない。それなのに,本や資料の仕入や海外での研究のための資金など,べらぼうに費用がかさむ。学問研究だけではなく,まともに人間教育を目指そうとすれば,更にとてつもなく費用がかさむ。だから,金持ちでなければ学者になることができない。現在,日本にどれだけ多くの学者が存在するのか分からない。しかし,その大半は,サラリーマン学者である。だから,日本の学者に良い成果を望むのは,それを望むほうが最初から間違っている。この点については,文部科学省もメディアも,よく考えてほしいと思う。現実を無視した大学改革など単なる画餅に過ぎない。恥ずかしながら,この私も,自分の研究時間を削って,自分の費用をまかなうための資金稼ぎに奔走しているような状態だ。もともと貴族や学問僧という寄食人種のやるべきことを庶民がすること自体が間違っているのかもしれない。このような状況を打開するためには,少なくとも,アメリカ等と同程度の研究資金の寄付システムが構築されなければならないだろう。そうでなければ,今後さらに学問研究が衰退していくことは必定だ。

 ただし,司馬遼太郎は,登場人物の一人の口を借りて,金に縛られる人生はよろしくないと戒めている。それは,全くそのとおりだ。金に縛られたのでは,学問の自由が損なわれてしまう危険性が確かにある。しかし,現実は現実だ。資金がなければ何もできない。また,資金を得るために,教壇以外の部分で働くことには,別の効用もあるかもしれない。私の場合には,資金稼ぎと言っても,弁護士の仕事を したり,学者としての専門分野を活かしたリサーチやコンサルタントの仕事をしたりするくらいしかできない。だが,このような仕事が,現実社会と理論研究との間の良い架橋になっている。机上の学問だけに堕すことのない歯止めとなっているのである。社会の実相を無視した法学など,全く無意味である。

 法学は,徹頭徹尾,実学である。実学としての法学を考究するためには,その基盤となっている経済と社会の運動を知らねばならない。特定の法システムは,それが機能すべき特定の社会環境の中においてのみ機能するものだからだ。そして,その社会と経済の運動の動因となっている人間の本性というものも知らねばならない。人間の欲望によってのみ,社会システムは運動する。このことは,ハムラビ王が法典を編纂した当時から既にそうであった。プラトンやアリストテレスの時代でもそうであったし,キケロやグロティウスにとっても,そして,ヘーゲルの存在理由としても,そうであったに違いない。日本における明治維新における有様は,まさにそれであった。また,第2次世界大戦後の日本の法学も,実は,その本質においてはずっとそうであった。ただ,これまでの日本では,その自覚のない学者があまりに多かっただけのことに過ぎない。このようなことを自覚するためには,人間の歴史というものに深く思いを致さなければならないだろう。

 司馬遼太郎は,また,第2の指摘として,フランスの軍人やその他の登場人物の口を借りて,「騎馬軍というものはごく限られた天才にのみ使いこなせるものだ」,「天才を育てることはできない,その点で教育などというものは 全く意味がない」という趣旨のことを言っている。これも,基本的には,正しい見解だと思う。「藍は,青より出でて・・・」という格言がある。真の天才にとっては,触媒となる恩師が必要なこともある。しかし,実は,常に自力でのみ天才になっているのであって,天才を栽培する教育法など存在しない。司令官にふさわしい人材を育成するための教育方法も存在しない。上司や経営者を構築するための方法論も存在し得ない。従って,天才を育てることのできる大学など,決して存在しない。真の天才を上回る教師など絶対に存在し得ないのだから(教師が学生を上回っているとすれば,その教師を相対的に下回る学生のほうが最上級の存在であるべき天才であろうはずがない。),このことは,当たり前と言えば当たり前のことだ。そして,天才は,常に社会から疎んぜられる。能力と無関係に,血筋や派閥や学閥や交友関係等によって地位を維持している人々にとっては,天才の存在それ自体が大いなる災いそのものでもあり得る。だから,多くの天才の卵は,芽が出る前に抹殺され,去勢されるべき運命にあるということも言える。世の権威の大部分は,ほぼ空虚である。にもかかわらず,どの時代でも非常に強力である。そのような難関をくぐり抜けて,歴史に名を残すことのできる者は,「神に選ばれていたのだ」と評価するしかないだろう。 選ばれているということが俗人には理解できないから,あるいは,そうだということを納得したくないから,「時代の要請だ」と表現する以外にないのかもしれない。

 このことは,実は,秀才といわれる人々についても同じである。ただ,天才ではなく秀才と呼ばれるタイプの人々は,社会の部品としては非常に重宝な存在だ。だから,結果的に秀才をよく集めることのできる大学は幸いである。そのような大学は,何も努力せずともその声望を高めることができるだろう。そして,その逆もまた真である。だから,「優れた大学」などというものは,最初から存在しない。優れた大学であるという幻想に惹かれる秀才の数が一定数あれば,そして,その幻想が共通しているのであれば,そのような幻想をもった秀才がより多く集まる大学が出現し,その結果,そのような幻想が更に増強されるだけのことである。大学それ自体としては,実は,敷地と建物しか存在しない。

 ただ,幾ばくかの真実を含む幻想も存在する。そのような種類の幻想の一種として,例えば,「良い教師がいる大学に行けば,良い 指導を受けることができる」という幻想もある。この幻想は,部分的には正しいことを含んでいる。つまり,凡庸ないし平均的なレベルでの知識や技能は,ごく標準的な教師によっても伝授することが可能な範囲にある。だから,平均的な労働者たらんとする者にとっては,良い教師の含有率の高い大学は良い大学であるに違いない。大方の人々にとっては,それだけでも十分に満足すべきもの だろう。また,真に才能を伏在させている者であっても,その存在に気づくきっかけがなければ,その才能は開花しない。その才能が目を出すためのきっかけを与えることが 重要だ。そのきっかけの一つとして,よく人を見極めることのできるタイプの教師が少なからず存在することもまた事実だ。人生には数多くの出会いがある。その中で,良い出会いというのは,自分自身を知り,より良く生きるための触媒となるような時間を共有できるというようなタイプの出会いであるに違いない。だとすれば,大学の経営者は,良い教師と良いコンテンツの 獲得・増強に努めるべきであろう。そのことが,大学というサービスを誠実に提供するための基本である。

 ところで,「大学教育の目的は何か?」ということがあちこちで議論されている。定説はない。実際,教育という営みは,各教師毎に非常にユニークな出来事であらざるを得ない。だから,これを定式化して考えることそれ自体が間違っているのかもしれない。私の場合どうなのかと言うと,私は,教師が自分の無知をさらけ出すことではないかと思っている。それによって,無知であることを恥じるのではなく,無知であるがゆえに,「生きていくためには努力し続けるしかない」ということを身をもって示すこと,それが教師の重要な役割ではないかと思う。そして,私のような平凡な人間でも,努力によって克服できることが「少しはある」ということを示そうと思う。それによって,若者達に生きる勇気を与えることができるとすれば,非常に嬉しいことだ。そして,教育は,それだけでもほぼ6割方成功したものと満足すべきであろう。 そのようなことを実現するためには,教師自身が,日々我が身を三省し,そして,謙虚に精進を重ねることを要することは言うまでもない。

 世間では,「いまどきの若者は自分の考えというものがない」云々と言われることがある。私が見ているところでは,この見解は,少しだけ間違っている。現代の若者達は,過去のどの時代の若者達とも同様に,それぞれの見識を持っている。ただ,非常に了見が狭いだけのことだ。あまりにも狭い世界の中に安住し切っているようだ。まあ,それだけ平和だといえば平和な時代だったのかもしれない。しかし,現時点では,そのような平和 など既に破られてしまっている。それなのに,そのことに気づくことができないくらい平和な脳味噌になってしまっているところが悲しい。これは,長年,親や学校からそのような発想しか持てないように育てられてきてしまっていることに起因するものであろう。そうである以上,いまさら叩き直すことなどできない。卒業し,社会の実相に直面し,死や逃避の誘惑にうち勝って,自分 自身の無知と無力を認識し,努力することを覚える。そうなってから,初めて,その世界から抜け出ることができるのだ。これは,普通の知識を伝授するだけの教育では対処できないタイプの問題である。

 しかし,シミュレーションによって,漠然としたものであったとしても,学生に対して,予測の材料を与えることはできる。その材料をどう受け止め,それをどのように用いるかは本人次第だが,多少たりとも衝撃緩衝剤として機能することはあり得る。教師は,それぞれの専門分野を通じて,そのようなシミュレーションを提供することはできるだろう。私の場合は,自分の失敗を恥じないでさらけだす ということしかできない。実際,これまでの私の人生は失敗につぐ失敗の連続であった。つまらない欲望にとらわれて起こしてしまった失敗もあるし,完全なケアレスミスもある。自分の経験や能力を過信したがための出来事もたくさんあった。誤解や早とちりに起因するものもある。そして,自分自身の失敗経験が無惨な屍となって大きな山を築いている。今後も何度となく様々な誤りを重ね,つまらないことに後悔しながら生き続けることになるだろう。だが,それでも なお,私は,どうにか理想を棄てないで,まだ生き続けている。 私の人生は,他人の目からすれば恥ずべき人生であったかもしれない。しかし,自分の人生に悔いはない。私は,今後も,自分の信ずる道をただの1歩でも先に進めようと努力し続けるしかないし,それができることに大きな喜びを感じている。このような私自身の実相を示すことによって,彼ら学生が「より具体的なイメージでシミュレーション をしてくれるのではないか」とほのかな期待を抱いている。

 私は,また,学生達に,こういうことを言うことがある。

「学生生活というものは,世間から見ると,非常に奇妙な時間だ。社会に出て,仕事をしなければならない時間帯に,なにやらわけのわからない教科書を机に開いていたら,それ自体で職務専念義務違反になり,懲戒処分をくらっても文句など言えない。しかるに,学生諸君は,いくら勉強しても,ほめられることはあっても怒られることなど絶対にない。このような生活ができるところは,他にどこにあるだろうか?だから,今の時間を大事にして,今しかできない勉強をしっかりやってほしい。できれば,社会に役立ちそうな勉強ではなく,およそ世間離れした勉強のほうが望ましい。なぜなら,そのようなものを集中して長時間,しかも,自分の意志で勉強できるのは,大学しかないからだ。」

 これを聞いて,はたと気づいてくれる学生もある。だが,大方の学生には,何のことやら理解できない。生活実感が乏しいからだ。社会の実相をきちんと子供に伝え,学ぶことのできる場と時間を与えられることのありがたみを教えることができるのは誰か。それは,本当は,その子供の親しかいないと信じている。親の責任は大きい。大学の目的について,世の多くの親は,将来の就職のために大学に行くのだと考えているかもしれない。しかし,そうではなく,よりよく生きるためのヒントを得るために何かすきなことを勉強する,というのが「大学」という空間の本来の役割である。就職は,そのようにして見いだした自分自身というものの延長線上にある存在形態の一つに過ぎない。人間は,一般に,「自分が何をなすべきか」に気づいていない。才能があってもその才能を開花させないで終わってしまう人が多いのは,そのためだろうと思われる。子供の才能は,その子供の中に内在されているものであって,親の期待とは反するものであることもしばしばある。ここに家庭教育におけるミスマッチが発生する。親の期待は,多くの場合,親の欲望の投影に過ぎないことが多いからだ。欲望の投影である以上,それは,事実ではない。大学教師の役割の一つは,そのミスマッチを自分で発見できるような環境を整えてやることにもあるのではなかろうか。そして,そのような環境の中で,自分自身の生きるべき方向性を見いだし,生涯勉強を続けるための方法論を見いだし,そのための根気強さを身につけることのできた学生は,大いに幸いである。

 私がそれまでの職を辞して学者になると決めた時,私は,既に40歳だった。新たな学問を究めるためには余りに高齢過ぎた。学者に転じたことそれ自体が,賭というようなものを通り越して,無謀そのものだったかもしれない。いま,40代半ばを越え,そのような思いはますます強まっている。寝る時間も惜しんで30代以下の人々の何倍も多く勉強し,考えなければならない。それでもやっと一応程度のことしか分からない。調査し,研究し,考えなければならないことは,ますます増える一方だ。 語学力の貧しさも相変わらずだ。そして,時間がたつのは早く,能力が衰えるのはもっと早い。下手をすると,10年後には老醜をさらすだけの身となっているかもしれない。だが,私は,それが可能である限り,今後も,納得いくまで勉強をし続けたいと思う。そして,学生達に対しては,「勉強する時間」を持つことができるということが,どれだけ贅沢なことであるのかを伝えたい。しかも,その贅沢は,学生でありさえすれば,誰にとっても平等に味わうことのできるものだということ も説き続けたいと思う。勉強すべき具体的な対象は,学生各人の人生の中で,自由に決定すればよろしい。私自身はと言えば,ひょんなきっかけから,たまたまコンピュータ法と法情報学を選択してしまったのに過ぎないのだが。

 などというようなことを考えているうちに,やっと列車の運行が再開されることになった。かなりの時間が経過している。 深夜と言っても良い。私は,本を閉じ,愛用の鞄の中にそれをしまいこんだ。

 明治大学のある駿河台下に猿楽町というところがある。司馬遼太郎の言によれば,かつて,正岡子規は,ここで下宿生活を送っていたそうだ。明治大学リバティタワーのエレベータに乗ると,おそらく明治時代とはその様相を一変させてしまっているであろう猿楽町界隈を眼下に鳥瞰することができる。伊予から出て大学をめざした青年達は,その下宿で何を思いながら暮らしていたのだろうか。


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Published on the Web : Jul/06/2001

Error Corrected Jul/13/2001

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