電車の中で

by 夏井高人


 

 昼時の電車は意外と混雑していることもしばしばあるが,それでも朝夕の通勤ラッシュ時刻と比べれば天国と地獄,往時の路面電車や田舎の路線バスのような,半ば縁側のひなたぼっこのような,一種独特ののんびりとした雰囲気に浸ることができることもないわけではない。

 そうして,長いシートの真ん中に腰掛け,電車の揺れに身を任せてうとうとしながら,ふと気づくと,丁度向かい側のシートから対面して,妙齢の女性の意味不明なまなざしと衝突することがある。そういうとき,私は,大学生当時サークル仲間であったMのジョークを思い出す。大瀧詠一の「ROCK'N'ROLL退屈男」が大好きで,比較的モテモテ男だったMは,コンパか何かの折りにこんなことを言っていた。

 バスとか電車とかに乗っていて,対面の人と目が合ったときなんかに  「向かいの人は何を考えているのかな」って考えることがあるだろ?でも,きっと,向かい側の人も「「向かいの人は何を考えているのかな」って考えているのかな」って考えていたりして,それで,自分も「「「向かいの人は何を考えているのかな」って考えているのかな」って考えているのかな」と考えていることになって,これが延々と続くんだよな・・・

 まるで向かい合わせに置いた2枚の鏡のように延々と・・・などとつまらないことを思い出していると,現実には,「失礼ね(変質者かストーカーかしら?)」とでも思うのか,さらりと視線をそらされてしまうのが普通である。私は,とても小心者なので,相手方から視線をそらされると(逆に熟視されればますます),慌てて視線を伏せてしまうか,それとも,腕を組んで目を瞑ってしまうのが通例である。だから,Mのジョークのように延々と・・・なんてことはありそうにないことだと思う。

 そう思いながら,再びうとうとしていると,なぜか授業の風景を思い出してしまった。横長の教壇を縦横無尽に歩き回る私は,学生に向かって,こんなことを言い始める。

 ある学者が完全なタイムマシンを発明した。このタイムマシンは,時間を過去に遡らせることができる「完全なタイムマシン」だった。そして,ぐるっと取り巻いたカメラマンとか新聞記者なんかが固唾をのむ中,ゆっくりと赤色の始動スイッチを押した。ところが,何も変わらない。そこで,やっぱりという顔をしながら,新聞記者の一人がその学者に質問した。

「先生,失敗ですか?」

 しかし,学者は,金色にピカピカに磨き上げられたタイムマシンを片手で撫でながら,こう答えた。

「いや,大成功だ。」

「でも,何も変わらないじゃないですか。」

 学者は,にやりとして言った。

「いやいや成功したんだよ。大成功だ。見てのとおり,今,スイッチを押しただろう。マシンが完全に機能したから,この空間が時間を遡り始めたんだ。そして,時間を遡ったからこそ,瞬時にスイッチを押す前の状態に戻ったんだ。つまり,過去に遡らない状態に戻ったんだな。そして,それから,スイッチを押す前の時点からの時間の進行が始まったというわけだ。これを何回繰り返しても何度でも同じ結果が繰り返される。だから,素人目には何も変化がないように見える。よろしいかな?しかしまあ,君らには難し過ぎて理解できないかもしれないがね・・・」

 ああ,こんなレベルの低いショート・ショートが学生にうけるはずがない。一人で苦笑いを隠しながら瞼を開けると,やはり対面の女性の視線が目に突き刺さった。

 「「「「向かいの人は何を考えているのかな」って考えているのかな」って考えているのかな」って考えているのかな・・・・?」

 自分自身を参照するように入れ子になったプログラムが停止せずに無限に循環動作し続けているかのように・・・

 どれもこれも同じような週刊誌の吊り下げ広告のゴシップ記事の見出しを読むふりをし,窓の外の景色を見るふりをし,他の客の様子を見るふりをし,それから,対面の女性の視線を感じないように腕を組み瞼を閉じて・・・

「それにしても,彼女は何故私の顔を見るのだろう?知り合いだったかな?私の授業に来ている学生?行きつけの店のホステス?いや,まるで覚えがない・・・・」

「やはり,「「「「向かいの人は何を考えているのかな」って考えているのかな」って考えているのかな」って考えているのかな」って考えているのかな・・・・?」

 そんなことを考えているのが馬鹿らしくなったので,タイムマシンねたで別のショート・ショートを考えてみた。こんなのはどうだろう?

 ある学者が完全なタイムマシンを発明した。このタイムマシンは,時間を未来に加速することができる「完全なタイムマシン」だった。そして,ぐるっと取り巻いたカメラマンとか新聞記者なんかが固唾をのむ中,ゆっくりと赤色の始動スイッチを押した。ところが,何も変わらない。そこで,やっぱりという顔をしながら,新聞記者の一人がその学者に質問した。

「先生,失敗ですか?」

 しかし,学者は,鉄錆色のタイムマシンを片手で撫でながら,こう答えた。

「いや,大成功だ。」

「でも,何も変わらないじゃないですか。さっきから腕時計を見ていたんですが,目分量とはいえ,秒針の動きだって全然変わらないし,時間の速度が早まったとはとても思えません。自慢じゃないけど,この腕時計は,スイス製の最高級品なんですが・・・」

 学者は,にやりとして言った。

「そんなことはない。成功したんだよ。大成功だ。ただ,君の腕にはめられた最高級腕時計だけじゃなくて,君自身を含めこの空間の中にあるもの全部がすべて同じように加速されているから,その空間の中にいる君たちには,この空間がどれだけ加速されたかを測定できないだけのはなしさ。よろしいかな?しかしまあ,君らには難し過ぎて理解できないかもしれないがね・・・」

 やはり馬鹿馬鹿しい。これは使えない。仕方がないから,次の授業では,クレイジー・キャッツの「実年行進曲」か何かを学生に聞かせて感想文でも書かせてみようか・・・

 やがて,雑音でとぎれとぎれになった車掌の車内放送が流れるのに耳をやり,レールがゆっくりと速度が低下し始める音をたてるのを感じ,そして,電車の停止を寂しく思いながら腰を上げ,不器用に開いたドアから,誰かが吐き捨てたチューインガムのこびりついた痕跡があちこちに目立つホームに降り立った。

 数歩ばかり歩いて,何の気なしに振り返ってみると,降りたばかりの黄緑色のラインのある電車の自動ドアが閉まった。そして,床下のモーターの加速音とゴトゴトとというレールの音と車両がきしむ音とその他もろもろの雑音と共に次第に去りゆく電車の窓から,さっきの女性の後頭部にくくりつけられた巨大な洗濯ばさみのような琥珀色で半透明のプラスチック製の髪挟み用具も去りゆくのが見えた。

「彼女は,この環状線を永遠に回り続けているのだろうか?いや,そんなことはない,環状線とはいえ,電車が車庫に入るときには終了だ。永遠に循環しているのは観念的な路線だけであり,実際には,レールだってポイントの切り替えによっていかようにも変化する。だから,彼女が永遠にこの路線の電車に乗り続けており,この駅のホームのこの場所で待っていれば,何十分か後には,きっとさっきの髪挟みが電車の窓の中に見えて・・・・なんてことはあり得ないことだ。しかし・・・・」

 


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Last modified :Oct/05/1998

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