ネットワーク上の違反行為と現実社会のサンクション
by 夏井高人
私は,著書「ネットワーク社会の文化と法」において,「ネットワーク・サンクション」という用語を公表した。
これは,ネットワーク上での電子マネーによる電子決済が人類の標準的な決済手段となり,ネットワークを介した通信なしには社会生活ができないほどまでにネットワーク社会が成熟した状態を想定した上で,電子マネーの不正利用を含むネットワーク上の違反行為がなされると,その違反行為に対する対処としてネットワークへの接続禁止がなされることになるであろうが,この接続禁止措置すなわちネットワークからの排除措置は,少なくともネットワーク社会においては,「死刑」に相当するものだ,ということを主たる内容とする概念である。
私の前記著書が大方の予想に反する売れ行きを示し(完売状態),広くさまざまな人々に読まれているせいかどうか,このネットワーク・サンクションという考え方に対しては,直接・間接に,賛否両論さまざまなご意見をいただいている。単純な賛成論もあるが,反対論の論拠としては,自由競争が維持されている限り,特定の企業がネットワーク関連の基本技術を独占することはないだろう,かつてのAT&TやIBMがそうであったし,現在のMicrosoftやIntelだって例外ではない,また,完全なネットワーク社会などというものが到来することはなかろう,ということに尽きると思われる。
たしかに,反対論に示されている論拠には説得力がある。Windows が嫌いであれば unix がある。Pentium が胡散臭いというのであれば K6 もある。
しかし,一般消費者は,慣れ親しんだ基本技術から,異なるタイプの基本技術へと簡単に移行することなどできない。だからこそ,逆に特定の商品や製品が独占的地位を占めることができるのである。もし仮に一般消費者がどんなに難解なマニュアルでも読みこなせる力を一般的に保有しているとすれば,それぞれの好みのみに従ったシェア配分がなされるはずであり,独占とはほど遠い状態しかあり得ないことになりそうであるが,実際には,たいていの人が使っている標準的技術は,それがたいていの人に使われているというだけの理由で,最も使いやすい技術なのである。なぜなら,分からないことがあれば,隣家の住人や友人や職場などでちょっと聞くだけで足りるからである。要するに,マニュアル(教科書)を読んで,新たなタイプの技術を収得するだけの能力や時間的余裕をふんだんに持っている消費者などというものは,空想である。このことは,著書でも書いたことである。
したがって,ネットワーク社会におけるネットワーク・サンクションは,空想やSFではなく,現実的に発生し得る一つのシミュレーションである。
とは言っても,このようなネットワーク・サンクションが完全なかたちで出現するのには,ネットワーク社会の成熟が必須の要件である,と私は考えていたし,今でもそう考えている。そうである以上,現実の社会生活に重大な影響を及ぼすようなネットワーク・サンクションというものが現実に現れるまでには,まだ時間的余裕があるだろうと予測していた。
ところが,最近の状況を見ていると,そうとも言い切れないということに気づいた。すなわち,ネットワーク上の違反行為に対するネットワーク上(のみ)の排除行為が,現実の社会生活に対しても重大な影響を及ぼすことがあるということが分かってきたのである。たとえば,
1 就業時間中に,社内規則に反して,業務と関係のないサイト(とりわけアダルト・サイトなど)を閲覧している従業員に対して,懲戒解雇がなされる例が急増している。
法理論上,懲戒解雇が正当であるかどうか(債務不履行として普通解雇をし,事情によって退職金の不支給決定をすべきではないか?)という疑問がないではないが,おそらく,解雇が適法であり相当でもあるという結論を左右することはできないであろう。そうなると,社内ネットワークの利用規則違反に過ぎないはずのものが,労働者の身分そのものを左右することになってしまっている。
2 学生が,大学のネットワーク利用規則に反してIDの不正流用(「使い回し」や「なりすまし」)をしたような場合に,利用資格の取消措置が講ぜられている。
これは,措置としては当然のことである。IDは,ネットワーク上のユーザ識別のための基本的な道具であり,その不正利用を許容するとすれば,ネットワーク全体が崩壊する危険性がある。また,そのようないいかげんなID管理をしている大学サイトからのインターネット接続について,インターネットの他のサイトに対する全体的な接続禁止措置がなされ,結局,大学のネットワークがインターネットから切り離されのてしまうということもあり得るし,現実に,いくつかのサイトでは,そのような実例がある。
ところが,この問題は,単にネットワーク上の違反行為に対する措置というだけの意味を有するわけではないことがある。たとえば,当該学生が卒業のための必修科目としてネットワークIDを必要とする科目を受講しているとすると,ネットワークの利用資格の取消措置は,直ちに,その学生が「卒業できない」という事態を惹起させてしまう。良くても,瞬時にして「留年」が確定してしまうのである。この問題は,教授会とか法人理事会などとは無関係の問題であるから,利用資格取消の措置がなされても,大学・学部の自治が害されることには全くならない。仮に害することになるという理論が正当であるとしても,学部と法人が,そのような措置があり得ることを事前に了承し承認しているのが通例であるから,あとになって「教授会の自治を害するものだ」等という文句をつけることはできないのである。
これら2つの例以外にもさまざまなタイプの事例を知っているが,いずれにしても,ポイントは,ネットワークの管理者によるネットワークの正常な運営のための完全に適法で内容的にも妥当な処分・措置が,現実社会に対しても極めて重大な波及効果を及ぼすことがあると言い得ることになる。
このような問題が発生する要因を検討してみると,要するに,ネットワーク管理者は,現実社会の組織上の権限システムとは無関係に,システム上の措置に関する権限を有していることにその最大のポイントがあると思われる。しかし,この矛盾を解決するために,たとえば,ネットワーク上の権力関係と現実社会の権力関係を一致させようとして,当該現実社会の組織の長に対し,システム上の措置をする権限をも与えるとすれば,その現実社会の長は,ネットワーク上の権限をも入手することによって,必要以上に強大な権力を手にすることになってしまうだろう。その反面で,システム上の措置を講ずるにはそれ相応の高度な専門知識と能力そして実務経験が必要であるにもかかわらず,現実社会の組織上の長にはそれが備わっていないし,備わる可能性もほとんどなく,このことは,相当将来においても同じであろうから,現実にネットワーク上で何か問題が発生した場合に,それに対する適切な対処ができず,その結果,ネットワーク上の措置の知恵や不適切によって,問題が発生したネットワーク・システムだけではなく,そのシステムを利用している現実の組織全体がたちまちのうちに全面崩壊してしまう危険性もあるのである。要するに,どちらにしても,システム上の管理者の権限を現実社会の組織の長に与えるという対処をすることは,明らかに自滅行為である。
これらのことは,今後のネットワーク社会の形成を考える上で,大きな示唆を与えているように思われる。すなわち,これまでの歴史社会において権力システムとして考えられてきたもの,たとえば,国家元首とか裁判所とか警察・検察とか軍隊とか独占企業とか巨大マスコミとか,その他の巨大圧力団体などが,実は,その権力の実質を喪失しつつあることである。このことに気づいている者は,そう多くはないだろう。しかも,問題を難しくしているのは,伝統的な権力を維持するためにシステム管理者の権限を狭めるとすれば,その管理者の権限を狭めたことそれ自体によって直ちにネットワーク・システムが正常に機能しなくなり,または,システム全体の崩壊が発生する危険性さえ発生してしまうことから,実際には,システム管理者の権限を弱めることなど絶対にできないということである。
この問題は,日本だけの問題ではない。まさに,サイバー法の必要性が叫ばれるゆえんであろう。
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Last modified :Jun/22/1998