農耕社会の時間と狩猟社会の時間

by 夏井高人


 

 明治大学のサーバの更新作業が入り,どうせアクセスできなくなるしデータの更新もできなくなるのだからと思って,久しぶりに愛車BMW318i のハンドルを握って常磐道を飛ばし,田舎の温泉へ家族旅行に出かけ,冷たいものがぱらつく中,ほのかに硫黄の香り漂う檜の湯船につかり,外の雪景色をぼんやりとながめながらとりとめのないことを考えてきました。

 温泉入浴は,日本人が特に好む保養の方法の一つですが,日本人だけではなく,スイスの保養地などの例にも見られるように,西欧民族の中にも好む者が少なくないし,遡って,古代ローマ帝国ではカラカラ帝の浴場に代表される浴場が属州も含めてローマ帝国内の各都市に完備され,ローマ市民にとって入浴は欠かせないことであったようです。

 ところで,こうして保養をとるのはいいけれども,日本人の場合,休養している時間以外の時間を本当に「働き蜂」として過ごしているかというと,この点についてはかなり疑問視する向きが多いようです。むしろ,アメリカのエグゼクティブのほうが一日中働き回っている猛烈型人間だということは,常識になってきているかもしれません。では,日本人の場合,どういうのが普通の仕事のパターンかというと,一般に「仕事」と「休憩」との境が判然とせず,何とはなしにだらだらやっているというのが普通ではないか,そのために形式的な意味での労働時間が長時間に及んでしまうのではないかと思われます。たとえば,ウィークデーだというのに,会社のマークのついた自動車で乗り付けた営業マンと思しき人々が郊外のパチンコ店にはずらりと並んでいるし(一昔前は,喫茶店もそうだった。),5時過ぎにサラリーマン向けの飲み屋なんかにいくと,商談なのか部下の指導なのか分からないけれどとにかく仕事と遊びとをまぜこぜにしたような光景をしばしば目にするし,大学だけではなくどこの組織でも「会議」というととにかく「非効率的なもの」の代名詞になってしまっています。最近の新聞などで非難の的になっている官僚接待等もその延長上で考えることができるかもしれません。一体,これは,どういうわけでこうなってしまっているのでしょうか?

 私は,岩手の田舎の出身で,小さいころは釜石の製鉄所とか宮古のラサ工業などの例外を除いては農業や養蚕くらいしかめぼしい産業がなく,かなり長い年月を畑や田圃なんかの中で育ちました。農作業というのは,1年という非常に長いスパンで1サイクルが繰り返されます。そのサイクルが毎年繰り返されます。日々の仕事は,そうあくせくやりません。たとえば,1時間雑草取りをすれば休憩になります。田舎の用語では,「たばこ」と言います。これは,休憩時間にキセルをふかすことからきたのだろうと言われています。「たばこ」の時間には,畦や土手などに集まって,黄色や紫色や赤色の小さな草花に囲まれて,ヒバリがピーチク騒がしい青空の下で,お茶を飲んだりお菓子を食べたりします。時折,山のほうからキジかカッコウの声なんかもきこえてきたりします。そうして,「たばこ」が終わると,「よいこらしょ」と言いながら腰をあげ,道具を手にとって,また田圃や畑に降りて雑草取りになります。1時間くらいすると,再び「たばこ」の時間になります。こういうのが雑草取りだけではなく,田植えのときにも収穫のときにも繰り返されます。このような仕事のあり方は,決してなまけているわけではなく,死ぬまで農地とともに生きる人々にとっては必然なんだろうと思います。張り切って短時間で猛烈に雑草取りをやり終えてみたとしても,無理して体を壊したりしますし(都会の人が慣れない家庭菜園をしたり,いきなり農家になったりすると,必ず経験するはずです。),あわてて雑草取りをしたところで,どうせまた生えてくるわけですから,伸びてきたころに同じ場所の雑草取りに戻ってくるように一定ののんびりしたローテーションで広い畑や田圃をぐるぐるまわりながらのんびりと草取りを繰り返すのが最も合理的なわけです。
 現代では,農薬とか農機具を使用した農業が一般的ですので,こうした風景を見ることも少なくなったかもしれません。しかし,少なくとも,私が小さいころにはこのような「たばこ」と一体となった仕事のあり方は,ごくありふれた光景でした。

 さて,日本は,つい最近まで,日本人の大半が農民だったわけで,したがって,日本における労働の基本的構造も「たばこ」に代表されるようなゆっくりとしたサイクルを基準にしていたのではないかと思われます。田舎から季節労働者として都会に出ていく「どかた」とか「季節工」のひとたちの仕事のやり方は,おそらく農業におけるそれとほぼ同じようなものだったと思われます。専門家ではないので間違っているかもしれませんが,もしかすると,炭坑労働者や漁業者の世界も同じような構造をしていたかもしれません。都会の会社勤めでも,じっくりと観察すれば,同じだったのかもしれません。そうだとすると,およそ「仕事」というものと「休憩」というものと地域社会のコミュニケーションというものとが不可分不離のものとして存在することになります。これが,日本における労働の基本パターンなのであり,しかも,農業を基本にしている以上,何年繰り返しても,本質的には単純再生産が基調であって,改善工夫などもってのほかということになりそうです。

 これに対し,狩猟民の世界は,違っているようです。日本の「またぎ」でもそうですが,狩猟社会においては,基本的に個人または少人数グループのハンター達の技量の優劣の世界です。そこでは,個々のハンターや「せこ」の技術や能力が問題であり,それが劣っていれば,結婚もできないし,結婚していても家族を飢え死にさせてしまうことになります。獲物は,共同体の中の弱い者にも分配されることもありますが,その場合でも,実際に獲物をしとめた個々のハンターの技量と貢献の度合いによって獲物の分配が決定されます。たとえば,クマの肝は,そのクマを仕留めたハンターにしか分配されません。このような狩猟社会は,狩猟が生活手段であった時代だけではなく,その後単なるスポーツになってしまった時代においても,ゲルマン系ないしアングロ・サクソン系の社会ではその基底をなすものだといわれています。
 ところで,そのような社会における労働のあり方は,基本的には,個人の技量を基準にしたものとなり,改善工夫によって多くの獲物を獲得した者が王者になり得る社会だという仮説をたてることもできそうです。仮にこの仮説が正しいとすると,狩猟社会における文明は,日本におけるような農業文明とはかなり大きく異なったものであるといえそうです。

 このように模式的に対比してみると,休養とか休暇の意味も,農業社会と狩猟社会とで,相互にかなり異なったものでありそうです。農業社会では,休憩(休養)と仕事との境界はない(日本人の考える休息)。これに対し,狩猟社会では,ハンティングは猛烈に集中して遂行されるけれども,ハンティングをする必要のない時間帯には,全く自由な時間として休暇が存在する(西欧人の考えるバカンス)。もしかすると,こういうことになるかもしれません。

 アルビン・トフラーは,「第三の波」の中で,人類が第一の波(農業社会),第二の波(工業社会)を経て第三の波(情報社会)へと段階的に発展するという仮説をたてています。地球全体の人類の歴史を言うのである限り,基本的には,そうだろうと思います。しかし,人類を構成する個々の社会の中にある個々の人々は,過去の遺産を引きずりながら生きている文化的動物であって,それまで生きてきた空間にあったものとはまったく異なる文明へと全面的に一斉に変化するということは,そうあるこではありません。一見,そうしたできことが発生したとしても,その社会ないし個人の中に内的な文化の連続が存在している限り,かならず復古的な考え方もでてきます。そもそも人間は,自分が小さかったころに覚えた生活習慣をそうそう簡単に変えることができるものではありません。だとすると,社会全体としても,狩猟民族系の社会は,第一の波以前の殺伐とした弱肉強食を基本とする社会構造を基底に維持していることになりそうですし,日本を含めた農業文明社会では,外見が西欧化され情報機器を駆使して仕事をするようになっても,その基底は集団主義的で農業社会的な社会構造を維持していることになりそうです。

 しかし,そのいずれが優れているかとか劣っているかとかいうような類の短絡的な議論は,まるで不毛だし何も生み出さないだろうと思われます。とりあえずは,相互にかなり異なっているということを自覚するだけでいいのではないでしょうか。ですが,もしかすると農業社会における時間と狩猟社会における時間とは,その本質において,相互に異なるものだということに注意しなければ,ものの見方を誤ってしまうかもしれない,ということだけは言えそうです。言い換えると,「時間」は,個人においても社会においてもかなり主観的なものであって,客観的な存在ではないということになるのかもしれません。今後,経済の自由化やグローバル化の進展が予想され,日本国内でも外資系の企業が急増する中,このことは,よく考えておく必要があると思いますし,非農業文明の下で育ったひとたちにもアイデンティティの問題として十分理解してもらえるような努力を続ける必要があるのではないかと思われます。

  


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Last modified :Apr/03/1998

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