コンテンツの増加と個人ユーザのパフォーマンスの低下?
by 夏井高人
昨年あたりと比較して日本におけるインターネット接続サーバの数の伸びが鈍化したと報じられているし,また,数年前と比較すると,インターネットに対する無条件の礼賛とか期待のようなものも薄れてきているように思われる。しかし,全体として見ると,インターネット上のコンテンツの総量が激増していることは否定できない。インターネットでは,現在でもなお,組織だったものと私的なものとを含め,さまざまなジャンルの多様な種類・タイプのコンテンツが無数に増殖し続けている。
そのこと自体は,ネットワークへの個人の参加あるいは情報発信が継続的に実現されつつあるという意味で,喜ばしいことと評価できよう。しかし,個々のユーザがネットワークに接続することのできる時間は限られており,しかも,ネットワークへの接続について積極的なユーザの数は,実際には,コンテンツの増加数と比例して増えてるとは言えない。すると,どういうことが起きるであろうか?
一つのシミュレーションとしては,個々のサイトへ滞留する時間が相対的に減少するということがあり得る。すなわち,たとえば,仮にインターネット上のサイトの総数が10倍に増えても,ユーザの数が一定であり,かる,各ユーザが平等にすべてのサイトに平等にアクセスするとすれば,各サイトに滞留することのできる時間数は,10分の1に減少するはずである。この場合,アクセス回数は,どのサイトでも平等に増加するが,ほとんど,ちょっと立ち寄るだけのような状態がもたらされる。
また,別のシミュレーションとしては,アクセス数の多いサイトと少ないサイトとの2極分化が,誰の目から見ても明瞭に,かつ,急速に進行するということがあり得る。このシミュレーションは,1つのサイトへのユーザの滞留時間が一定であるという前提にたった場合には,最も極端な結果をもたらすだろう。すなわち,たとえば,仮にインターネット上のサイトの総数が10倍に増えてたとしても,そのうちの増加分である9割のサイトへのアクセスがほとんどないという状態がもたらされる。ところで,後者のシミュレーションを採用した場合,ユーザのアクセスが集中するサイトは,どのようなサイトであろうか?
これまた様々なシミュレーションが可能であるが,一般的には,より多くの有用・有益なコンテンツを持つサイトへ集中するだろうというシミュレーションを最もありそうなシミュレーションとして提案することが可能だろう。この場合の「より多くの有用・有益なコンテンツ」とは,もちろん,各ユーザの評価が大きく影響を及ぼす要素であるから,一概にどのようなものがそれに該当するかを即断することはできない。しかし,少なくとも,サイト全体が何らかの意味でデータベース機能を持つとか,あるいは,最新のサービスを提供するとか,そういう状態にあることが必要だろうと思われる。ところが,そのような「より多くの有用・有益なコンテンツ」の提供を個人の私的サイトにおいて継続的に実行することは,かなり困難である。そうすると,ごく一部の有能な運営者による個人サイトを除いては,一般に,個人サイトへのアクセス数の相対的低下という現象が発生する可能性がある。そこで,後者のシミュレーションを前提に,個人サイトへのアクセス数の相対的低下が発生するとして,それがインターネットの発展のためにどのような影響を持つかを考えてみる。
一つのあり得るシナリオは,アクセス数がみるみる減少してしまった個人サイト運営者が,インターネット全体の中での個人の比重の低さをいやでも実感させられ,かなり大きな失望感または絶望感にとらわれ,その結果,インターネット上で情報発信をする意欲を失ってしまい,とりわけ弱いユーザから順にネットワーク社会から脱落していくというようなシナリオである。個人がネットワークに向けて情報発信をするということは,単に「発信」することが目的なのではなく,それに対する反応を期待しているのである。この反応に対してさらに情報発信者からの反応が反復的に繰り返されると,それは,立派なコミュニケーションである。すなわち,「情報発信」は,多くの場合,コミュニケーションの成立のきっかけを求めてなされる行為である。そうでないタイプの「情報発信」もある。たとえば,ネットワーク上でのデータベース・サービスの提供または機能的にそれと同じ意味を持つ情報提供,あるいは,学術研究者がその研究成果を公表するためのネットワーク参加等がそれに該当するだろう。そこでは,情報を提供すること自体に重きが置かれる。しかし,そうではないコミュニケーションの成立を期待しての情報発信の場合(おそらく,個人ホームページの大半がそうであろうと推測される),アクセス数の低下は,同時に,コミュニケーション成立可能性の低下を意味することになる。これは,個人ユーザがインターネットにかかわるための熱意を喪失させるのにもってこいの要素である,ということができるかもしれない。
さて,以上のシミュレーションのうちのいずれがより現実的なものと言えるであろうか?
もしかすると,どちらも間違っているかもしれない。所詮,シミュレーションは,シミュレーションに過ぎない。しかし,インターネット上のサイトやコンテンツの数が総量として増加していくとすれば,個々の個人ユーザの持つ「小さな」コンテンツの重要性やそこへのアクセス数が相対的に低下するという法則は,一応承認できるのではないだろうか?もしそうだとすると,「インターネットを利用した情報発信が,何か意味のある,有益なことだ」というような感覚が常に肯定または充足されるとは言いにくくなることだけは疑いがない。このような感覚は,神話的なものとなるか,または,詐欺的なものとなってしまう可能性がある。皮肉な言い方をすれば,マルチメディア産業とかコンテンツ支援産業,あるいは,これらと関連する大学教育等は,自らの「めしの種」である個人ユーザの意欲をどんどん喪失させるためにいわゆる「情報発信」を鼓舞していることにもなりかねないと言えようか。
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Last modified :Mar/11/1998