企業経営における情報倫理−法学者の視点から−

by 夏井高人


初出:経営情報学会2002年春季全国研究発表大会予稿集(2002年6月1日)


一般に情報倫理の内容とされている事項には,適法性の確保(legitimacy)の問題,道徳(moral)の問題そして純粋な倫理(ethics)の問題が混在しており,多くの混乱を招いていると思われる。

 適法性の確保の問題は,純粋に法的問題である。全ての企業は,適法に存在し,適法に企業活動をし,適法な商品やサービスを,適法な方法によって提供すべきことが法によって命ぜられている。この問題は,内面的な倫理観とは無関係な,国家法による命令とその遵守の問題である。一般に,知的財産権の保護の問題やコンピュータ犯罪の問題などが情報倫理の内容として唱えられることがあるが,これは,明らかな誤りであり,適法性の確保の問題として理解すべきである。このように理解した場合,一般に情報倫理の内容と考えられていることの多くが,適法性の確保の問題であって倫理の問題ではないことが理解される。

 次に,道徳と倫理は,一般に人間の内心の規範遵守の問題だと考えられている。しかし,これらは,いずれも内面的な遵守の気持ちを必要としない。道徳違反や倫理違反に対しては,一定の社会的制裁(サンクション)によって応答されるのが通常である。その場合,内心で特定の倫理や道徳への遵守の気持ちがあると否とを問わない。そして,一般に情報倫理の内容として理解されている問題のうち適法性の確保を除く部分の多くは,このような意味での道徳の問題として認識すべきものが多いと考えられる。

 倫理と道徳の関係を考えてみると,道徳は,それに強制される者の合意がなくても,一定の社会規範(例:村の慣行,ヤクザの掟)として存在しており,伝統的,文化的,歴史的または社会的にその遵守が強制されている。倫理の多くは,それに強制される者の合意に基づく場合または当該倫理というルールが適用される環境へ入ることについて当該の者の同意がある場合が多いと考えられる(特定の職業倫理の遵守が求められる集団への任意の加入行為など)。倫理は,現代社会においては,その強制を受けるかどうかという点について,本人の同意または合意があることが前提になっており,それが強制される環境からの脱退も許されている。これに対し,道徳の場合には,生まれれば自動的に強制されるものであって,当該道徳が適用される環境からの脱退も事実上できないことが珍しくない。

 以上のように解析してみると,情報倫理の問題として理解すべき内容または対象は,極めて限定されたものとなると考えられる。しかし,ないわけではない。例えば,適法の範囲内とされている事項または適法か不適法かが不明な事項について,企業内部や業界団体内部で一定の行動指針を策定し,その遵守を合意(労働協約や就業規則のような集団的合意を含む。)する場合がそれに該当するだろう。これには,一定の目的を達成するための特定の技術の使用や特定の方法の選択などの規律も含まれると考えられる。このほか,「特定の職業人または職能集団としてのスキルを尽くすべきこと」というルールの強制もまた,道徳の問題ではなく職業倫理の問題である。従って,当該職業が情報技術に関連するものである場合,その職業にかかるスキルを尽くすべき義務は,情報倫理の一部として理解することが可能だろう。一般に,ある目的を実現するための社会的強制の方法としては

@ 法令による義務強制の場合

A 技術的な手段による自動実行の場合

B 自主的管理による場合

があると考えられるが,以上のような意味での情報倫理は,Bの自主管理による場合に相当すると考えることができる。

 なお,「情報倫理」という用語を熟慮しないで安易に使用すると,適法性の確保の要請が曖昧にされてしまったり,あるいは,本来であれば当該倫理基準の遵守の前提として必要な合意・同意の存否の確認が疎かにされてしまったりする,というような弊害も考えられる。
 


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Published on the Web : Jul/01/2002