いわゆる通信傍受法とインターネットに対する影響

<プレビュー改訂版>

by 夏 井 高 人


紙メディアでは7月25日発売のIAJ NEWS Vol.6 No.2で掲載される。

発行 日本インターネット協会 http://www.iaj.or.jp
編集  株式会社インプレス
販売 インプレス販売による直販のみ http://www.ips.co.jp 


1 はじめに

 つい数ヶ月前まで,インターネットの住人達の通信傍受に関連する中心的な話題は「エシュロン・システム」だった。しかし,それは日本から遠く離れたアメリカやオーストラリアやヨーロッパのことだった。ところが,この数週間来,「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案」(通信傍受法案)の動向が注目を集めている。
 通信傍受法案は,原案に一部修正を加えた上で1999年6月1日に衆議院本会議で可決された。その後,法案は参議院に送付され,1999年6月30日現在,参議院法務委員会で審議されている。そして,この法案は,今国会の会期中にほぼ間違いなく可決成立し,正式に法律となるものと予測されている。
 しかし,通信傍受法に基づく通信傍受は,遠い外国の出来事ではない。それは,我々が住んでいる日本国で警察によって実施される。そして,本稿の読者も知らない間に通信傍受の対象とされてしまうかもしれないのである。
 本稿では,通信傍受法が1999年6月30日時点における法案のままで可決されたと仮定した場合に,インターネットに対しどのような影響を与える可能性があるかをシミュレートしてみる。ただ,余りにも多くの問題点を抱えた法案であり,そのすべてを考察・紹介することは頁数の制限等から無理であるので,主要な論点のみを扱うことにする。

2 通信傍受法とは何か?

 通信傍受法案は,暴力団や国際的テロ組織のような犯罪組織による麻薬・覚醒剤その他の薬物犯罪,殺人,銃器所持その他の重大犯罪等に対する処罰を強化し,そのような犯罪に対する捜査を容易にするためのいわゆる「組織犯罪対策対策法案」の中の一つの法案である。そして,これは,通信者の承諾を得なくても捜査機関が市民の通信内容を傍受(盗聴)できるようにするための法案である。
 一般に通信傍受は,過去のナチス・ドイツだけではなく,独裁主義国や全体主義国では当然に行われてきたし,現に行われている。それは,今も昔も国民の思想統制のための非常に効果的な手段である。現在,アメリカ合衆国にも同種の法律が存在し,主にFBIによるインターネット犯罪捜査のための法的根拠とされている。そして,同国では,90年代に入ってからは通信傍受が増加の一途を辿っており,割合では前年度よりも12%も増加した。通信傍受許可状の発付件数は,連邦及び州の合計で1329件であり,実際に盗聴器が設置されたのは1245件である(Wiretap Report 1998年度総計)。だが,さすがに合衆国内の多数の市民団体や弁護士等から,表現の自由や思想の自由に対する侵害であるとして強く反発され,批判され続けている。
 たしかに暴力団やギャング団による麻薬事犯の中には,電話盗聴によらなければ捜査できないものもないわけではない。特に日本と海外諸国との間にまたがる麻薬事犯ではそうである。このため,日本の裁判所は,これまでも捜査機関からの要望に応えて,電話盗聴のための検証許可状などを次々と発付してきた。また,電話を盗聴した結果として得られた録音テープについても,その証拠としての有効性を承認してきた。日本の裁判所では,電話盗聴がすでに適法・合法なものとして認められてきたということができる。それゆえ,日本の警察は,仮に通信傍受法が存在しないとしても,今後も合法的に電話盗聴を実施できることになる。
 では,今年に至り,この法案の成立がにわかに現実味を帯びてきたのはなぜか?
 この点に関する政府の公式見解によると,1995年にカイロで開催された国連犯罪防止会議において決議された「犯罪の防止と社会の安全のための銃器規制」に見られるように,国境を越えた組織犯罪やテロ活動等に対する国際的な動向,オウム真理教事件の経験等を踏まえ,1996年に法務大臣から法制審議会に対し組織的な犯罪の実情と法整備の必要性に関して諮問がなされ,その諮問結果に基づいて組織犯罪対策法案が策定され,その過程で通信傍受法案も立案されたのだという。これに対し,これまでの通信傍受に関する日本の捜査実務が違法である可能性があるので立法化することになったという論者もあるし,アメリカ合衆国CIAの日本政府に対する要請によるものだとの見解もある。しかし,通信傍受の必要性に関する今回の立法提案の真の動機は,依然として明らかであるとは言えない。

3 インターネットと通信傍受:その問題点

 通信傍受法案における通信傍受の手続に沿って,その問題点を考えてみよう。

 まず,捜査機関から裁判所に対する傍受令状の請求から始まる(3条)。ここでいう通信傍受における「通信」は,電話通話だけではなく,法案中にインターネットを除外する規定が存在しないので,平文のものも暗号化されたものも含め,インターネット上でなされるすべてのタイプの通信(電子メール,チャット,電子掲示板等)が含まれると解するべきだろう。

 裁判所は,令状請求の内容を審査し,場合によっては適当な条件を付した上で傍受令状を発付する(5条)。裁判所は,令状請求が不適法である場合には,令状請求を却下する。発付された令状は原則として最大10日間有効であるが,捜査機関の請求により30日まで有効期間を延長することもできる(7条)。

 傍受令状は,組織的な麻薬犯罪,覚醒剤犯罪,銃砲犯罪その他の重大犯罪等について発付される(3条1項,2項)。しかし,通信傍受法案は,これらの犯罪に密接に関連する犯罪に適用範囲を拡張していく余地を残している。そして,それでも足りない場合には,これまでどおり,刑事訴訟法の解釈・運用に基づき検証許可状などによる通信傍受がなされ続けることになるだろう(31条)。つまり,通信傍受法は,一見すると通信傍受の対象となる犯罪類型を限定しているように見えるが,実は,何らの限定もしていないことになる。これでは法律で通信傍受の要件を定める意味がないから,仮に通信傍受法を立法するのであれば,刑事訴訟法の解釈・運用のみによって他のタイプの通信傍受令状を発付することができないように立法的措置を講じておくことが必要だと思われる。

 傍受令状が発付されると,捜査機関は,必要があれば,傍受対象となる通信機器や通信装置等に,傍受のため必要な傍受装置を接続することその他の必要な処分をすることができる(10条)。そして,通信事業者は,捜査機関の通信傍受を妨げてはならないだけではなく,通信傍受のための機器接続等について捜査機関から協力を求められたときは,それを拒むことができない(11条)。
 ここでいう「機器」とは音声タッピング装置に限定されていないので,およそ考えられるすべての通信関連装置が含まれると考えた方が良い。また,「必要な処分」とは,インターネット上の傍受に関しては,パケットの自動解析や電子メール・ボックスからの自動転送のためのプログラムのインストール等も含まれると考えたほうが良い。
 ところが,警察の担当者が個々具体的なサーバの設定等を熟知していることはない(もし熟知しているとすれば,事前にプロバイダのシステムに対する無権限アクセスないしハッキングをしていることになる。)。その結果,警察は,サーバの管理者に対し,ほぼ常に,そのようなプログラムのインストールの協力を依頼するだろうし,管理者はそれに応えなければならなくなる。
 しかし,そのような傍受装置の接続や傍受プログラムのインストールが当該サーバのセキュリティ・システムないしポリシーと一致していない場合,傍受令状の執行の名の下にそのような接続等を強行することは,その通信システムに対し,直ちに重大なセキュリティ・ホールを設けてしまうことになりかねない。しかも,令状期間終了後にこのようなプログラムをアンインストールすることも,実際には必ずしも容易なことではないかもしれない。そのシステムは,やっかいなプログラム(またはその断片)を抱えたままとなってしまう。
 このことから,サーバの管理者がそのシステムに支障を与えないように自分で必要な通信を傍受し,任意にそれを警察に手渡すというような慣行が成立してしまうことが危惧される。すなわち,令状は,裁判官から許可を得るために必要なだけで,実際の執行は任意捜査と同じになってしまう危険性がある。たしかに,令状の執行については,立会人が立ち会うことになっているが(12条1項),その立会人がサーバの管理者である場合には何の意味もないことであるし,地方公共団体の職員が立会人になっている場合でも,一般にそのような者が最も高度なシステム管理の技法を理解できるなどということはないのだから,これまた意味がない。さらに,立会人は,「意見」を述べることができるとされているが(12条2項),傍受令状の執行を阻止することはできない。拒否すれば,公務執行妨害罪の現行犯として逮捕されるだけだ。

 通信傍受に際しては電話番号の逆探知をすることもできる(16条)。インターネット上の相手方のアドレスの逆探知については何も規定されていない。しかし,サーバの管理者は,傍受をするについての必要な協力(11条)としてアドレスの探知作業を求められるかもしれない。明確な規定がないということは,それだけで禁止を意味するものではない。その結果,インターネット上の通信に関しては,かなり緩やかな運用すなわち捜査機関にとって有利で裁量度の高い運用がなされる可能性が高い。

 傍受令状は,原則としてプロバイダ(通信事業者)の施設においてのみ執行可能だが,住居主等の承諾があれば個人の住宅等で執行することもできる(3条3項)。しかし,一般人が警察から承諾を求められた場合,これを拒むだけの勇気を持っている者がどれだけあるだろうか?要するに,通信傍受令状を執行される可能性のある場所は,インターネットに接続されたすべてのプロバイダとクライアントということになる。

 通信の傍受は傍受令状に指定された通信部分だけの傍受を原則とするが,指定された部分に該当するかどうかが不明な場合には,それ以外の部分の傍受もできる(13条1項)。そして,外国語によるものなど即時に必要部分を判別できない場合には通信全部を傍受できる(13条2項)。しかし,必要部分かどうかの判断のために最小限度の通信部分が最初から分かっているのであれば誰も苦労しないのだ。おそらく,令状に指定された部分かどうか曖昧であるときは通信全部が傍受されることになるだろう。また,暗号化された電子メールは,即時に判別することができないものだから,その全部を傍受されてもしかたがないことになる。

 さらに,傍受される通信の発信者が組織的な重大犯罪の容疑者だとしても,その通信の相手方も全部犯罪の容疑者であるとは限らない。そのような犯罪容疑者であっても親戚や家族もあれば同窓生や友人もいる。そして,通信には相手方が必ず存在する以上,その通信の相手方となっている者は,犯罪とは全く無関係の者であっても,知らないうちに通信を傍受されることになり得る。すなわち,自分は犯罪とは何の関係もないと思っている一市民であっても,警察による通信傍受の対象となってしまうかもしれないし,その可能性は決して少なくない。
 傍受した通信は記録され(22条),通信傍受がなされたことは,傍受終了後に通信当事者に対し書面で通知される(23条)。この通知は,一見すると正しい手続であるように見える。しかし,実は,この通知を書面でするためには,捜査機関は,通信当事者の名前及び住所データの探知も実施せざるを得ない。また,この通知が相手方に対してもなされるのだとすると,たまたま通信傍受の対象となった者は,通信内容に関するプライバシーだけではなく,氏名・住所に関するプライバシーも侵される。要するに,少なくとも2回以上重ねてプライバシーを侵されることになる。逆に,相手方に対しては通知がなされないのだとすると,通信の一方(容疑者)のみが通信傍受の事実を知らされ,無辜の一般市民は全く情報を与えられないで放置されることになるのであるから,ますますもって不当な法案であることになる。
 そして,その通信の相手方とは,この文章を読んでいる「あなた」かもしれないのである。

4 まとめ

 このように見てくると,通信傍受法は,もしそれが今のままのかたちで成立し,実施されるとすれば,犯罪とは全く無関係な市民のプライバシーを侵害する可能性が決して低いものではないことが容易に理解されよう。また,インターネットの接続サービスを担当する者は,円滑なサービス提供を継続的に実施しようとすればするほど,日々,警察に対し任意に通信データを提供せざるを得なくなる。このことは,猥褻データの押収をめぐるこれまでの警察の捜査状況等を見ても明らかだろう。そして,そのことは,プロバイダによる通信の秘密の保持に対する信頼感を喪失させることになる。それは,やっと立ち上がり始めた電子取引,大きな収益をあげているインターネット上のアミューズメント,教育・研究上の利用を含め,インターネット上でなされている意味のある生産活動のすべてを急速に萎縮させてしまうことになりかねない。

 麻薬犯罪や覚醒剤犯罪など市民の精神・健康を崩壊させる重大犯罪の撲滅が非常に重要な課題であることは否定できない。そのために日本の警察に対する期待も少なくない。しかし,だからといって犯罪撲滅のための手段が何であってもかまわないということにはならない。

 さらに深く,大きな広がりをもった真剣な議論が尽くされるべきである。

 


<参考サイト>

犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(案)
<http://www.jca.apc.org/privacy/amended_bill_all_text19990530.html>

外務省「国際組織犯罪取り組みの経緯及び現状」
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/chikyu/hanzai/hanzai2.html>

法務省刑事局「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備に関する諮問について」
<http://www.moj.go.jp/PRESS/961008-1.htm>

JIJI NEWS Watc第43回インターネット世論調査「通信傍受(盗聴)法案に、賛成? 反対?」
<http://www.watch.impress.co.jp/jijinews/main/result/43th/index.htm>

日本弁護士連合会「5.11組織犯罪対策法に関する院内集会へのメッセージ」
<http://www.jca.apc.org/privacy/nitiben051199.html>

盗聴法成立阻止ネットワーカー連絡会「ネットワーク反監視プロジェクト」
<http://www.jca.apc.org/privacy/>

牧野二郎「盗聴法」
<http://www.asahi-net.or.jp/~VR5J-MKN/index2.htm>

松井隆志「閉塞させられる社会−組織的犯罪対策法案を考える−」
<http://plaza9.mbn.or.jp/~n2s/matui/genkou/sotai.txt>

 


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Last Modified : Jul/15/1999