パティオ連載

ネットワーク社会のルール

by 夏井高人 & パティオ編集部


初出 : MIND機関誌パティオ


目      次

連載第1回 パティオ第20号(1997/12/17発行)

連載第2回 パティオ第21号(1998/02/10発行)

連載第3回 パティオ第22号(1998/03/18発行)

連載第4回 パティオ第23号(1998/04/24発行)

連載第5回 パティオ第24号(1998/07/07発行)

連載第6回 パティオ第25号(1998/07/28発行)

連載第7回 パティオ第26号(1998/10/14発行)

連載第8回 パティオ第27号(1998/11/26発行)


 

連載第1回

編集:最近,インターネットに関する法律論議が高まっているようですが?

夏井:そうですね。

編集:それは,どうしてでしょうか?

夏井:インターネットが,オンデマンドに,そしてインタラクティブにコミュニケーションすることの出来る便利な道具になったためだと思います。
例えば著作権問題であれば,これまでのペーパーだけの社会では,誰かが他人の著作権を侵害するような本を出したとしても,それが,著作権侵害と判断されるまでには,かなり時間をかけて検討する時間もあったし,分析する時間もありました。問題自体が表面化するまでに,そもそも時間がかかったわけです。けれども今は,瞬時にして,ものすごくたくさんの人が,同じような間違えや,犯罪的なことをネットワーク上でやることが出来るような環境が整ってしまった。だから,法律上の問題もいろいろ出てきてしまったと考えられますね。

編集:確かに,紙という媒体を通して問題が発生するためには,様々な制約やチェックがあります。しかし,ネットワーク上では,個人の価値観などで,瞬時に情報発信出来てしまうからということでしょうか?

夏井:半分は,そうでしょう。例えば,仮に印刷物で他人を誹謗中傷するようなものを出そうとしても,これまでは,新聞にしろ週刊誌にしろ,個人が記事にしようと思ってもそのままでは記事になりません。ですから今までは,そこでチェックのようなものが働いていたということができると思います。出版とか記事掲載以外の文書で誰かを誹謗中傷しようと思ったら,自分でがり版を切って印刷し,ビラを配るくらいしか出来なかったと思います。そうすると,当然分量的な問題があるので,ある一定のローカルな地域だけでの問題として済んでいました。また,紙で印刷してしまえば証拠も残ってしまうので,問題の法的な解決もわりと分かり易かった。さらに,出版社などが誹謗中傷だとして責任を問われる場合でも,どんなに広くても日本国内だけの問題だったわけです。ところが今は,個人が情報発信でき,インターネットが世界中に張り巡らされているわけですから,英語で書けば,何億人という人が同時に読むことが可能で,しかも1秒もあれば情報発信出来る。そして,どこにもチェックは働かないし,しかも,そういう問題が,瞬時にして世界に広がってしまう。そこに,この問題の本質がありますね。

編集:そうしますと,明治大学のMINDネットワークも世界のインターネットに接続されていますが,このような問題を同じように考える必要があるのでしょうか?

夏井:そのとおりだと思います。MINDも明治大学の学内だけで閉鎖されたネットワークではなく,SINETを通じて世界中に繋がっているわけですから,その意味では,世界のネットワークの中の一つの部分であると考えるべきだと思います。そうすると,加害者になる場合であっても,被害者になる場合であっても,同様にその法的トラブルの当事者になる可能性があると考えてよいのではないでしょうか。

編集:明治大学のMINDネットワークには,いくつかの規程があり,その中での遵守事項(商売の禁止など)を守ればよいということでしょうか?

夏井:MINDが世界に繋がっているということは,たとえ学生であっても,社会の中の一員として,「自分のことは,自分できちんとやる。」というルールが適用されるということを意味するのではないでしょうか。ですからそういう意味で,「自己責任と自己コントロール。」そういうものを,きちんと理解しなければならないでしょう。
すなわち,MINDの規程と合わせて,「普通の社会の中の一員として守るべきルールをきちんと理解し,それに則った情報発信をする。」というような自己コントロールが必要になるんだと思います。

編集:ネットワーク社会のルールを破った場合,MINDの規程だけではなく,法的な社会のルールが適用される場合もあるというわけですね?

夏井:そのとおりです。犯罪になるようなことをネットワーク上でやった場合,例えば,ホームページで詐欺を行ったとか,他人を誹謗中傷することを目的としてホームページに文書を掲載したとか,そういうことをやれば当然犯罪になるので,大学生,もしくは教職員であっても,これは逮捕されたり,刑罰を受けたりすることが当然予想されます。また,刑事責任とは別に,被害者の心の痛みというものがあります。その心の痛みを癒すだけの賠償金を支払うという民事責任を負わなければならない場合もでてくるかと思います。

編集:ネットワーク社会にも,我々の社会と同じようにルールがあり,そのルールを守らない場合には,社会的な責任が発生することが良く分かりました。次回からは,先生に法学者としての専門的な立場から,これらの重要な問題や具体的な事例について,解説をお願いしたいのですが,よろしいでしょうか?

夏井:わかりました。

連載第2回

 では,主にMINDの利用を念頭に置きながら,ネットワーク上の法律問題の中のいくつかを「設例と説明」という形式で,何回かに分けて説明してみましょう。

[設例1]

作成したホームページの著作権を保護・主張するためには,著作権の表示をつけなければならないのでしょうか?

[説 明]

 日本の著作権法では,著作者の権利(著作権と著作者人格権)の保護のために何らの方式も登録手続等も要求されていません(無方式主義)。また,実名の著作物だけではなく,ペンネームによるものとか無名のものでさえ,真実の著作者を証明可能な限り,著作者の権利が保護されます。ただ,著作者の表示があれば,その表示された者が著作者であると推定されるだけです(著作権法14条)。

 しかし,ネットワークは,日本国内だけではなく,世界中のサーバやネットワーク端末につながっています。そして,世界の中には,著作権の発生や権利行使等のために一定の方式を要求している国もあります。この問題は,一国だけでは解決できない問題であり,国際条約による解決が必要です。そこで,1952年の万国著作権条約(約80カ国が加盟)第3条は,無方式主義を採用している国で公表された著作物であっても,最初の発行年,著作者名及び著作権記号(アルファベットのCを丸で囲んだもの:マルシー記号)の表示があれば,著作権の保護に一定の方式を要求する国においても有効な著作物になるということを定めました。ところが,コンピュータ用のフォントには,この著作権記号を表示するための記号フォントが標準的なものとして準備されておりません。したがって,作成したホームページについて,万国著作権条約に基づく世界的な著作権の保護を受けようとするときは,この著作権記号の画像データを作成してホームページに張り付け(マルシー記号ではなく(c)の表示だけでは要件を満たしません。),著作者名及び最初の発行年を表示しておくことが必要となります。

 他方,アメリカ合衆国の著作権法は,著作権記号の代わりに Copyright という表示をすることでもよいとしています。また,南米諸国では,All rights reserved の表示が要求されています。

 以上からすると,日本国内だけを考えるのであれば,作成したホームページ上に特に著作権の表示をする必要はないことになりますが,念のために,作成したホームページ上に著作者の表示をしておくのがベターでしょう。これに対し,世界的な規模でホームページの著作権を確保するためには,通常は,Copyright (C) の表示,著作者名の表示,発行年の表示と All rights reserved の表示をしておけば良いでしょう。もちろん,この表示だけで完全に権利が確保されるわけではなく,厳密には,著作権記号としてマルシー記号の画像データを作成し張り付けなければならないわけですが,一応の権利主張をしたことになり,後に訴訟になっても有利であると考えてよいと思います。

 なお,日本語の文字フォントは日本でしか通用しないので,著作権の表示は,著作者名も含め,半角英数字フォントのみを使用すべきでしょう。また,著作物としての創作性のないホームページは,どのような著作権表示をしたとしても,法的にはまるで無意味ですので,この点もよく考えておく必要があります。

連載第3回

[設例2]

 MINDの利用規程には「営利目的は禁止」とありますが,いわゆるフリーマケット的な個人レベルの「売ります,買います」の情報をMIND上に公開することはできないのでしょうか。

[説 明]

 MINDだけではなく,インターネットやパソコン通信などのネットワーク・サービスの提供は,そのサービスを提供する提供者との利用契約に基づいて可能となるものです。自分でIPを獲得し,サーバを開設する場合とか自分が接続業者になる場合であっても,インターネット接続のための基本契約上の諸条件を守らなければなりません。これらの条件の不履行ないし違反は,直ちに契約解除すなわち接続禁止へとつながります。

 利用契約上の条件は,それぞれのネットワーク・サービスによって異なります。ニフティやPC-VANのようなパソコン通信では,かなり詳細に利用条件が規律されています。一般のインターネット・プロバイダの利用の場合にも,IDやパスワードの付与の際に詳細な約款が送られてくるのが通例で,この約款が利用条件となります。企業や組織内のネットワーク・システムの利用の場合にも,独立した利用基準が設定されていることや就業規則またはその付属規程で利用条件が設定されているはずです。

 これら利用条件の中に「売ります,買います」情報の送信・受信を禁止する趣旨のものがない場合には,原則として,そのような情報の送信・受信は自由だということができるでしょう。通常のインターネットのプロバイダの利用の場合がこれに該当します。しかし,そのような情報の送信・受信を禁止する趣旨のものがある場合,そのネットワーク・システムを利用する限り,ユーザは,この条件を守るべき契約上の義務があることになります。このような禁止が気に入らないというのであれば,不満のあるユーザは,「売ります,買います」情報の発信・送信のために,他のネットワーク・サービスを利用するしかありません。

 ところで,明治大学の情報ネットワーク・システムMINDでも利用基準が確立されており,その中に「営利目的」によるシステムの利用を禁止する旨の規定があります。これは,明治大学のネットワーク・システムが,SINETと呼ばれる学術ネットワークを利用して外部と接続していることや,そもそも明治大学が学問研究と教育を目的とする法人であって,営利目的の組織ではないこと,そして,学生も勉学のために大学に在籍しているのであって営利活動のためではないことに由来するものです。たしかに,たいていの学生はアルバイトをしていますし,学生であっても個人的に売り買いをすることがあるのは,むしろ当然のことでしょう。しかし,そのような場合に,学生だからといって,大学の持ち物である郵便切手や封筒等を自由に使ってよいということはあり得ないことで,それと全く同じことなのです。

 したがって,明治大学のネットワーク・システムを利用して「売ります,買います」情報を送信・発信することは,利用基準違反行為となり,場合によっては,利用許可の取消や停止等の措置を受けることもあり得ます。要するに,明治大学の情報ネットワーク・システム上においてこの種の情報の送信・発信をすることはできません。

 ただ,自分がそのような情報を送信・発信するのではなく,その種の情報を収集し,これを学術研究の対象としてレポートや論文等を書き,収集した情報を資料としてその中に表示することは,当然許されます。このようなレポートや論文等は,「売ります,買います」情報の送信・受信を直接の目的とするものではなく,そのような情報の分析・検討の論拠を示すためのものであるからです。

 なお,「営利目的」の利用の中には,ネットワーク上で電子ショッピングを開始したり,SOHO(Small Office Home Office)のホームページを開設したりすることも含まれます。このことを含め,MINDの利用上の遵守事項を分かりやすく説明するため,MIND運用部会では,近く,ネットワーク利用のためのガイドラインを公表する予定です。

連載第4回

[設例3]

 インターネット上のホームページなどの中には,パスワードの設定やアクセス制限をしていないものもあります。そのようなホームページ内にあるファイルやデータで,公開されているとは思われないようなものを閲覧することは違法なことでしょうか。

[説 明]

 MINDを含めて,インターネットは,UNIXというオペレーティング・システムを利用して動いています。そして,UNIXは,基本的にファイルやデータの自由な利用と共有という哲学に基づいて構築されており,自分が知らない他人のファイルをくまなく探してくれる便利なツールもたくさん揃っています。UNIXは,もともと大学等の研究者が自由にデータを活用できるように設計されたオープンなシステムだということができます。

 これに対し,およそ他人のシステムやコンテンツにアクセスするためには(本人の許可や許諾など)何らかの権限が必要だという考え方もあります。これは,インターネットの商業利用や行政利用など,研究目的以外でのインターネットの活用が盛んになってきてから出てきた考え方です。1980年代後半以降,アメリカ合衆国のほとんどの州は,無権限アクセスに対して刑罰をもってのぞむようになりました。ただし,無権限アクセスの定義や範囲について,各州毎にかなりのばらつきがあることに注意しなければなりません。

 他方で,「違法」ということの法的意味を考えてみると,刑法によって処罰対象となるような行為が違法であるには違いありませんが,しかし,処罰対象とならない行為であっても,社会常識からみて「良くないこと」であり,損害賠償や懲戒処分を含めた何らかの意味での法的対処を考えるのが当然だと評価できるような行為は,やはり違法です。

 さて,以上を前提に本問について考えてみましょう。

 日本の現行の刑罰法規は,無権限アクセスそれ自体を処罰対象にはしていません。したがって,他人のファイルやデータを単に閲覧したというだけでは,何の犯罪も成立しません。せいぜい,他人のファイルやデータの無断複製行為が著作権侵害となるような場合に,著作権法119条による処罰があり得るだけです。このことは,実は,パスワード管理やアクセス制限がなされているものについても基本的には同じです。

 では,民事上の違法性はどうでしょうか。これについては,インターネットが近年急速に発展・普及した技術であり,ここ数年間にユーザになった人々の大半はUNIXの基本哲学などまったく知らないので,ユーザ中の多数者の意見をもって直ちにインターネット上の社会常識と同一視してしまうのは非常に危険なことだと思います。UNIXのもつオープンな思想や哲学を最大限尊重しつつ,個々のユーザの個人的利益との調和をはかるべきでしょう。また,パスワード管理,アクセス制限の設定,ファイルやデータの暗号化などは比較的容易なことですし,そもそも他人に見られたくないファイルやデータ(特に機密データ)は,暗号化その他のセキュリティ技術によって確実に保護されている場合を除き,インターネット上に置くべきではありません。これらのことも考慮に入れる必要があります。そうすると,パスワード管理やアクセス制限などのセキュリティ措置が施されているファイルやデータなどへの無限アクセスは民事上違法な行為になり得ると考えるべきだが(民法709条の不法行為など),そうでない場合には,原則として,民事上も違法ではないと考えるのがよさそうです。ただ,これには異論もあるかもしれません。この問題は,今後,インターネットのユーザ全員が真剣に考えていくべき課題の一つだと言えます。

 なお,社会生活上,違法でない行為なら何でもかんでも許されるというわけではありません。ネットワーク上のエチケット(ネチケット)も十分に理解しておく必要があります。

連載第5回

[設例4]

 ネットワークへの接続用のIDやパスワードなどを友人や家族などに使わせることはできるのでしょうか。サークル内での使用はどうでしょうか。

[説 明]

 MINDだけではなく,IDによってユーザの識別をしているネットワーク・サービスでは,ユーザのIDは,そのユーザ限りのものです。ユーザIDは,そのシステム内でのユーザの名前であり,しかも,そのユーザが利用権限を持っていることの証明でもあります。このような重要な機能を持っているユーザIDが,登録ユーザ以外の者によって使用されると,システムの適正な管理ができなくなるだけではなく,電子犯罪者によるコンピュータ犯罪を助長し,または,その温床となることが十分に考えられます。

 したがって,接続登録申請の際にユーザとされていた人以外の人が,そのIDを借りて使用したり,使い回しをしたりすることは絶対に許されません。このことは,電子メールのアドレスなどでも同じです。そして,このような行為は,ほとんどすべてのネットワーク・システムにおいて,そのサービス利用資格の取消原因となるだけではなく,会社員であれば懲戒解雇(免職)を含む懲戒処分の原因となりますし,学生であれば放校処分を含む学則上の処分の原因となります。現実に,日本の企業においても,このようなユーザIDの不正利用などを理由とする懲戒解雇事例(実際に処分がなされる前の自主退職を含む。)がかなり多数あるようです。要するに,IDの不正利用は,ネットワーク・システムのさまざまな不正利用の中でも最も悪いものに属するのだということになります。他人のユーザIDを用いたアクセスは,それ自体がいわゆるハッキングとか不正アクセスなどに該当するのだ,ということを十分に理解しておかなければなりません。

 では,学生サークルなどで,サークルとして利用するつもりで代表者名でIDを取得したような場合はどうでしょうか?

 この場合でも基本的には同じです。原則として,そのサークルに所属する部員がそれぞれ個人IDを取得し,その個人IDを使用してシステムにアクセスしなければなりません。ただ,このような利用形態ではサークルとしての活動に支障があるということもあり得ます。そのような場合には,たとえば,CGIやJavaなどを用いて電子掲示板BBSのプログラムを作成し,それをグループとして利用するとか,メーリング・リストやCCメールを活用してグループ内の意見交換をするなどして対処すべきでしょう。さらに,ネットワーク・システムによっては,グループIDを発行しているところもあります。MINDでは,これらグループ活動用の仕組み全部を利用することができます。その手続の詳細は,MINDのホームページを参照してください。

 以上のことは,大学研究者その他の研究会活動とか大学の事務セクションにおける利用などでも同様です。

 インターネットは,誰にでも開かれているオープンなネットワーク・システムです。しかし,利用資格のないユーザの利用を認めているわけではないということを再確認しましょう。

連載第6回

[設例5]

 自分のホームページに,大学の定期試験の過去問とその解答例を掲載しました。先生から削除を求められましたが,削除したほうがいいでしょうか。

[説 明]

 この設例は,2つの問題を含んでいます。
 1つ目の問題は,他人の著作物の無断複製ないし公衆送信権の侵害の問題であり,2つ目の問題は,大学における授業・教育の自由に対する侵害の問題です。

 まず,他人の著作物の無断複製等が問題になるのは,定期試験の過去問の部分です。試験問題それ自体が非常に陳腐なもので創作性がないような場合を除き,通常は出題年度毎に異なる問題文となっているでしょうから,試験問題といえども立派な著作物となり得ます。そして,試験問題が著作物となる場合には,その著作者は,試験問題を作成した人です(実際に出題した先生と問題文の作成者とが異なることもあります。たとえば,初等教育段階でのいわゆる業者テストなどはその例です。)。
 そうすると,試験問題が著作物となる場合には,その著作者に無断でその試験問題文を自分のホームページにアップロードする行為は,他人の文章を勝手にコピーをした点については著作物の複製権(著作権法21条)の侵害となり得ますし,勝手にネットワーク・サーバ上にアップロードした点については著作物の公衆送信権または送信可能化権(著作権法23条)の侵害となり得ます。
 なお,複製権と公衆送信権等との間の相互関係については,法学者の間でも議論があります。いずれにしても,この場合,勝手にアップロードした者は,損害賠償責任を負うほか,刑事責任(罰金刑または懲役刑)を負うこともあります。
 さて,このように著作物として認められるような定期試験問題については,著作者からの削除請求は,著作権の行使として正当な行為ですから,削除請求を受けた者は,削除請求を受けた定期試験問題を削除しなければなりません。

 次に,大学における定期試験に関する考え方にはさまざまな立場がありますが,「定期試験制度それ自体」及び「試験問題を公表するかどうか」が大学の先生の「教育の自由」の範囲内の問題であることについてはほぼ争いがないだろうと思います。すなわち,試験問題やその答案ないし答案例を公表しないことも,逆にそれらを公表することも,いずれも大学の先生の自由です。ただし,これまでは試験問題を公表しない先生のほうが圧倒的に多かったようです。
 ところで,試験問題等を公表しない方針で授業を進めている先生の定期試験問題等を勝手に公表した場合には,それが出題者である先生の教育方針に反していることを知っていても知らなくても,その先生の教育活動に対する妨害行為になることがあります。そのような場合には,公表されていない定期試験問題等を勝手に公表した者は,故意または過失により出題者である先生の教育の自由を侵害した者として損害賠償責任(民法709条)を負うことがあるほか,場合によっては,業務妨害罪または信用毀損罪として刑事処罰を受けることもないとは限りません。
 さて,著作物である定期試験問題については上記のとおりですが,そうでない定期試験問題について,教育者としての人格権のみに基づく削除請求を認めるかどうかは,議論の分かれるところだろうと思います。著作物としての創作性を認められないようなものである以上,学術著作としての創作性が認められないわけですから,その試験問題それ自体の価値も低いと考えれば,教育者としての人格権に基づく削除請求も認められないことになります。逆に,どんなにレベルが低く,教育効果も全然望めないようなものであっても,教育に関しては特別な配慮が必要だという考えを採るとすれば,試験問題それ自体に対する客観的評価が高いかどうかに関係なく,教育者としての人格権に基づく削除請求も認められることになるでしょう。

 他方,出題者によって定期試験問題が公表されている場合において,その出題・公表された試験問題の適否等を評論したり,その問題に対する解答例なるものを作成・公表することは,それが主として誹謗中傷とか業務妨害等の目的でなされるのでない限り,表現の自由や評論の自由の範囲内の問題であると考えられます。ただし,このような場合でも,評論等の対象となる試験問題文につき「公正な引用」がなされているのでなければ,その評論等の対象となった試験問題文それ自体の部分については,やはり,著作権侵害の問題が発生することはあり得ます。
 さて,一般に,「答案例」なるものは,出題された試験問題に対する第三者の評価とか評論の一種であると考えられます。なぜなら,それは,出題者によってそれが優秀なものであると評価されるかどうかが全く保障されていない一方的な単なる「一意見」に過ぎないからです。このようなものとして理解すると,その答案例の公表それ自体が故意による誹謗中傷行為とか業務妨害行為ないし信用毀損行為等を形成するのでない限り,定期試験の問題文が公表されていると否とを問わず,「答案例」それ自体について,出題者である先生からの削除請求を認めるための法的根拠はなさそうです。なぜなら,先生の側の教育の自由を,評論する側の表現の自由や思想・信条の自由に優先させなければならないという法則など存在しないからです。
 もっとも,実際には,公表されていない定期試験問題について,問題文の無断複製や公衆送信権の侵害を伴わない裸の「答案例」などというものが存在するということを想定することは難しいでしょう。問題文と一対になっていなければ,答案として意味をなさないからです。したがって,通常は,無断で公表された問題文の部分の削除がなされれば,ほぼ自動的に,「答案例」としての存在意義ないしコンテクストが失われ,それを無意味・不可解なものとしてしまうことが可能だと思われます。

 法律論としての一般的な結論は以上のとおりになりそうです。
 ただし,大学の学則によっては,定期試験問題等を勝手に公表する行為が「非違行為」と評価されることがあります。そのような場合には,定期試験問題等を勝手に公表した者に対しては,退学処分を含む学則上の処分がなされることになりますし,また,非違行為を構成するコンテンツに対しては,ネットワーク管理者による削除処分がなされることもあります。これらの処分の有効性は,上記のような法律上の削除請求が認められるかどうかとは関係がありません。

連載第7回

[設例6]

 サークルの勧誘をしようと思い,1年生のアカウントだと思われる番号宛に機械的にかたっぱしからメールを送りました。user-unknownエラーで戻ってきたものもありますが,うまく届いたものもあるようです。こんな使い方は許されますか。

[説 明]

 インターネットを介して配信される電子メールは,非常に便利な道具です。電子メールの登場によって学術研究の方法にも大きな変化が生じてきていますし,海外の人々との間での意思疎通とか文化交流のためにも非常に大きな役割を果たし始めています。もちろん,商業利用のためにも重要な武器となりつつあります。それは,電子メールには郵送料が必要ないこと,同じ内容のメールを多数の者に送る場合にも,宛名のリストさえ存在すれば足り,本文は自動的にコピーが作成され送信されること,これらについてプログラムによる自動処理をすることもできることなど,紙のメールにはない新たな利点が多数あるからだと思われます。

 しかし,電子メールを配信するためのシステム上の資源は無限ではありません。たとえば,spam(スパム)と呼ばれるような電子メールを用いたダイレクトメール類似の広告手段について見ましょう。これは,非常に多数の相手方に対し,広告宣伝の目的で,同一内容の電子メールを(しばしば繰り返し)送りつけるというものです。spamでは,発信者の費用負担は無視できるほど小さいし,電子メールの発信のために特殊な機器・設備も全く必要ありません。ところが,こうしたspamメールを配信するためのメールサーバにかかる負荷・負担はそれこそ「はんぱ」なものではありません。現実に,MINDでも,就職斡旋企業らしいところから明治大学の学生に対し大量のspamメールが同時に送りつけられたためにメール・システムの運営に重大な支障が発生したことがあります。また,受信者にとっては,「頼みもしないのに送りつけられるunsolicited」電子メールが大量に送りつけられることによって,その受信者の個人用メール・ボックスが圧迫されるだけではなく,たとえ1通のメールであっても,知らない者から電子メールが送りつけられるということだけで非常に不快だということがあります。まして,次から次へと引きも切らずに不要な広告メールが送りつけられてくるなんてことは,とても耐えられないことです。アメリカ合衆国では,ダイレクトメールをファックスで送ることについてはすでに法的規制があります。これは,相手のファックス用紙を消耗させる危険性があるからですが,電子メールでも同じことが言えるでしょう。そこで,spamを規制する法律案が議会で審議されているわけです。いかに営業の自由や表現の自由に基づくものであるとはいえ,相手方の迷惑や負担を無視した無限定の自由は許されないということになりましょうか。

 ところで,日本では,こうしたspamメールに関して規律する法律はありませんし,判例もないようですが,「何が問題であるか」はアメリカ合衆国と変わりません。そして,頼みもしないのに電子メールを大量に送りつけられることによる弊害ないし障害は,それが宣伝広告業者等によって商業的目的でなされる場合であっても,大学生によってサークル勧誘のためになされる場合であっても,基本的には特に異なることがありません。

 そうすると,設例のような目的で電子メールを利用することは,悪質な場合には違法と評価され,不法行為に基づく損害賠償請求の原因となる場合もあり得ると思われますし,仮に違法でないとしてもかなり不適切な利用だということになりましょう。

 もし,サークルの勧誘のためにインターネットを利用したいのであれば,原則として,ホームページでの情報発信を考えるべきでしょう。ホームページは,いわば公園や広場等のフリーマーケットのようなものです。出店のルールを遵守する限り,どんな店を出すのかは出店する者の自由ですし,また,顧客も自分の意思で個々のホームページを見て回ります。しかし,勧誘のために無差別に電子メールを送りつけるという方法は,いわば個人の家庭に土足で上がり込んで宣伝を始める「押し売り」みたいなものです。これが原則として許されないのは,むしろ当然のことかもしれません。

連載第8回

[設例7]

 ホームページ内で友人の顔写真を掲載しようと思います。何か法律上の問題がありますか?

[説 明]

 著作権の問題と肖像権の問題が発生するかもしれません。また,ストーカー対策も考えておく必要があります。

 まず,一般に,肖像写真が常に「写真の著作物」となるわけではなく,その構成,レイアウト等に創作性が認められる場合にのみ,その写真は著作物として著作権法上の保護を受けることができます。そして,その肖像写真が著作物に該当する場合,その著作権者は,その写真を撮影した者ということになります。自分が著作権者である写真をホームページに掲載するのは,著作権法との関係では何の問題もありません。しかし,他人が著作権を有する写真をホームページに掲載する場合には,他人の著作物の複製や公衆送信をすることになりますから,予め著作権者から許諾を得ておく必要があります。許諾なしに勝手に掲載すると,著作権法違反として処罰されたり損害賠償請求を受けたりすることになります。なお,この許諾は,書面によることを要しませんが,後日の争いを避けるために,書面等で保存しておくのがベターでしょう。

 次に,肖像権の問題があります。一般に,タレントや俳優だけではなく,人間なら誰でも肖像権があります。これは,プライバシーの権利の一部であると考えられていますが,肖像それ自体が商品価値を有する場合には,その肖像の複製や公表等をコントロールする権利として,パブリシティの権利と呼ばれることもあります。肖像権とは,被写体になっている人の容姿,姿態,行動などをみだりに撮影・公表されない権利です。いわゆる「盗撮」は原則として肖像権侵害に該当する違法行為になるでしょう。相手の同意に基づく撮影であっても,常識に反して,あるいは,相手の意図に反して,その撮影した写真を公表すると,やはり違法であることになります。肖像権を侵害された者は,写真の掲載差止請求や損害賠償請求をすることができます。事案によっては,名誉毀損等による刑事処罰がなされることもあり得ます。ですから,被写体である人物が誰であるのかが特定されるような写真をホームページに掲載するときは,その本人から許諾を得ておかなければなりません。このことは,その写真それ自体が著作物となるか否かには関係がありません。なお,街路を撮影すると,たいていの場合,必然的に通行人が撮影されてしまいます。報道写真等でも報道対象外の人間がたまたま周囲にいたというだけで,それらの人々が自動的に撮影されてしまうことがあります。このような場合,その写真撮影の目的や方法が合理的であり,被写体が撮影されてしまうことが物理的に避けられないのであれば,肖像権侵害の問題は発生しないと一般に考えられています。

 他方,ホームページに写真が掲載されると,その写真を見たストーカーによって,その被写体となっている人がつけ狙われるというような事件も現に発生しています。その被害者の中には女子学生も含まれています。そして,そのストーカーの行為により何らかの被害を受けたときは,まず,そのストーカーが民事・刑事の法的責任を負うべきことになります。しかし,ホームページ上に安易に写真を掲載した者も,その安易さが常識レベルを超えているときや(過失),わざとストーカーに狙われるように仕組んだような場合には(故意),不法行為者として損害賠償責任を負うべきことになるでしょう。この責任を逃れるためには,その写真の掲載について,本人から事前に許諾を得ておくことが必要となるでしょう。

 以上,3つの場面で法律上の問題が発生しそうです。結論としては,いずれの問題に関しても,被写体である本人から許諾を得てから掲載すべきだということになります。


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最終更新日:Nov/26/1998

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