裁判所における情報処理と問題点

by 夏井高人


初出 : 書記官164号43頁(1995),書記官165号116頁(1995),書記官166号80頁(1996),書記官168号45頁(1996)


目       次

一 はじめに

二 情報リテラシ

1 裁判所をとりまく現実を認識するための能力としての情報リテラシ

2 裁判所における事務処理をより合理的に遂行するための能力としての情報リテラシ

3 裁判所における情報リテラシ

4 職場における情報リテラシの涵養

三 情報処理の視点

1 二つの視点(技術・人間)

2 技術の視点と人間の視点のバランス

3 あるべき情報処理のために理解・修得すべき事項

四 何をなすべきか

1 理想論的な提案

2 より現実的な提案

五 おわりに

<参考文献>


一 はじめに

 本稿では,現代における「情報処理」とりわけ電子機器を利用した情報処理の重要性を説明し,裁判所と情報処理とのかかわりについて,若千の検討を加えます。なお,本稿,とりわけ,意見,評にわたる部分は,私の個人的な見解に基づくものです。

 さて,「情報」という概念は,何も現代になって初めで登場したものではなく,人類の歴史において,人と人との間の「紛争」というできごとが発生するようになって以来,紛争予防,戦略決定ないし紛争解決のための重要な道具として存在してきました。裁判所をはじめとする紛争解決機関は,紛争発生の経緯に関する情報,紛争の直接の原因又は基底となっている利害関係や事情に関する情報,紛争当事者に関する情報その他諸々の情報を取得し,取得した情報に基づいて判断をめぐらせることによって,人間社会に不可避的に発生する紛争というものに対処してきました。裁判所が公平な裁判を実現するためには,右のような情報が歪みなく裁判所に伝達される必要があります。しかし,限りある能力しかない人間によって情報が採取されるものである以上,情報の取得及び伝達経過の中で当該情報に一定の程度で歪みが発生することも避けられません。そこで,情報伝達の誤りによって事実が曲げられたり,公平な裁判の妨げとなるような歪みが発生する危険性を可能な限り排除するための工夫が続けられできました。民事・刑事の訴訟法に規定されている精緻な証拠法則は,いずれも,紛争解決のために必要な情報が歪みなく裁判所に伝達されることを目的として考案され,永年にわたる人類の歴史の所産として受け継がれてきたものということもできましょう。

 このように,「情報」という概念それ自体は,別に目新しいものではありません。しかし,現代杜会においては,デジタル化された大量の情報が,電子ネットワークを通じて,24時間世界中を駆けめぐっており,このような電子情報の適格な把握なしには人類の文化的生活が成立し得ないという状況になっておりまず。たとえば,インターネットを用いた世界レベルでの学術情報の交換,EDI(電子データ交換)を用いた各種資金取引の一括決済,POSを利用した需要動向の分析ないし在庫管理,銀行等のATM(現金自動支払機)を用いた信用供与取引など,例をあげればきりがありません。このような状況の下では,@大量の情報を確実に把捉・蓄積できること,A把捉・蓄積した情報の中から真に意味のある情報を選別し情報の加工ができること,B選別した情報に基づいて迅速・確実に判断が下せること,Cその判断結果を即時に電子情報として必要なところへ転送できること,以上のことが非常に重要になってきます。

 これを裁判所にあてはめてみると,一方で,情報の処理のための体勢という側面において,かなり問題がないとは言えません。まず,@のうち情報の大量発生(紛争及び紛争に関する情報とりわけ電子証拠の大量発生)については,そもそも,裁判所がイニシアチブを発揮することができず,常に受け身とならざるを得ないという宿命を貫っております。そのためかどうか,既に発生した情報の確実な把捉(事件の受付及び提出された証拠の処理)に関し,現在の裁判所は,国民にとって十分な満足の得られる程度まで合理性を有する事務処理が研究・導入されているとは言い難い状態であることを否定することはできないでしょう。Aについては,個々の事件の管理にしても,特定の裁判所又は部の事件全体の管理にしても,基本的にはずっと昔からの伝統的な手法,すなわち専ら人間による判定と帳簿記載という方法に頼っています(大規模庁用の督促事件処理システム等は例外と言えましょうか。なお,裁判で必要な情報の取捨選択は,基本的には人間の頭脳によるべき部分が非常に大きな部分を占めているので,この場面では,人間による判断の補助システムの開発という意味での現代への対応が問題となります。)。Bについても同様で,ごく一部で現代に対応するための実験的な試みがなされている程度です。Cについては,明治時代に制定された民事訴訟法規が予定していた郵便制度を前提に事務処理をせざるを得ません。要するに,情報の質と量の変化とりわけ情報の電子化に対して,現在の裁判所の事務処理及びその根拠となる法制は,時代に対する対応がかなり遅れていると言われても仕方がないということを正直に承認せざるを得ないのです。

 他方で,とりわけ判断の部分では,与えられた情報から一定の意味を汲み取る作業が必要となります。この作業は,本質的に人間の頭脳によるべきものであり,電子化に親しまないものではありますが,冷静に考えてみると,この側面においても,全く問題がないわけではありません。たとえば,コンピュータにまつわる知的財産権関係の事件(たとえば,ソフトウェアの違法コピー事件や不正競争関係事件など)においては,裁判所は,電子技術等について,時代の平均水準を満たすだけの基本的知識を持たなければ,適正・迅速な紛争解決を実現することができないでしょう。このことは,普通の刑事事件で電子犯罪を扱う場合とか,民事・刑事の訴訟で電子証拠が提出されるようなときも同様だと思われます。ところが,現代社会に見合うだけのレベルで情報処理に関ずる基礎知識が普及しているとはとても言えません。一口で言えば,「情報リテラシ」の欠如又は不足です。

 更に視点を転じて,裁判所における情報処理というものを前提にする限り,情報処理それ自体が適正であり,かつ,蓄積された情報に対する保安も確実でなければなりません。裁判所で扱う個人情報は,かなりの程度まで秘密保持が強く求められるものが少なからず含まれています。そのような個人情報に対する保安に関しては,通常の企業等以上に強力なものでなければなりません。裁判所という公的な紛争解決機関に所属する者である以上,裁判官を含めた裁判所の職員に対しては,普通の企業や個人の場合よりも一層強く,現代的な意味での「職業倫理」が求められるこどになります。このような職業倫理を維持・向上させるための方法として,OJTの活性化ということが重要です。それと同時に,情報処理それ自体に対する正当な認識も必要であることも間違いありません。

 そして,以上のこと全部に対する対処として,書研における「情報処理研修」の重要性が今後非常に大きなものとなってゆくでしょう。

 以下,21世紀に生きる裁判所の職貫のために,情報リテラシの意義及び情報処理に関連する諸問題について,順次若干の解説をします。

二 情報リテラシ

 情報リテラシは,情報とりわけコンピュータによる電子情報の処理を適切に扱うことのできる能力,言い換えれば,電子情報を適切・有効に利用することのできる能力を意味します。

 一般的には,情報化社会を生きぬくためのいわば「現代の読み書き算盤」としての意味で,情報リテラシを理解するのが普通です。この意味での情報リテラシを前提に,義務教育としての学校教育にも情報処理科目が導入されておりますし,文科系の大学でも情報処理科目を必須科目とするところが急激に増えてきております。たとえば,SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)などは,文科系の大学教育において情報処理の重要性を承認した最も典型的な例と言えるでしょう。比較的近い将来,新たに任官する判事補及び新採用の裁判所職員の多くは,このような情報処理教育を受けた者ばかりになると予想されます。

 ところで,情報処理のための基本的な道具であるコンピュータと裁判所とのかかわりを考えてみると,3つの場面に分けることができます。すなわち,@裁判の対象としてのコンピュータ,A判断形成そのもののための道具としてのコンピュータ及びB裁判所及び法学教育を支援するための道具としてのコンピュータの3つです。この3つの場面と関連させて考えてみると,裁判所においては,情報リテラシは2つの意味で重要性を有していることを指摘することができます。一つは,裁判所をとりまく現実を認識するための能力としての情報リテラシであり,もう一つは,裁判所における事務処理をより合理的に遂行するための能力としての情報リテラシです。

1 裁判所をとりまく現実を認識するための能力としての情報リテラシ

 裁判所をとりまく現実を認識するための能力が最も重要な意味を持ってくるのは,「裁判の対象としてのコンピュータ」という切り口においてです。

 当然のことながら,コンピュータが生まれるずっと以前から,裁判という紛争解決手段は存在しておりました。しかし,先にも説明したとおり,現在では,社会の多くの場面でコンピュータの存在が大きな意味を持っています。そのことから,コンピュータに関連した紛争も多く見られるようになってきました。ソフトウェアの違法コピー事件とか銀行の預金管理用コンピュータの不正利用事件などが新聞に取り上げられることも決して少なくありません。このようなコンピュータがらみの事件がどのような特殊性を有するかを確実に理解するためには,コンピュータによる情報処理の仕組みに関する基本的知識を習得することが不可欠とは言わないまでも非常に大きな意味を持ってきます。この種の事件では,そもそも,訴状や準備書面あるいは起訴状や冒頭陳述書に記載された文言が何を意味するかを認識するためだけにも,情報処理用語に開する最低限の知識が必要です。コンピュータ以外の電子機器でも,たとえば,電話の受話器,ファクシミリ,家庭用電気器具は言うに及ばず,カラオケ機械やパチンコ台等にもふんだんに高度な電子技術が応用されており,たいていは小型のコンピュータが組み込まれております。そのため,そのような電子機器で構成される機械にからんだ事件の処理,たとえば,電子的な電話盗聴による検証許可令状の請求の場合とかパチンコ機械の不正改造の有無を調べるための検証許可令状の請求でば,そのような令状請求の許否を判断すべき場面において,電子技術を用いた情報処理に関する一定程度の基礎知識を持っていることが要求されます。また,電子機器に関連する特許侵害事件では,電子技術に関する一定程度の知識がなければ,特許の対象を特定して認識することさえできないこともあり得るでしょう。

 このように,現代の裁判所では,好きでも嫌いでも,情報処理技術と密接な関連を持った事柄が裁判の対象それ自体に入ってくることを避けることができません。たしかに,そのような種類の事件の数が極めて少なく,ほとんど無視しても構わないくらいしかないと言うのであれば,何も大多数の裁判所職員が情報処理の素養を身につける必要などないと言い切ることも可能でしょう。しかし,くどいようですが,現代社会は,電子化された情報処理技術の上に成り立っているのであり,今後,情報処理に関する基本的知識を必要とするような種類の事件が増えることはあっても決して減少することはないと予想されます。ですから,21世紀の裁判所職員は,単に受け身の立場でコンピュータと向かい合うという立場を維持するのだと仮定しても,それでもなお,情報リテラシが裁判所職員としての不可欠の素養であることには変わりがない,ということになります。

2 裁判所における報処理をより合理的に遂行するための能力としての情報リテラシ

 「裁判所における事務処理をより合理的に遂行するための能力」としての情報リテラシは,言い換えると,現代における「読み書き算盤」としての能力です。この意味での情報リテラシは,先に説明したコンピュータと裁判所とのかかわりでいうと,Aの判断形成のための道具としてのコンピュータという切り口及びBの裁判所及び法学教育を支援するための道具としてのコンピュータという切り口とそれぞれ密接な関連を有しています。

 まず,裁判における判断形成は,判断形成の前提となる資料又は素材の獲得(情報処理では「入力」に相当),判断形成そのもの(情報処理では「処理」に相当)形成された判断の表現(情報処理では「出力」に相当),判断の前提となる素材や判断結果等の記録化(情報処理では「保存」に相当)の各部分に分けることができます。

 このうち,判断の前提となる資料としての文字等のデータの獲得(入力)という面では,OCR(光学式文字読取装置)の利用がいよいよ実用化段階に入ってきているようです。直接に判断の素材となる資料以外の補助的な資料(判断情報,法律文献情報)の獲得に関しても,電子化された判例データベース等の活用が始まっております。一般に,データベースを活用し,必要な情報を検索・分析・利用する者のことを「サーチャー」と呼びますが,今後,裁判関係ないし法律関係のデータベースが充実してくれば,裁判所法60条3項の調査事務の方法を含め,裁判所の職員にもサーチャーとしての能力が必要となってくるでしょう。

 また,裁判の前提となる資料等の保存という面では,従前から,一般的な情報機器が利用されてきました。たとえば,テープレコーダは,供述の保存等のために利用されてきました(民事訴訟法改正等の動向次第では,更に活用されるようになるかもしれません。)また,最近では,ビデオ録画装置を用いた検証結果の記録等も珍しいものではなくなってきました。ただ,これまで導入・利用されてきたアナログ式のテープレコーダやビデオ機器は,記録した音声や画像の保存,加工ないし再利用について,技術上の問題が少なくなく,ダビングによるデータ画質の劣化があること等が指摘されております。しかし,近年,デジタル式のビデオ装置等が開発されてきております。デジタル式の電子記録は,パソコンを用いて,必要なデータ部分のみを編集,加工・再利用することを可能にするものですし,理論的には,複製によるデータ品質の劣化があり得ません。また,デジタル式の録音装置は,音声信号をコンピュータによってデジタル処理しやすいという特質を持っており,コンピュータによる音声認識技術を向上させる可能性を有しております。したがって,今後,これまでのアナログ式のものに代えてデジタル式のビデオ機器等を導入すれぱ,事件処理における電子処理技術の応用も急激に深化・発展することになるでしょう。

 他方,裁判所の判断形成の補助及び形成された判断結果の出力(表現・伝達),判断結果の保存等に関しては,かなりの程度にまで情報化が進展しているということができます。たとえば,ワープロを用いた文書作成(裁判書,司法行政文書の作成),電卓やパソコンその他の電子機器を用いた計算事務処理等が,どの職場を見てもごく普通の事務処理形態になっております。電子化された情報の加工の面でも,個々ばらばらだった事件情報をデータベース化するなどの試みが急遠に進展しつつあります。

 このほか,情報伝達そのものに関しては,ファクシミリを用いた文書送付等が既に一般化し,事件部でも事務局でも,その効用の大きさが実証されておりますし,現時点では,まだ一般的とは言い難いかもしれませんが,車載電話や携帯電話に代表されるような移動体通信も一定の範囲内で活用され始めております。また,パソコン通信を用いた電子メールの交換や電子掲示板(ボード)の活用等も現実のものとなりつつあります(書記官164号に紹介記事があります。)。裁判所職員の中には,インターネットを用い,世界的な規模での電子通信を活用している人もあるようです。おそらく,そう遠くない将来,ISDN等の高遠デジタル通信回線で相互に接続されたパソコンを用いて,電子化された文書を印字なしに交換するこどで文書事務の相当部分を処理するというのが,裁判所における一般的な事務処理形態になるであろうことは,ほぼ間違いないでしょう。

 このように,裁判所では,現時点でも相当程度にまで事務処理の情報化が現実化しております。これらの情報化のために用いられる各種情報機器やソフトウェア等を利用できるということは,いわば現代における「読み書き算盤」ができるということを意味するのであり,そのための能力は,裁判所における事務処理の基本的能力に属するのだと評価すべき段階に入っているというべきでしょうし,とりわけ,ワープロその他の文書作成のために用いられる各種情報機器は,いわば現代における「文房具」として評価すべき状態にまで至っていると言っても過言ではありません。そして,これらの機器を利用するための能力は,裁判所における事務処理をより合理的に遂行するための基礎的能力としての情報リテラシの主要部分を構成するものです。

3 裁判所における情報リテラシ

 本来,情報処理は,それを用いる業務の存在目的を実現するための道具的なものに過ぎません。そして,そのための能力である情報リテラシも,道具的な能力であることに尽きます。裁判所においても,事務の情報化ないし電子化は,それ自体が自己目的なのではなく,より良い司法の実現のための方法の一つであるのに過ぎません。したがって,裁判所における情報リテラシがどのようなものであるべきかについても,結局は,司法の目的に関する基本認識から出発して検討すべきこどになろうかど思われます。

 ところで,裁判所は,適正・公平な手続により,法に基づいて正義を実現するという崇高な目的を実現するために存在する国家組織です。その存在目的それ自体から,裁判所に勤務する者は,非常に高い誇りを得ることができるど同時に,その誇りに相応する職業上の倫理感の高さが要求されます。この職業倫理の高さは,裁判所職員の重要な特色の一つであると同時に,この職業倫理の高さによって,国民の司法に対する強固な信頼が獲得されているのだと言っても過言ではないでしょう(職業倫理の高さに対する信頼が損なわれれば,裁判制度そのものに対する信頼も失われます。)。他方,裁判に関する様々な情報とりわけ個々の事件に関する情報は,それ自体が当事者その他の国民のプライバシーに密接に関連し,強く秘密保持を求められるものが決して少なくありません。

 これらのことから,裁判所における情報リテラシは,単に個々の情報機器を活用する能力とか事務処理用ソフトウェアを利用するための能力のみで足りるわけではなく,司法に特有の高度な職業上の倫理感に裏打ちされたものとしての情報リテラシである必要があることになります。しかも,ここでいう倫理感の裏打ちは,単に観念的なもの又は精神的なものとしてではなく,確固たる技術的基盤に立卿し,客観的に認織可能な基準として明示されたものでなくてはなりません。ここでは詳細をのべることは避けますが,具体的には,@裁判データの電子化の基準の明確化,A電子化された裁判データへのアクセスのための基準の明確化,B電子化された裁判データの加工・再利用のための基準の明確化,C電子化された裁判データの保存・破棄のための基準の明確化,Dこれらの技術を清たすだけの技術上の基準の明確化,そして,Eこれらの行為基準及び技術基準の充足の有無を判定するための電子事務査察の方法の確立,以上のような事柄が必要なものとして検討されなければならないでしょう。

4 職場における情報リテラシの涵養

 裁判官を含む裁判所の職員は,意織的にせよ無意識的にせよ,電子機器を用いた情報処理を現実の業務として担当する中で,職場における情報処理の訓練を,日常的に重ねており,そのような訓練を積むことによって,自然と,一定程度までの情報処理能力すなわち「情報リテラシ」を身につけているということができるはずです。しかも,職場における人間関係が正常に保たれ,職場規律にも問題のない部署である限り,職場での実践を通じて酒養される情報リテラシにば,知らず知らずのうちにでも,それぞれの職場における業務処理上の基本ルールとか職業倫理等が当然に織り込まれてくるはずです。実際,現実に情報処理を担当している職員,たとえば,コンピュータを用いた督促事務処理,破産事務処理,民事執行(配当)事務処理,あるいは,会計事務処理等を担当する職員は,これらの仕事を遂行することそのこと自体を通じて,少なくともその仕事のために必要な範囲・程度の情報リテラシを習得しておりますし,逆にそうでなければ,当該事務処理の遂行が不可能又は困難となってしまうでしょう。ワープロを用いて裁判書や調書を作成するという仕事をする場合でも,そういった文書作成という仕事を通じて,自然と,文書作成に必要な範囲内での情報リテラシを身につけているはずです。要するに,情報処理の職場における現実的実現によって,情報リテラシが涵養されるわけです。

 この職場における情報リテラシの涵養の重要性は,決して軽視してはならないことだと思われます。というのは,一般に,一定の能力習得のための訓練には,たどえば書研における中央研修のような形で集約的に実施した方が効果が大きいものと,現場の日常的な業務を通じて自然に習得した方が効果が大きいものとがありますが,情報処理のための具体的な技能という意味での能の中には,後者の方法による方が良いものが少なくないからです。今後新たに導入されるであろう竃子機器や事務処理用ソフトウェアの活用能力の習得についても,導入当初のオリエンテーションのための研修等を除いては,これと全く同じことが言えるでしょう。

三 情報処理の視点

1 二つの視点(技術・人間)

 職場における情報処理システムの活用及び今後の情報処理システムの導入に際して考慮しなければならないこと,あるいは,情報処理の今後を考えるための視点としては,かなり多方面にわたる事項があるかもしれません。しかし,大雑把に分析してみると,この問題については,およそ二つの側面から考えればよいということが言えそうです。ずなわち,@ハードウェア及びソフトウェアを含む情報処理システムの利用技術に関する視点及びA情報処理システムを利用する人間(ユーザ)に関する視点の二つです。

 この二つの視点について,誰でも知っている自動車にたとえて説明すると,@の情報処理システムの利用技術に関する視点は,自動車では,基本的な操作方法とか道路状況の把握方法等に関する視点(運転を開始するためにはキーを入れ,発進するためにはギアをドライブに入れてアクセルを踏み,転回するためにはハンドルを右又は左に回して操作し,減速・停止するためにはブレーキを踏み,安全に運転するためには前方を注視して道路状況や信号の表示等を確認し,調子が悪いときはボンネットを開けて機器を点検する等々)であり,Aの情報処理システムを利用する人間に関する視点は,自動車では,交通法規や交通ルールの遵守をはじめとする安全運転に関する視点(速度規制の趣旨,信号機による交通整理の趣旨,車線区分の趣旨等の理解等)及び人間工学に関連する視点(過労運転の禁止の趣旨の理解等)です。そして,この二つの視点を付与するためのものとして情報処理教育(研修)が必要となるのです。

2 技術の視点と人問の視点のバランス

 「情報リテラシ」は,主として技術の修得の問題あるいはそのためのパソコン実習の問題として論じられることが少なくありません。たしかに,いくら理屈が分かっていても,現実にパソコンその他の情報機器を操作できなけれぱ,意味がないということはできます。それは,ちょうど,自動車運転免許を有していても運転経験を有しないぺ−パー・ドライバーは,実際に自動車の運転をすることができるとは限らないということと同じことです。しかし,高度な職業倫理に裏打ちされたものとしての「裁判所における情報リテラシ」においては,技術の視点に基づく知識・経験と人間の視点に基づく知識・経験とがバランス良く獲得されていなければなりません。そして,それを達成するための情報処理研修もそのようなものとして構想されなければならないことになります。すなわち,裁判所における情報処理研修は,単に情報処理システムの利用技術の獲得のみを目的とするのではなく,それと表裏一体の関係にある高度な情報倫理の獲得をも目的とするようなものであることが必要なのです。

3 あるべき慣報処理のために理解・習得すべき事項

 そこで,あるべき情報処理の視点から,理解・修得すべき事項を摘記してみると,次のようになるかと思われます(なお,上級管理者及び専門担当者等については,ここに摘記した事項だけでは足りないことは言うまでもありません。)。これらの事項は,相互に関連しており,しかも,書研における情報処理研修という場面においても実務の現場における情報リテラシの涵養という場面でも,それぞれ程度の差又は濃淡の別はあっても,同様な重要性を有するものと考えます。

T 技術の視点及び人間の視点に共通の視点

@ 情報処理の基本(基本用語,基本構造,データ処理の流れ等)の理解

A 情報ネットワークの基本の理解

B 情報化杜会の基本構造の理解

U 技術の視点

@ 情報処理機器の基本操作技法の修得

A 基本ソフトウェア(OS等)の操作技法の修得

B 事務処理用アプリケーションの操作技法の修得

C 情報検索(データベース検索等)の基本技法の修得

D 情報通信(竃子メール等)の基本技法の理解

E 情報処理機器の安全基準の理解及び保守・点検技法の修得

F 情報処理機器,ソフトウェア及びデータの管理技法の修得

G 情報処理機器及び消耗品等に関連する予算の理解

V 人間の視点

@ 情報処理における健康管理及び執務環境の整補に対する理解

A 電子取引(EDI,EFT,ATM等)の理解

B ソフトウェア利用契約(ライセンス契約)の理解

C 情報処理にまつわる知的財産権(著作権,営業秘密等)の理解

D コンピュータ犯罪の理解

E コンピュータ・データ及びプライバシーの保護の理解

F システム・セキュリティの理解

G システム監査及びシステム事務査察の理解

 このような立場に対しては,「情報処理研修に関してば,パソコンの利用能力を高めるための実習だけで足り,講義や座学などは必要ないのだ」との意見や「パソコンは文房具のようなものだから,ワープロ・ソフトや表計算ソフトの使用方法だけ分かっていれば十分であり,難しい理論や理屈は不要なのだ」との見解もあり得ましょう。しかし,仮に本稿で力説するような視点(情報倫理)を欠いたままで,職場への情報処理技術を導入し,あるいは情報処理教育を実施することは,一つやり方を間違えると,「暴走族又はローリング族の育成」や「シートベルトをしない運転者の推奨椎」になりかねない危険を有しています。

 高度な職業倫理に裏打ちされたものとしての裁判所における情報リテラシを考える以上,そのような危険の可能性を許すことはできません。他方,様々な災害に遭遇してもいち早くシステムを復旧したり,新たな業務ソフトが配付されても円滑に実務に導入できるようにするためには,やはり基本の理解に基づいた応用力の活用が最後の助けになります。

 要するに,自動車運転にも交通ルールがあり安全運転マインドがあるのと同様に,情報処理にも倫理がありマインドがあるのです。くどいようですが,裁判所における情報処理の生命線は,まさにこの一点にあると言っても過言ではないでしょう。

四 何をなすべきか

 裁判所における情報処理においては,高度な職業倫理に裏打ちされたものとしての情報リテラシ」を考えなければなりません。では,それを実現するために,組織として,具体的には何をすれば良いのでしょうか?あるいは,具体的に何をしなければならないのでしょうか?これからの時代は,組織として,それを真剣に議論の対象としていかざるを得なくなるでしょう。

 しかし,概括的に言えば,目下のところ「何かをしなければならない」という漠とした焦燥感はあっても,具体的な方向性を見出せないままで手をこまねいているというのが大方の現場の実状であるということは否定できないように思われます。これが,裁判所における情報処理を考える際の最大の問題点であろうかと思われます。そのような実状にあることの原因としては,@従来,単に技術的なものとしての「機械化」又は「能率化」のための手法としての「OA」という観点しか存在せず,表面的な議論に終始するという傾向が強かったからではないかということ,A実際の職場においては,伝統的な事務処理方法に安住し,時代の変化を予測する想像力が求められていなかったのではないかということ,あるいは,B殺人的なまでに繁忙な事件処理に追われて,グローバルな視点からの情報処理の意味付けを議論するだけの精神的又は時間的な余裕がなかったのではないかということなどが考えられます。これらのことは,それ自体でも様々な意味での分析や討論の題材となり得るものなのでしょうが,ここでは,これ以上深入りはせず,いわば各論的なものとして,これからの時代において検討してゆくべきであろうと思われる事項の幾つかを取り上げて若干の検討をし,私なりの提案をしてみたいと思います。

1 理想論的な提案

 裁判所におけるいわゆる「OA化」は,必ずしも計画的になされてきたとは言えません。情報処理に関する基本計画が明確に示されてこなかったことが,ひいては将来の予測を困難なものとさせ,結果的に,職場内に大小様々の混乱をもたらすこともあったということは,遺憾ながら事実であると認めざるを得ないでしょう。その原因としては,裁判所の予算が単年度制をとらざるを得ないことから次年度以降の事柄について事前に明らかにすることが難しいことなどの技術的な事情やその他の様々な非常に不幸な歴史的経緯が考えられます。しかし,最も重要な要因は,裁判所全体の情報処理を真の意味で責任と権限を有するものとして統括する組織的な仕組みが存在していないことにあろうかと思われます。

 内外の一般企業における様々な実例や海外の実例等を参考にして考えてみると,裁判事務の情報化は,単にパソコンやワープロの機種選定や配布先の調整を妥当に行えばそれで良いのではなく,かなり中長期的な見地からの組織戦略の中で実施すべきものです。したがって,それを実施するための機関には,例えば,最高裁長官又は最高裁の裁判官会議の直属の機関であること,そして,情報処理に関連する予算については,独自の権限を保有していること,その機関を批判的に支援するための独立したシンクタンクが準備されていることなどが必要になるかもしれません。ところが,仮にそのような組織的な仕組みを準備するとしても,そのための作業を,具体的には誰がどのような手順でなすべきかについて,現行の法や規則は,何も規定してはおりません。

 しかし,真の意味での裁判所における情報処理を考える以上,このような組織的な仕組みは,必須のものどして準備されなければなりません。まず,情報処理技術は,これからの事務処理の基盤をなす技術であり,その導入は,仕事の方法の根本的な変革をもたらすものですし,しかも,情報の集中化による個人情報保護の必要性も飛躍的に増大するものである以上,情報化の基本政策が国民の基本的人権に与える影響も極めて大きなものがあると予想されます。そのような裁判所の情報処理の基本政策の策定・実施について国民に対する責任を誰が持つのか,その責任の所在も明確なものとして組織構成されなければなりません。ところで,日本国憲法上,裁判所において国民の民主的コントロールを制度的に保証する直接の国家的な仕組みは,最高裁判事の国民審査のみです。他方,情報処理に関する基本政策は,現在の裁判所における様々な部署の従前の仕事の仕方に変動をもたらし得るものですし,情報処理技術がこれからの裁判所の事務処理の基幹となる技術である以上,そのような基本政策を策定・実施する機関は,論理必然的に,裁判所の他の部署に対して相対的にかなり大きな権限を有するものとならざるを得ません。したがって,そのような大きな権限の行使に対し,国民に対する責任を直接に負うものとして的確・迅速に指導・監督を実施してゆく機関も必要となりましょう。この三つの理由により,裁判所における情報処理を中心となって担当する機関は,最高裁長官又は最高裁の裁判官会議の直属の機関とせざるを得ないであろうと考えられるわけです。

 次に,この機関は,情報処理に関連する予算について,独自の権限を保有するものである必要がありましょう。予算の裏付けの保証がない施策は,無意味です。また,予算の裏付けの保証のない施策や提言等は,それがいかに真理に適合するものであり,重要なものであったとしても,組織的には,ほとんど無力なものであると言わざるを得ません。

 そして,この機関には,その機関を批判的に支援するための独立したシンクタンクが準備されていなければなりません。組織内の機関には,機関の本質から由来する欠点として,行政的な意味での合理性を他の様々な要素よりも尊重しがちであるという欠点とか,政策決定にあたっても,その判断材料を現実の担当者の個人的な情報源に依拠しがちで,客観的かつ最新の情報を組織的に獲得する能力に欠けることがあるというような欠点があり得ます。これらの欠点を排除しながら,あるべき政策決定を迅速に実施してゆくためには,その政策決定機関を批判的に支援するための独立した組織的な仕組みが別途用意されている必要があります。ここで,「批判的」ということと「独立した」ということが要求されるのは,政策決定の内容の合理性を担保するためであると同時に,いわゆる「お手盛り」とか「自己満足」などを防止するためです。また,そのような支援のための組織的な仕組みが「シンクタンク」であることが要求されるのは,それが単に判断支援のための中立的な機関であって,実質的な意味での政策決定権を持たないものであることが必要だからです。

 

2 より現実的な提案

 ここまで述べてきたことは,裁判所のシステム導入に計画性を持たせるためのかなり理想論的な提案です。しかしながら,現実の日本の裁判所には,そのような機関は,存在しません。この提案そのものに対する疑問や批判も多々ありましょうし,仮にそのような機関を設置するとしても,そのための準備には相当の長期間を要するでしょう。そこで,「現在実現可能なことは何かないか」を考えておくことも重要だとの認識に立って,より現実的な幾つかの提案を示しておくことにします。

 まず,全国又はブロックごとの裁判官協議会や首席書記官協議会,あるいは,書記官研修所における中央研修その他の様々な機会をとらえて,今後の情報処理の導入について,真剣に意見交換する場を増加させることが考えられます。昔から「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように,合議により,しかも,現場の実状を踏まえた議論を重ねることにより,真の問題点とその解決方法とが発見され得ることは,たとえば裁判実務上でもしばしば経験することです。要は,自由闊達な討論が保証されていること,その採否は別として,討論の結果に対して真撃に耳を傾ける態勢が準備されていること,加えて,真理の前には屈伏する勇気があるかどうかだけだと思われます。ただし,そのような協議会等の桔果は,是非とも,速やかに文書化してこれを現場にフィードバックさせるべきです。具体的な方向性を定めるのが困難な状況下でも,また,早計に対処を決定すべきではない段階にあったとしても,一体どこに問題の所在があるのかを議論し,その議論を深め,広めてゆくことそれ自体に大きな価値があることは明らかであると思われます。その議論の結果を踏まえて,政策を決定すべき責任を有する各担当部署が,その時々に必要な政策を現実に決定してゆけば良いわけです。

 次に,各庁が自庁研修その他の様々な研修の機会をとらえて外部の施設を見学したり,専門家の意見を間き,かつ,意見交換をする場を設けることなども考えられます。新たに情報機器が導入されたときは,各職場において,OJTとして情報処理に対する関心を高める工夫を重ねてゆくことも重要となってくるでしょう。できれば,司法研修所,書記官研修所及び調査官研修所がそのような自庁研修等を側面から支援するための予算措置等を可能な限り講ずるというのが望ましいことは言うまでもありません。そのような研修を積み重ねることによって,少なくとも,総体としては,情報処理の基本にかかわる認識や関心が高まってゆくことが期待できます。ただし,ここで重要なことは,研修を受ける者だけではなく,研修を企画・立案・実施する者もまた,謙虚に自己啓発を持続させてゆくことが重要だということです。情報処理技術は,日々進歩しつつありますし,人間と情報処理との関係に関する議論も,これまでの情報化の流れ(歴史)に対する正確な認識,具体的な情報処理技術の存在,これらを踏まえた先人の様々な業績を無視して行うことはできません。情報処理の研修では,技術トレーニングの部分については,外部のインストラクター等による反復訓練を実施することが効果的な場合が多く,その限りでは,研修の実施担当者が直接に何かをしなければならないということもないでしょう。しかし,裁判所における情報処理の骨格となるべき正しい情報マインドすなわち高度な職業倫理に裏打ちされたものとしての情報リテラシというものを考える以上,情報処理の具体的な現実的な認識(対象)とあるべき情報処理に関する深い洞察(本質)との行きつ戻りつの思索の繰り返しを避けて通ることは許されないと考えます。その意味で,これからの研修担当者の責任は重く,これまでにも増して更に自覚を深め,能力を高めるための努力を継続することが求められることになるでしょう。これは,基本的には,自己研繊によって磨いていくしかないものでしょう。そして,それは,上の地位に立つ者であればあるほど,より強く求められてしかるべきものであるのに違いありません。

 他方,各人が合理的に時間を作って,自己啓発として情報処理に関する勉強をすることも非常に重要です。この「裁判所における情報処理と問題点」についても,読者から「なかなか難しくて理解できない」という批判を受けることがあります。その原因として,私の理解不足や表現力の乏しさもあることは否定しませんが,中には,「語句の意味が分からない」というような場合もあるようです。たしかに,注記を増やすなどすれば若千の改善にはなるかもしれませんが,基本的には,各人の努力によって覚え理解してもらうしかありません。例えて言うとすれば,自動車の運転免許を取得するについても,最低限度の知識というものが必要であり,そのうち主要なものは仮免許及び本免許の学科試験によって試されます。最も現世的なレベルで物事を考えるとしても,最低限度の知識は,各人の努力によって習得しなければ仮免許すら覚束ないわけですが,情報処理もそれと同じで,最低限度の知識は,自分で獲得するしかありません。仮に最も安直なハウツー本が存在するとしても,それを読んで丸暗記をしないと全く意味をなさないわけで,情報処理だけが別だということは絶対にあり得ません。ただ,ここで注意すべきことは,そのような最低限度の知識の獲得がいわば未来を生き抜くための必須の方法になりつつあるかもしれないということです。国民の自動車保有台数が僅少であった時代には,「ハンドル」という言葉とか「アクセル」という言葉等を知っていても知らなくてもどうでも良く,生活に困るということもなかったわけですが,現在のように,一世帯で複数台の自動車を保有するような時代にあっては,それらの言葉の意味が分からないと,運転免許を取得することなどもちろん不可能なだけでなく,分からないということそれだけで非常織なやつだと思われても仕方がないかもしれません。情報処理用語についても自動車に関連する様々な用語と同じで,わずか10年ほど前には,パソコン操作をすることがごく一部のマニアだけの秘技のようなものであったのに,現在では,単なる主婦がインターネットを駆け巡り,企業や官庁等の文書の大半がワープロで作成され,情報処理が義務教育化されてしまうまでに日常的なことになってしまったわけですから,「アイコン」とか「モデム」といった基本的な情報処理用語の意味・用法を知らないということは,一般常識がないということを意味するという結果になってしまいかねない時代が到来しつつあります。要するに,ごく普通の人が知っていることは,知っていなければならないということになるわけですが,情報処理技術は,自動車と同じように,社会の基盤をなす技術ですから,その基礎知識を正確に認識・理解し,その正しい用法を(ネガティブな面に対する対処を含めて)身につけなけれぱならず,そのために,各人の努力によって達成しなければならない部分がかなりあるということを指摘しておきたいわけです。

 というところで,もっと書きたいこともないわけではないですが,本稿の全体構成等を考えると,この程度で一応終わりにしておきたいと思います。いずれにしても,それぞれの部署で,考え得る最大限度の工夫と努力を積み重ね,成功・失敗の別を問わず,その結果に関する情報を互いに交換するということが,結果的には,根本的な問題の解決にとっても最も有用な方法になるかもしれません。

五 おわりに

 一日先が読めないくらいに世情の変化が著しい時代です。対処しなければならない困難も増大してきています。しかし,人間は,これまでも様々な困難に立ち向かってきましたし,その解決の方法を自分の思索の中から見出してきました。思索のための道具は,その時代時代によって異なるかもしれません。でも,それがどのように変わろうとも,思索それ自体を人間がしなければならないことはいつの時代でも同じですし,これからも変わることはないでしょう。我々は,正確な観察と深い洞察という方法によって,法に基づく真の正義を実現するために裁判所に奉職しているわけですし,国民もそれを期待しております。その信頼に応えていくことこそが法を守るべき我々の勇気の源泉であり,その勇気こそが正しい解決を導いてくれるでしょう。我々は,目前のそしてこれからも現われてくるであろう様々な困難から逃れるこどができないのと同時に,そのような困難に対して勇気をもって立ち向かってきたことによって国民の信頼を勝ち得ているのだということを忘れてはならないと思います。20世紀の最後の部分に差し掛り,「情報処理」という新しい道具が出現しました。我々がそれを満足に使いこなせるかどうかは,単に我々にとって現在利害のある課題だというだけではなく,その課題に取り組むことが21世紀に生きる人たちに対する大きな義務でもあるのだと考えます。

 本稿では,考えておくべき問題点の指摘を項目的な形式でほぼ綱羅したはずでず。また,私が読んだり利用したりしている図書のうち主要なものを参考文献として掲げておきました。今後の参考にしていただければ幸いです。


<参考文献>

石田晴久『コンピュータ・ネットワーク』岩波新書

西垣 通『マルチメディア』岩波新書

長尾 真『人工知能と人間』岩波新書

村井 純『インターネット』岩波新書

村上健一郎『インターネット』岩波書店

協 英世『Windows入門−新しい知的ツール』岩波新書

浜田和幸『知的未来学入門』新潮選書

岩谷 宏「ラジカルなコンピュータ−思想のための最終機械−』ジャストシステム

杉井鏡生『ネットワーク・カンパニー』エーアイ出版

川崎賢一『情報社会と現代日本文化』東京大学出版会

田中武二『コンピュータと社会』サイエンス社

前川良博『情報処理と職業倫理』日刊工業新聞社

小林康夫・船曳建夫編『知の技法』東京大学出版会

ビル・ゲイツ(西和彦訳)『ビル・ゲイツ未来を語る』アスキー出版局

堀部政男・永田眞三郎編『情報ネットワーク時代の法学入門』三省堂

北川善太郎『技術革新と知的財産法制』有斐閣

中山信弘『ソフトウェアの法的保護(新版)』有斐閣

犬伏茂之ほか編『コンピュータと法律』共立出阪

植松宏嘉『コンピュータプログラム著作権Q&A』金融財政事情研究会

的場純男・河村博『コンピュータ犯罪Q&A』三協法規

堀部政男『プライバシーと高度情報化社会』岩波新書

郵政省電気通信局監修『電気通信とプライバシー保護』第一法規

夏井高人『裁判実務とコンピュータ』日本評論社

三輪眞木子『サーチャーの時代 −高度データベース検索−』丸善

中島 裕『法律情報のオンライン検索』丸善

長尾 真『電子図書館』岩波書店

大野豊監修『情報リテラシ』共立出版

情報探索ガイドブック編集委員会編『情報探索ガイドブック』勁草書房

佐伯 胖『コンピュータと教育』岩波新書

文部省教育改革実践本部『情報化の進展と教育』ぎょうせい

文部省『情報教育に関する手引』ぎょうせい

柴宮 実ほか『セキュリティ管理の技術−実践的機密保護へのアプローチ』日科技連

長尾真・石田晴久編『岩波情報科学辞典』岩波書店

涌田宏昭編『OA小辞典』有斐閣

日本ユニシス編『コンピュータ英和・和英辞典』共立出版


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最終更新日:1997/12/05

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