コンピュータを使うユーザの立場

by 夏 井 高 人


初出 : 犬伏茂之・大野幸夫・名和小太郎・吉田正夫編『コンピュータと法律』 (bit1992年9月号別冊) p.131


1 問題の所在

 ある技術やその技術の応用製品などが標準的または独占的である場合,そのことが当該技術などのユーザにとって不利であるのか有利であるのかを判別するのは,必ずしも容易なことではない[1]。たとえば,ビデオ録画技術では,VHS方式対β方式の争いがあり,けっきょくユーザレベルでの互換性を重視したVHS方式の優位に終わったことは周知のとおりである。この例では,ユーザにとっても有利な条件が維持された。

 コンピュータおよび関連技術の場合はどうであろうか。たとえば,OSIでは,標準規格に厳格に準拠することを条件として,データ通信の互換性が完全に保証される。メインフレームのみを利用するユーザに関する限り,シリーズ製品による封じ込め(lock-in)に何らの不満を抱かないことを条件として,OSやアプリケーションなどの互換性の維持が保証されてきた。この場合,むしろ規格の標準化や特定企業による市場独占がユーザの利益を保護してきたかのような印象を与えるかもしれない。しかし,ユーザは,城壁内での保証を約束されているにすぎない。

 他方,後発メーカが先発メーカよりも優位に立つためには,互換性を犠牲にしてでも新規の技術や応用製品を開発するか,またはクローンを作るしか選ぶべき道がない。そのため,これまでも標準的な技術と互換性のない新技術が休む暇もなく開発され続けてきたし,そのような新規の技術や応用製品のクローンもまた無数に作られてきたのである。このこと自体は,一部の巨大企業のみによる市場独占状態の打破という結果をもたらした。だが,従前の独占を破壊した新規技術は,それ自体が新たな独占の潜在的シンボルである。そして,独占主体の遷移によって,サプライまたはメンテナンスの停止,その他の不利益を被るのは,最終的には常にユーザであった。

 いずれにしても,企業間の技術開発競争は,当該企業の生存のためのものであって,ユーザの立場とは無関係の出来事である。しかし,企業の生存競争の自由のみが保証され,ユーザにおけるコンピュータシステムの安定利用の確保が保証されないような環境を甘受すべき合理的根拠は存在しない。では,ユーザを法的に保護するための方策が存在し得るのであろうか。ここに,「ユーザの立場」という法的視点が成立するのである。

2 問題点の分析

 検討の対象として,次の架空のケースを想定する。

 Aは,B社製のコンピュータシステムXを導入し利用していたところ,ある朝突然,B社の一方的な都合により,「システムXの基本仕様が変更された。今後は,従前の機器とはまったく互換性のない機器を新たに購入し,またはリースを受けなければならない」との通知を受けた。

 まず,A,B間の最初のシステム導入契約において,将来のシステム変更に伴う機器やプロトコルの変更,蓄積されたデータの変換などに関するメンテナンス義務が具体的に約定されている場合であれば,これらの契約条項の履行請求だけが問題となるはずである。しかし,実際の契約文言には,サプライヤが不利とならないように,数々の工夫や仕掛が張り巡らされているのが通例である。たとえば,パソコン用のパッケージソフトでは,「将来まったく予告なしに本製品の全部または一部の仕様を変更することがあります」などといった注意書は,毎度お馴染みのものである。

 次に,最初のシステム導入契約において,「将来のシステム更新の際には現行システムとの互換性の維持を保証する」旨の包括的合意がなされている場合,まるで薔薇色の安全保証条項が存在しているかのように錯覚するかもしれない。しかし,このような包括条項には具体的作為義務が何ら特定されておらず,互換性維持のレベルや費用負担なども何ら明記されてはいないので,この条項に基づいてAがB社に対し互換性保証措置などを請求することはきわめて困難である。要するに,この種の条項は,単なる「気休め」にすぎない。

 そして,最初のシステム導入契約において,何も約定しなかった場合には,もう神仏にすがるしかない。ただ,例外的に,詐欺的な商売に引掛かったような場合に限り,契約解除や損害賠償請求の可能性が残されている。いずれにしても悲惨な結果のみが予測可能である。

 これらいずれの場合でも,最初のシステム導入契約の締結時点において,将来における互換性保証義務を明確かつ具体的に約定しておくべきであったことが理解されよう[2]。だとすると,契約書をきちんと作成すればそれで良いのであろうか。実は,問題はそう簡単ではない。

 現実問題として,サプライヤは企業または企業群であり,個々のユーザとの力関係の優劣も歴然である。また,企業の繁栄のためのコンピュータ市場の存立という点では,どの企業の利害もまったく一致している。その結果,ユーザが望むような契約条項によって契約を締結することが比較的困難であることが決して稀ではない。いわば,通常のユーザは,サプライヤである企業の前では,パスカルの「葦」よりもさらに弱い存在である。このことが当該企業の支配的または優越的地位の濫用などによってもたらされる場合,それは,独占禁止法違反行為となり,その違反する部分が違法として扱われる余地がある[3]しかし,それでも,ユーザの求める互換性の保証が直接に得られるわけではないことに留意すべきである。

 このほか,ディーラの営業社員が調子のいいことを口走っていても,それは,その社員の販売業績をアップするための一時的な方便であり,後になってそれが問題となることもある。このような場合,泣くか笑うかの分岐点となるのは,現実に締結された契約書に何が書かれており,その契約書に誰がサインをしているかである。

3 栽判による解決

 上記のようなケースが,実際に裁判所という処理システムに入力された場合,どのような結論が出力されるであろうか。

 実は,上記のケースの直接の先例となるような裁判例は,日本では存在しない。そこで,普通のコンピュータ関連取引契約に起因する法的紛争を扱った先例を見てみると,かつての裁判所は,ハードウェアの販売またはリースが契約の主体であって,その機械で実行するソフトウェアの作成・提供義務とかメンテナンス義務などは付随的義務であるから,後者に不満足な点があっても契約を解除したり代金の支払いを拒んだりすることはできないとの判断を示すことが多かった[4]。このような例は,ソフトウェアが機械の「おまけ」であると考えられていた時代の産物である。さすがに,最近の裁判例では,ハードウェアとソフトウェアとを対等に見ようとの傾向が強くなってきている[5]

 ただ,いざ現実に裁判となると,契約の解釈などにさまざまな法技術的問題がないわけではないし,効果的に訴訟を遂行するためにはそれなりの法的知識と技巧とが要求されるのであるから,個人ユーザが巨大企業を相手に自ら闘いを挑むことは無謀というべきであろう。次善の策として,個人ユーザにおいては,可能な限り良き弁護士と出会うために日頃から情報収集に努めることが必要である。また,法人ユーザでは,法務部の機能を最大限に向上させるための人的・物的な方策を講じ,常に勉強を怠らないことが肝要であろう。

4 別の視点からの解決

 現在の世界経済は,資本主義経済と自由競争を前提とするものである。そうである以上,従前の標準的技術と互換性のない新規技術の開発を最初から阻止したり,互換性のない新規技術に対して知的財産権を付与しないなどというような競争制限措置を一般的に採用することはまず不可能である[6]

 この問題を根本的に解決するためには,国連の場において,「ユーザが,支配的な地位を有するコンピュータ企業に対し,標準的な技術の互換性の維持の保証を請求する権利および「互換性に対するユーザの利益を無視して各コンピュータ企業が競争することに反対する権利」が存在することを承認・決議し,その国連決議に基づいて,加盟各国が関連国内法規を改廃・整備するという方法があり得る。また,国際条約により,すでに標準化された技術と目的を同一にする新規技術が互換性保持のためのオプションを有しない場合,その実施権を一定範囲で制限することなどが考えられる。とは言っても,このような対処は,仮に実現可能であるとしても,相当将来の出来事にならざるを得ない。

 そこで,世界的な規模でのコンピュータ消費者運動が考えられる。現在でも,優秀かつ互換性の保証された技術でなければ,けっきょくはユーザの食指が向きにくいことは事実であるが,企業は,経済統計などから消費者の嗜好傾向や消費動向をじっくりと読んで経営戦略を構築しており,消費者であるユーザは,分析対象または観察対象という消極的存在に甘んじている。このユーザの立場を180度逆転し,消費者の大多数の代表者がサプライヤと交渉の場につくという積極的方法は,あり得ることである。だが,この方法論では,誰がその運動の主宰者となるべきかが最大の難問である。

 さらに視点を転ずると,現在の状況下では,ユーザサポートその他の付加サービスを保証しないサプライヤは,その競争力を急速に喪失しつつある。このことは,ユーザとサプライヤとの問で,より戦闘的でない選択肢が残されていることを示唆している。

5 その他

 以上のほか,ユーザの保護という観点からは,コンピュータ・ハードウェアまたはソフトウェアの欠陥に起因する損害に対する製造物責任[7],コンピュータ装置やデータの破壊に備えた損害保険契約の締結なども今後の重要な検討課題である。


参考文献

[1] 名和小太郎:『技術標準対知的所有権』,中公新書,1990

[2] 吉田正夫:『ソフトウェア取引の契約ハンドブック』共立出版,pp-28以下,1989

[3] 山田昭雄ほか:『流通・取引慣行に関する独占禁止法ガイドラィン』商事法務研究会,1991,上杉秋則:『特許・ノウハウライセンス契約ガイドライン』,商事法務研究会,1989

[4] 夏井高人:「コンピュータ・プログラム関係判例概観(下)」判例タイムズ,671号p-19

[5] 石川正美:「提携リース取引に関する最近の裁判例の検討」NBL425号,p-18〜427号,p-34

[6] 椙山敬士=カージャラ『【日本‐アメリカ】コンピュー夕・著作権法』日本評論社,p-73,1989

[7] Meijboom and Prins : The Law of Information Technology in Europe 1992, Kluwer Law and Taxation Publishers Boston, p.191,1991


Copyright (C) 1992,1997 Takato Natsui, All rights reserved.

最終更新日:1997/12/04

トップ・ページへ