科学論 Theory of Science
「何を科学論と呼ぶ」のかという定義の問題は、「科学論という研究をどのようなものとして位置づけるのか?」という問題であるとともに、「科学的研究活動とは何か」という科学観をその内部に前提として答えるべき循環的問題でもある。ここでは科学論(theory of science)を、科学活動や科学的知識に関する経験的知識を基礎・対象とした理論的研究として位置づける立場から、議論を展開している。
広義の科学論と狭義の科学論
広義の意味では、科学哲学、科学方法論、科学史、科学社会学、STS(科学・技術と社会)、科学思想史など科学に関するすべての研究が科学論である。これに対して狭義には、広義の科学論的研究活動によって明らかにされた科学に関する経験的知識に基づき「科学と呼ばれているものとは何なのか?」を理論的に考察することが科学論である。
「理論」的
研究
「経験」的
研究
「科学」的
研究
科学論
科学史、科学社会学
STS、科学思想史
「哲学」的
研究
科学哲学
哲学的科学方法論
(科学哲学の歴史)
(哲学的科学方法論の歴史)
狭義の意味における科学論 --- Theory of Science という語の本来的意味における科学論
科学に関する理論的研究としての科学論
哲学と科学が異なるものとして区別されるのと同様に、
科学に関する「哲学」的研究
と
科学に関する「科学」的研究
も相対的に区別される。
さらにまた現代物理学における実験家と理論家の社会的分業の存在が示しているように、科学における研究は「経験」的研究と「理論」的研究との二つに相対的に区別されている。その意味において、科学活動や科学的知識を対象とする「科学」的研究も、
「経験」的研究
と
「理論」的研究
の二つに相対的に区別可能である。
これら二つの視点の複合により、科学についての「哲学」的な「理論」的研究」である科学哲学や、「科学」的な「経験」的研究である科学史・科学社会学などとは相対的に区別すべき研究分野として、科学についての「科学」的な「理論」的研究という狭義の科学論が定義される。
こうした視点から言えば狭義の科学論は、
科学についての「科学」的な「理論的研究」活動
として位置づけることができる。そうした意味において狭義の科学論は、科学についての「哲学」的な「理論的研究」活動である科学哲学や、科学についての「経験的研究」活動である科学史・科学社会学などとは区別すべきである。それゆえクーン以降の科学論を「新科学哲学」派と呼ぶのは、語の厳密な意味では不適切である。
<科学に関する「哲学」的考察>=科学哲学 vs <科学に関する「理論科学」的考察>=科学論
狭義の意味での科学論研究は、科学史や科学社会学などの科学活動や科学的知識に関する経験的研究の飛躍的進展によって20世紀後半に実行可能となった。ニュートン力学以後の経験的な自然科学研究の急速な拡大・発展とともに自然「哲学」と自然「科学」の相対的分離が社会的に明確になったのと同じように、科学史や科学社会学などといった科学的活動や科学的知識の歴史的=社会的形成過程に関する経験的研究が第2次大戦後に急速に拡大・発展を遂げるとともに、科学「哲学」と科学論の相対的分離が次第に明確に意識されるようになったのである。
クーン、ラカトシュ、ファイヤアーベント、ローダンらは、そうしたことを背景として、科学に関する経験的研究に基づかない(その意味で「科学」的ではない)抽象的で思弁的な科学哲学を批判し、科学に関する経験的研究に基づいた理論的研究活動という狭義の意味での科学論を独立した研究分野として確立したのである。
科学論の中心的テーマ --- 「科学性」(scientificity)の理論的明確化、科学と非−科学のDemarcation(相対的区別)
<参考事項>
科学哲学 scientific philosophy,philosophy of science
「科学哲学」という語の国語的解釈としては。
<科学に関する哲学>
という意味で用いるのが最も自然であるが、
<科学的な哲学>
というような意味で使われることもある。こうした二つの異なる意味における「科学哲学」という単語に関して、以下で簡単に解説しておきたい。
<科学的な哲学>としての科学哲学
<科学的な哲学>という意味での科学哲学は、科学的な哲学の構築の試み、すなわち、哲学の科学化の試みを科学哲学とするものである。こうした意味での科学哲学は、科学的認識のみが認識としての意味を持つとする科学主義的発想の台頭を契機として登場した。科学主義的発想は、ニュートン力学の確立など自然哲学と自然科学の近代的分離が進むとともに芽生え成長してきたが、19世紀における気体分子運動論、エネルギー保存則、化学的原子論、元素の周期律、進化論などの科学理論に代表されるような科学的認識の飛躍的進歩とともに強い社会的影響力を持つようになった。例えばウィーン学団の主流派は、検証可能性を有意味性の基準とすることで、形而上学的な哲学は思弁的で無意味であり、科学のみが意味を持つと主張し、「形而上学的ではない哲学」=「科学的な哲学」の展開を志向した。こうした系譜の中から論理実証主義、分析哲学、日常言語学派などが生み出された。
<科学に関する哲学>としての科学哲学
<科学に関する哲学>という第二の意味での科学哲学は、科学的因果性や科学的相関に関する哲学的分析など第一の意味での科学哲学とオーバーラップする領域をその内部に持ちつつも、科学を対象とした哲学的考察として科学的認識と哲学的認識との区別を前提しており、「哲学それ自体の科学化を志向しているわけではない」という意味で第一の意味での科学哲学とは相対的に区別される。
こうした第二の意味での科学哲学はさらに、科学的認識方法としての帰納法とそれに対するヒュームらの哲学的批判や、「科学的説明とは何か?」などといった問題や、科学的認識の基礎や基礎づけに関する哲学的分析のような科学一般に関する哲学的視点からの考察と、量子力学や相対性理論など個々の科学が明らかにした自然のあり方に関する哲学的視点からの考察(現代的自然哲学)とにさらに分けることができる。「科学とは何か?」という問題を科学史・科学思想史・科学社会学などが明らかにした科学に関する経験的事実を基礎として考察するクーンやラカトシュらの科学論を新科学哲学と呼ぶこともあるが、哲学的考察としての科学哲学とは相対的には区別すべきである。