step02 情報と社会の関わり 情報化社会とは

この単元では、情報が人間の社会とどのように関わり、どのような影響を及ぼしているかについて、(高度)情報化社会消費化社会を通して考察する。


もくじ

1.情報化社会とは何か
2.情報化社会の可能性
3.情報化社会の危険性
4.消費化社会 情報化社会の別の顔
5.新しい社会プランの模索

1.情報化社会とは何か

情報化社会とは、物質(モノ)エネルギーに対して情報の重要性が比率として高い社会、と一応の定義ができるが、情報の占める比率が高い静的状態として捉えるよりは、図2-1に示すように、情報の重要度が次第に増加してゆく動きそのものに注目すべきである。この動きは現在も進行中であり、近い将来(たとえば私たちが生きている間)に停止することもないであろう。だからこそ、こうしてあらかじめ考察することで、この変化に主体的に取り組む必要があるのだ。

図2-1: 情報化社会の動的な捉え方

人類の歴史

旧石器時代 約500万年前~
狩猟、漁労、採集
農業化社会 約1万年前~
農耕、牧畜 モノ中心
産業化社会 約300年前~
機械制工場工業 モノ+エネルギー
情報化社会 1970年代~
情報産業 モノ+エネルギー+情報

情報化社会の本質的属性

情報・知識の大量処理
大量生産→大量流通→大量蓄積→大量消費
2つのキー・テクノロジー
コンピュータ:すべての情報をデジタル化(数値化)して処理
デジタル・ネットワーク:地球上のどことでも、瞬時に通信

情報化社会の可能性危険性


可能性(メリット) 危険性(デメリット)
A.生活水準の向上 F.情報過多
B.自己実現の機会拡大 G.情報格差
C.人的交流の緊密化 H.個人の悪意の増殖
D.民主主義の浸透 I. 社会の弱体化
E.新しい共生社会の可能性 J. 高度管理社会

A対F、B対Gのような1対1ではなく、(A,B,C,D,E)対(F,G,H,I,J)のような5対5の対比であることに注意。

2.情報化社会の可能性

A.生活水準の向上

参考:総務省 災害用伝言サービス

B.自己実現の機会拡大

参考:みんなの就職活動日記

C.人的交流の緊密化

参考:キッチハイク

D.民主主義の浸透

参考:中国のVPN遮断、外国企業の監視も強化か

E.新しい共生社会の可能性

参考:岡山市電子町内会

3.情報化社会の問題点と危険性

F.情報過多

参考:情報オーバーロード

図2-2: 情報過多のモデル

G.情報格差(デジタルデバイド)

参考:デジタル・ディバイドの解消(総務省)
デジタルデバイドは、字面を定義とすれば、

の間の格差であるが、情報化社会の定義と同様、格差そのものというより格差を拡大するメカニズムと考える方が近い。つまり、格差が広がってゆく悪循環の仕組みを指す。いわゆる格差社会の1つの現れとも捉えられる。

さまざまなグループ間での情報格差

図2-3: デジタルデバイドという悪循環

H.情報の不正利用と不正情報の流通

参考:新日鐵住金・ポスコ技術流出訴訟

I.社会システムの弱体化

参考:実はウイルスまみれ、「IoTデバイス」の危険性

J.高度管理社会

参考:日本の防犯カメラ、500万台に迫る
参考:エシュロンの基礎知識

日本における事例

4.消費化社会 情報化社会の別の顔

社会の情報化は、消費行動の変化という別の現象ももたらす。必要最低限の生活必需品を買う、いわば最低限の消費行動に対して、富の蓄積によってさまざまな別の意味が付与されてくる。つまりモノよりも、モノに付随する情報を消費するという消費行動の新たな側面がクローズアップされてくるのである。そうした社会現象を論ずるのが、消費社会論であり、その創始者といえるのが以下に引用したジャン・ボードリヤールである。


ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(1970)

ドラッグストア(あるいは新しい商業センター)は多様な消費活動の綜合を実現する。その最たるものはショッピングであり、モノとのじゃれあい、組み合わせの可能性である。
消費過程は次の二つの根本的側面において分析可能となる。すなわち
  1. 消費活動がそのなかに組み込まれ、そのなかで意味を与えられることになるようなコードにもとづいた意味づけとコミュニケーションの過程としての側面。この場合消費は交換のシステムであって、言語活動と同じである。
  2. 分類と社会的差異化の過程としての側面。この場合、記号としてのモノはコードにおける意味上の差異としてだけでなく、ヒエラルキーのなかの地位上の価値として秩序づけられる。
    人びとはけっしてモノ自体を(その使用価値において)消費することはない。理想的な準拠としてとらえられた自己の集団への所属を示すために、あるいはより高い地位の集団をめざして自己の集団から抜け出すために、人びとは自分を他者と区別する記号として(最も広い意味での)モノを常に操作している。

大塚英志『定本 物語消費論』(1989)

今日の消費社会において人は使用価値を持った物理的存在としてのではなく、記号としてのモノを消費しているのだというボードリヤールの主張は、80年代末の日本を生きるぼくたちにとっては明らかに生活実感となっている。ぼくたちは目の前に存在するモノが記号としてのみ存在し、それ以外の価値を持つことがありえないという事態に対し、充分自覚的であり、むしろモノに使用価値を求めることの方が奇異な行動でさえあるという感覚を抱きつつある。 1987年から88年にかけて子供たちの間で爆発的なヒットとなったビックリマンチョコレートは、その意味で象徴的な商品だったといえる。消費者である子供たちにとっても、送り手であるメーカーにとっても、ビックリマンチョコレートチョコレートという食品としては全く価値を持っていないというのは、あまりにあからさまな合意事項であった。彼らはビックリマンチョコレートを買うと、ビックリマンシールを取り出し、チョコレートをためらいなく捨てた。
ところがビックリマンチョコレートにおいては、チョコレートは、製造元が菓子メーカーであり必然的に食品流通ルートに乗って販売されなくてはならないという理由のみで、チョコレートという形態をとったにすぎない。

5.新しい社会プランの模索

人権の拡張


すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である。
『世界人権宣言』第1条(1948)

マクルーハンの外れた予言:地球村


アルファベット(およびその拡張である活字)が知識という力を拡張させることを可能にし、部族人の絆を壊滅させた。かくして、部族人の社会を外爆発させて、ばらばらの個人の集合としてしまった。電気による書字と速度は、瞬間的かつ持続的に、個人の上に他のすべての人の関心を注ぐ。こうして、個人は再び部族人となる。人間種族全体がもう一度、一つの部族となる。
『メディア論』(1964)

大きな物語(イデオロギー)の失効

ネットワーク社会のジレンマ

近未来情報化社会の課題