<森のゲリラ>の創作じゃないの?

ゴンブローヴィッチ『トランス=アトランティック』

越川芳明

 ばかばかばかばか西成彦のばかやろう。こんな面白い小説、訳しちまって。

 でも、いったい「翻訳」なのか、これは。ひょっとして、ゴンブローヴィッチの名を騙った<森のゲリラ>西の創作じゃないのか。読みすすめるのが惜しい!と思いながらページをめくり、とうとう西自身による「訳者あとがき」を読み終えたあとでも、まだ頭の片隅に一抹の不安が残る。かつがれているんじゃないか、と。

 それほどに軽快な言葉遣い、まるで大道芸人か的屋みたいなリズムとスタイルをもった文章なのだ。そう、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、のリズムとスタイル。それが小説の構造だけじゃなく、意味論的にみて、もっとも効果を発揮するのは、社会の周縁に追いやられている者に作者が発言の機会を与えるときだ。

 「父親はどこまで行っても家父長的な鞭を使って、息子を自分のしりに敷く」(88)

 「これまで、ポーランド人の運命は、そんなにありがたい代物だった? あんた、自分がポーランド人だってことに嫌気が差したりしない? 受難つづきなんてまっぴらだとは思わない? どこまでいっても受苦と受難の連続じゃなかった? なのに、いままた、あんたたちの皮は、ひっぱたかれ、ひっぱたかれ、鞣されようとしてる! そんなに自分の皮にこだわりたい? 別な何か、新しい何かへと変身したい願望はない? あんたたちのところの男の子がみんな父親のあとを追いかけて堂々めぐりするのが、そんなに嬉しい? いっそのこと、男の子を父親の頸木から解放してやったらどう?」(89)

 これは、アルゼンチンに住むポルトガル人とトルコ人の混血の大富豪こと美少年狩りの<ゴンサーロ>の、おのれの変態行為を正当化するたわごとだ。だが、この父親と息子の頸木をめぐる言説は、ポーランドと新大陸アルゼンチンのポーランド人共同体のメタファーになっているだけでなく、<祖国>の文化伝統や権威といったお題目を唱える退屈な知識人連中への、ラディカルな批判になっている。

 ゴンブローヴィッチ=西は、<回転>のモチーフをふんだんに用いて読者に眩暈を起こさせながら、ヨーロッパにおける大戦と自身の亡命生活の不条理を徹底した方法意識で笑いのめす。これほどブラックな毒気をまぶされたグロテスク・ユーモアは、<セカチュー>に刺されて貧血気味の日本文学に活きの良い血をもたらさないではおかない。だからいっただろっ、ばかばかばかばかって。

(『すばる』2004年12月号)