ポストモダンの遊び心溢れる文学史

巽孝之『アメリカ文学史――駆動する物語の時空間』(慶應義塾大学出版会 2003年)

 無味乾燥な記述に堕しがちな凡百の文学史とちがい、この本はある確かな方法意識に 基づいて記述された「物語」である。

 ジャンル横断的に文学と映画と音楽とを接続したり、純文学とジャンクフィクションを 接続したり、時間を追って記述されるメインプロットの時間の流れをせき止めるかのよ うに多数の「よみものコラム」を配したり、とまさにポストモダンの遊び心溢れる文学 史だ。

 とはいえ、なぜいまどきアメリカ文学史なのだろう。「いまどき」というのは、近代の 国民国家を成り立たせている枠組みが「人為的な」産物であったということが新たな学 問的業績(B・アンダーソンや小熊英二ら)によって次々と明らかにされている、この ボーダーレスの時代に、という意味だ。もちろん、オリンピックやサッカーのワールド カップだけでなく、国別文学史もまた二〇世紀産の制度であったことを、この本の著 者は知っている。だとすれば、なおさら、なぜ?

 著者は、アメリカ史に通底する本質として<ユートピアニズム>に注目し、一〇世紀の ヴァイキングを初めとして、旧大陸からやってきた人たちの新天地を求める欲望の陰に は、悪辣な「他者」の捏造があったことを指摘する。<ユートピアニズム>と<テロリ ズム>は、アメリカ史というコインの表と裏だった、と。たとえば、一七世紀のピュー リタンたちの言説の中には、インディアンや異端者を「悪」として抹殺する排除の原理 が潜んでいた。それは、通常「魔女狩り」と称されるが、そうした仮想敵への<テロリ ズム>が一九世紀の南北戦争の時代や、不況の三〇年代や、大戦後の米ソ冷戦時代にも 形を変えてあらわれる。

 このボーダーレスの時代に、そうした排除の原理を潜ませた<ユートピアニズム>は、 日本も含めた世界政治の本質になりかねない。だからこそ、著者はあえて「アメリカ」と いう国家名を冠しながらも、危険な覇権的言説<ユートピアニズム>を脱構築する「物 語」の創造をもくろんだのだ。

 

(『産経新聞』2003.2)