大衆化社会における、「二流人間」のリアリティ
アイン・ランド(藤森かよこ訳)『水源』(ビジネス社)

越川芳明

 

 本書は六十年前も昔に書かれた小説だが、熱狂的なファンに支えられて、いまなおロングセラーを記録しているという。その理由の一つは、人物設定のわかり易さにある。登場人物は、建築業界とマスコミ業界に限られ、はっきり二種類に分けられる。すなわち、徹底した個人主義に生きる真の英雄と、愚劣にも他人に寄生する「二流人間」とに。

 前者の代表としては、米国建築界の泰斗フランク・ロイド・ライトをモデルにしたといわれる天才建築家ロークがいる。無知な世間によって奇人変人扱いされるが、かれこそが自らの理念を貫く理想の人間として描かれる。また、言論界においては、タブロイド紙で一躍巨万の富を築くワイナンドという名の「独学」の巨人が出てくる。「この少年は初めての数学を、下水導管を敷設する技師たちから学んだ。地理は、波止場の船員から学んだ。社会科は、暴力団の溜まり場のような場末のクラブに出入りする政治家たちから学んだ」

 この二人の巨人に共通するのは、世間の常識などにとらわれずに物事を判断し、自らの「天職」とするもの以外には、何ものの「奴隷」にもならないという点だ。しかし、こうした「唯我独尊」の精神は、その根をたどれば、一七世紀に迫害を逃れて新天地にやってきた新教徒たちのエトスにたどり着く。それこそ、この小説が「アメリカン・ドリーム」の神話を今なお信じる米国の若者たちの間で人気を博す、隠れた要因なのだ。と同時に、本書には、社会進化論者のH・スペンサーの名前が出てくるなど、危険な優生思想が隠し味になっていることも無視できない。

 では、わが日本ではどうか。もはや松下幸之助や本田宗一郎のような超大物が出にくい現代の大衆化社会にあって、より身近に感じられるのは、皮肉にも、作者によって「二流人間」と侮蔑される登場人物たちの方である。かれらがいかに他人を騙しながら会社組織の中でトップに這いあがるか、またいかに偽善的な利他主義を唱えて大衆の心理を掌握するか、作者は憎しみを込めて語る。しかしながら、現代の一般読者は、自分自身が巨人でないこと知ってしまっているので、いかに愚劣であろうと、これらの「二流人間」の成功や挫折のほうにリアリティを感じてしまうのだ。

(『日本経済新聞』2004年9月19日刊)