問答形式に注意せよ

書評 島田雅彦『フランシスコ・X』

「一五四九年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教をつたえた」
小学生の娘が通っている塾の社会科テキストに、そう載っていた。
さすが進学塾のテキストだけあって、入試対策用の語呂のいい覚え方も載っていて、「1549<いごよく>広がるキリスト教」とある。 思わず、便利だな、とうなってしまった。

でもね、そこが落とし穴なのだ。そんなもんで「わかった」と、思うのが。

日本人なら、誰でも知っているように、ザビエルの情熱にもかかわらず、キリスト教の布教は成功しなかった。 同業者や商人による邪魔だて、時の権力者による妨害や迫害があったからだ。 ほぼ同じ時期に、大西洋をわたって逆方向からインドをめざしたスペイン人の宣教師たちが、 「暴君」のピサロや「策士」のコルテスの軍勢によって占領・虐待されたあとのカリブ中南米の インディオたちの改宗に一応の成功をおさめたのとは、好対照をなしている。 だから、いまから約四五〇年前、最初にポルトガルのイエズス会ではなく、 スペインのフランシスコ会の修道士たちが強力な軍隊と共にやってきていたら、 日本はどうなっていただろうか。能天気に「いごよく広がるキリスト教」などと 唱えている場合じゃなかっただろうね、きっと。

さて、この小説の主人公は、タイトルからも察せられるように、 布教に失敗したそのザビエルである。島田雅彦は、キリスト教に改宗したの? と早合点してはいけない。遠藤周作ではないのだから。かつて遠藤周作は、 江戸時代のはじめにローマ法王謁見のためにメキシコ経由でヨーロッパへむかった 伊達藩の支倉常長(ルビ:はせくらつねなが)の旅を題材にした小説『侍』を書き、 日本人にとってのキリスト教の意味を問い、みすぼらしく見栄えのしないイエス像にうたれる 日本人(ヨーロッパへのコンプレックスですね)を描いた。

では、島田雅彦にとって、なぜいまフランシスコ・ザビエルなんだろうか。 島田の描くザビエルは、遠藤のイエスとちがい、まず肉体的に逞しい。 なんといっても元スポーツマンである。それも、素手でやるスクワシュともいうべき「ペロタ」の 名手だったという。そう、ボクの中学校受験生レベルの知識で、ザビエルは「スペイン人」 とばかり思い込んでいたが、実はバスク地方(いまはなきナバロ王国)出身者だったのだ。 バスクといえば、牛追いの祭りとか、肉体を酷使した石担ぎと丸太切りとか、 マゾ的な「スポーツ」が盛んである。島田風解釈によれば、それがピレネー山脈をはさんで フランスとスペインの両大国に支配されてきた弱小国の知恵、 「民族の歴史をおのが肉体の記憶に刻み付けようとした」ということになる。(14ページ)

島田雅彦は、歴史のなりゆきで故郷を喪失した放浪者フランシスコに何を託したのだろうか。 この小説では、「ダイアローグ」の手法が用いられている。よく読んでみると、会話の部分は、 ぜんぶ問答形式である。お互い意見の食い違う者同士のつばぜり合い。日本では、「問答無用 (反対意見をいう者は、殺せ!)」とか「禅問答(ひとつ、煙にまいてやれ!)」といった表現が あるように、一対一の問答形式は重要視されない。他国(とりわけ欧米)からどのように見られて いるか、ということが気になるくせに、他者(ガイジン)がはっきり意見をいうと、煙たがられる。 島田雅彦は、日本においてポピュラーでないそんな問答形式を採用しながら、さまざまな宗教的な、 社会的な、文化的なシンクレティズム(混交)がこの世界の現実であることをしめそうとした のかもしれない。たとえば、学者になろうとしていたザビエルですら、イグナチオとの「問答」 を通じて宣教師になり、さらに宣教師としてアジアに派遣されてからも、マラーノ (キリストに改宗したユダヤ人だが、ユダヤの律法はひそかに守りつづける「中立のこうもり」) のイサークとの「問答」を通じて「純血」のカトリックから変身をとげてゆくのだから。

『すばる』2002年7月号を改稿