マヤ族と大自然の逆襲

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『すべてのまぼろしはキンタナローの海に消えた』(早川書房)  

越川芳明

 

マヤ族とCIA

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(1915−87)の略歴を瞥見するとき、彼女がCIA(米中央情報局)の創設時のスタッフであったという点に興味がひかれる。

 ティプトリーは、一九四二年に米国陸軍に入隊し、写真情報士官としてペンタゴンで働くが、その後、空軍情報部のシェルドン大佐と結婚、五二年CIA発足時から五五年まで、写真情報部門に関与したという。

 CIAは戦後米国の反共政策の産物であり、海外での情報収集と政治工作を目的とした大統領の直属機関であった。そういう組織に所属していたことがそののち作家のキャリアを始めた人にとって、果たしてどのような影響をもたらしたのだろうか。

 巽孝之は『現代SFのレトリック』(岩波書店)の中で、ティプトリーのSFに見られる外宇宙的知性体の実体が作家の「自己内部の怪物」ではないか、とドキリとするようなことを述べている。だが、その「怪物」の中身には触れていない。

 ちょうど本書に収録された作品を書いていた八〇年代初頭のインタビュー(浅倉久志訳/〈SFマガジン〉』一九九七年十二月号に収録)において、チャールズ・プラットは彼女と軍隊やCIAとのかかわりについてかなりつっこんで質問しているが、作家は多くを語らない。多くを語らないが、まるでスパイ小説の主人公みたいな彼女の生涯の断片を覗き見ることはできる。まず、軍隊とのかかわりについてみてみよう。

 「一九四二年にはアメリカ陸軍に入隊、"ハリスバーグの空軍情報学校で開校以来最初の女性卒業生になり、三十五名の男の同期生はわたしをながめる以外にすることがない"ありさまだった。卒業後は、写真情報士として、"文字どおりペンタゴンの地下で"極東の高空撮影写真を爆撃機のために解析する仕事にとりかった。/ 一九四五年、彼女は空軍の戦後処理計画に加わった。このプロジェクトは、ヨーロッパ戦線で空軍情報部の司令代理だったハンティントン・D・シェルドン大佐の立案だった。大佐の目的は、ドイツの機密科学研究の成果とそれにたずさわる科学者を、できるだけ早く手中にして、アメリカへ送ることになった。この計画の対象には、原子物理学者や、最初の実験用ジェット機や、ロケット工学技術が含まれていた」

 この彼女の発言からつい想像してしまったのは、彼女が広島や長崎への原爆投下にかかわっていたのではないか、ということだ。もちろん、根拠はない。より正確にいえば、彼女らのクールで科学的な仕事が、政府に利用されることになったのではないか、と想像されるのだ。

 つぎに、CIAへの参加についてはどうか。「ティン(夫)は階級抜きの立場でCIAに参加し、わたしはたんなる技術レベルで写真情報部門の発足を手伝うことになりました。当時の仕事は、ドイツ空軍から押収されたソ連の空中写真を解析すること」だった。「わたしの写真情報の仕事は、清潔で無害な技術コンテストみたいなものでした。それによって脅迫されたり、強制されたり、危険にさらされた人はだれもいなかった。(中略)でも、暗殺や軍事作戦に関係した裏側は、実際のところ、情報部の仕事にまったくそぐわないものに思えたわ。それに長期の効果を考えると、そんな手段を使っている国家の威信が傷つくだけです」

 ここで、いましばらく遠回りをお許しいただきたい。本書に収められた作品は、すべてユカタン半島のキンタナ・ロー州が舞台である。ティプトリー自身も冒頭のエッセイ「キンタナ・ローのマヤ族に関するノート」で述べているように、先住民マヤ族の分布は、ユカタン半島からベリーズ、ホンデュラス、グアテマラ、エル・サルバドルをカヴァーし、とても広い。マヤ族は、絵文字や建築物、天文学や数学の知識、宗教などにおいて共通の特徴を有するが、各部族間の言語的差異も大きい。専門家によれば、もともと現在のグアテマラのウエウエテナンゴのあたりに、紀元前二千五百年頃にマヤ祖語を喋る集団がいて、そこからの移動・移住をへて、この祖語からローカルな差異を有するさまざまな部族語(変種)が生まれたとされている。

 ティプトリーも触れているが、この物語のマヤ族の居住地は国民国家としてのメキシコだが、各部族は本来の自分たちの<国家>を忘れていない。

 「キンタナ・ローの海岸には、いま(一九八四年現在)でも、休戦協定による権利を楯に、同化や近代化を拒んでいる村がいくつも存在する」と、作家は念をおす。「ユカタンを理解したいと考え、なぜある種のことが、"メキシコ的"ではなく、"ユカタン的"と呼ばれるのかを知りたがる訪問者は、マヤ族がつい最近でもメキシコを相手に独立をもとめて蜂起し、流血の戦いをしたことを知っておくべきだ。しかも合衆国は――つまり、わたしたちの国は――メキシコ援助のために派遣した」

 征服されざるマヤ族の抵抗は、これにとどまらない。一九九四年一月、NAFTA、つまり<北米自由貿易協定>が実施されたと同時に、メキシコの南部マヤ族のグループ(サパティスタ民族解放軍)が武装蜂起した。そして、いまなおチアパスのジャングルを拠点にして、メキシコ政府と戦いをつづけている。

 CIAとマヤ族のかかわりで触れなければならないのは、ちょうど創設期のCIAがまさにマヤ族の祖語を話していたとされるグアテマラに介入した歴史的な事件だ。一九四四年に、グアテマラでは独裁者のホルヘ・ウビコが追放され、国民の選挙による民主的政権が初めて生まれた。それまで国民人口のたったの二パーセントの富裕層が国土の七〇パーセントを占有し、一〇パーセントの土地を九〇パーセントを占める先住民が所有するといった、超不平等がまかり通っていた。したがって、先住民への土地の再分配が最重要課題のひとつだった。

 しかしながら、グアテマラの民主政権は十年もつづかなかった。ティプトリーがまだペンタゴンに勤務していた五四年に、CIAが主導してクーデターをおこし、民主政権の転覆をはかったのだ。表向きの理由は、ソ連型共産主義が中南米に広がることを阻止すべきというものであったが、じつは、利権が絡んでいた。というのも、独裁者たちと組んで中南米の利権を牛耳っていた<ユナイテッド・フルーツ社>が既得権と土地を失う可能性が大きく、しかもその会社にアイゼンハワー政権の中枢とCIAの関係者がかかわっていたのである。たとえば、ジョン・フォスター・ダレス国務長官の関係するニューヨークの法律事務所は、長いこと<ユナイテッド・フルーツ社>の代理人だった。CIA長官のアレン・ダレスはその会社の元評議委員であり、会社の広告部門を統率するエド・ホイットマンは、アイゼンハワー大統領の秘書の夫といった具合に。

 ティプトリー自身はCIA長官アレン・ダレスについて、情報局の「裏側のタイプ」と呼び、彼には批判的だ。「一九六一年のキューバ侵攻が起きた原因はそれなの。裏側が表にのさばり出てきて支配権を握ったのと、アレン・ダレスが裏側のタイプで、評価のプロセスでは、"そんな試みが成功するはずはない"と結論が出ていたのに、それをまったくオミットしてしまったから」と。果たして、同じ組織で自分たちはクリーンな仕事をしたのに、裏の人間だけがダーティな仕事を請け負っていた、といって通るものなのだろうか。被害を受けた側からすれば、どちらでも同じではないか。

 ひとつだけ確かなことは、グアテマラはふたたび暗黒時代に逆戻りし、九六年まで四十年近くも先住民を巻き込んだ内戦状態がつづくことだ。おそらく、ティプトリーはダレス一派を批判する自分自身の説明に納得できなかっただろう。そうした後ろめたさが彼女の内部に押さえられない「怪物」を生む、ひとつの切っ掛けになったのではないだろうか。

「わたし」の謎

 本書に収められている三篇は、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが男性のペンネームを使う覆面(女性)作家であることが判明したのち、八〇年代初頭に書かれたものだ。語り手は一人のアメリカ人男性であり、一人称の語りによって物語が展開する。

 もう少し細かくみてみると、語り手は、ダイビングやシュノーケリングが趣味の、老齢の実験心理学者であり物書きである。リゾートの観光客というよりは、長期滞在型の旅人である。

 舞台はメキシコのユカタン半島で、彼はたんにアメリカ人の老人というより、ラテンアメリカで多少軽蔑のニュアンスのこめて呼ばれる「グリンゴ」だ。そうでなくとも他所者は信用されていないのに、この土地に居座そうとする「グリンゴ」は、もっと胡散臭い存在だ。

 その辺の事情を語り手は心得ており、彼が間借りている農場主のドン・パッオ・カモールについて、次のようにいう。

 「アメ公(グリンゴ)」きびしい横目でわたしをじろりと見あげた。その言葉を使うときはそうするのがこの老人の癖だ」

 一言でいえば、どの作品でもグリンゴの語り手は周縁的な人物として設定されている。おそらく本国の米国でも何らかの形で疎外感を味わっているかのような周縁者として。

 小谷真理は、『エイリアン・ベッドフェロウズ』(松柏社)で、ナオミ。ミチスンのSF『ある女性宇宙飛行士の回想記』に触れて、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアやジェリー・テッパーらの面影が見られるという。「西洋文明/西洋外文明の界面に位置する白人女性科学者のコミュニケーション挫折体験がノンフィクションでも、純文学でもなく、何よりもSFとして描かれなければならかったこと」にこそ注目すべし、というのだ。彼らのSF作品は、西洋の家父長制社会の中で疎外された白人女性知識人・科学者の挫折体験の隠喩として読むことを誘っている、と。

 マーリン・S・バーは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが「男たちの知らない女」という短篇で、フェミニストからすれば、どうしようもなく鈍感な男性の語り手になぜ物語を語らせたりするのか、その皮肉なやり口について触れて、こう語っている。

 「ティプトリーは、いかに人間/男たちが日常的に個人としての女を抹消しているかを典型的に示すために、男性であるフェントンの視点を用いているのだ」(『男たちの知らない女』小谷真理ほか訳 勁草書房)

 簡単にいえば、家父長制社会における男性支配を読者の目にさらすために、あえて愚鈍な男の語り手を用いているというわけだ。だが、本書に収められた作品は、事情が少し異なる。語り手は、「男たちの知らない女」のフェントンほどにこの土地の支配・被支配の関係に鈍感なわけでない。むしろ、マヤ族の一員にしてはもらえないものの、マヤ人たちから辛うじて認知してもらっていることに感謝に近い気持ちを抱いている男だ。

 ここに現実との捩れが見られる。いうまでもなく、キンタナ・ローはいま米国資本主義の餌食になっているからだ。キンタナ・ローのカンクーンは、七〇年代以降に開発された米国資本の一大リゾート。米国の大都市から飛行機にたったの二、三時間乗るだけで、英語が通じ、しかも文明的な快適さを断念することなく熱帯の野生やマリーンスポーツを堪能できるだけでなく、おまけに世界遺産を訪ねて知的好奇心も満たすことができる場として人気の土地だ。つまり、グリンゴたちの手軽な<植民地>だ。

 そんなリゾート感覚でここを訪れるダイバーたちの中に、マヤ族の現在に興味を持つ人が何人いるだろうか。彼らは金をもつ支配者なのだから。とすれば、ティプトリーの作品の中の語り手の態度は異常に映る。異常でなくとも、少なくとも、メキシコに導入された米国資本主義の現実からは遊離した態度をとっているように映る。彼は、マヤ族からもリゾート客のグリンゴからも変人とみなされるような、いわばアウトサイダーだ。

 「語り手」をアウトサイダー的な存在に仕立てることで、ティプトリーは自らの性的、階級的、民族的なアイデンティティをカモフラージュし、匿名性を維持しながら、シリアスなテーマを語る本当の語り手=主人公を登場させる。それは、大航海の時代の難破船の亡霊を幻視した放浪のアメリカ人青年だったり、七百年前の神と重ねて海男の失踪を語るマヤ族の漁船の船長だったり、リゾート開発のせいで海中にゴミが溜まりお化け屋敷と化したさんご礁での探険を語るベリーズのイギリス風紳士だったりする。

 かつて「接続された女」において、ハイパー消費主義時代の広告業界の暴走を痛快に揶揄したように、ティプトリーは本書においても、海に生息する亡霊のモチーフをふんだんに用いて幻想的な物語をつむぎながら、学問的な遺跡発掘がメキシコにもたらした世界遺産+リゾートツーリズムのパラドックスを鋭く突いている。ここでは、リゾートホテル開発や世界遺産の奨励による環境破壊がもっとも大きなテーマであり、マヤ族の逆襲と大自然(海)の復讐が毒薬のように忍び込ませてある。

 ティプトリーの「怪物」とは、ロバート・シルヴァーバーグが「つけ髭的な変装」と揶揄した性の仮面のみならず、多種の仮面をかぶってさまざまな支配・被支配の境界をうろつきながら、涼しい顔をして大それたテーマを物語りに仕立てるそんな才能のことではないか。次のティプトリー自身の言葉がそのことを暗示しているように、わたしには感じられるのだが・・・。

 「どのような集団でも、支配される側は相手が自分たちのことを理解している以上に支配者側のことを理解しているもので、それと同じことだ(黒人というのは陽気なミンストレルショーの歌手のようなものだと決め込んでいる多くの支配者たちが、ある日突然、血なまぐさい革命の洗礼を受けて苦悶することになる原因はここにある)」(佐田千織訳「SFとファンタジイを書く女」/〈SFマガジン〉一九九七年十二月号に収録)

解説 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『すべてのまぼろしはキンタナローの海に消えた』(浅倉久志訳 早川書房 2004年11月)