「檻」の中の「鳥」が暴れない、あまめのカフカ

村上春樹『海辺のカフカ』(新潮社 2002年)

 

村上春樹はこんどの小説で、ごく普通の人間も必ずもっているはずの暗い心のうちを 覗きこもうとした。たとえば、それは凶悪な犯罪をおかす十代の少年たちの不可解な心理を、 あたかも暗く深い井戸に釣瓶を落とすみたいに、そっと探ろうとするような作業である。

この小説には、田村カフカという十五歳の少年が登場する。少年は親がつけた名前を捨て、 わざわざカフカという名前をつけたらしい。なぜ少年がその名前をつけたのか、 理由は書かれていないが、当然、チェコのドイツ語作家フランツ・カフカを意識した上での ことだろう。

フランツ・カフカは、『審判』や『変身』をはじめとした小説で、理不尽な状況におかれた人間を 描いた。とりわけ、「檻」というのは、そうした人間世界の不条理を表すためにカフカが好んで つかった表現である。カフカによれば、われわれは国家とか会社とか学校という「檻」によって 外なる制約や拘束を受けているだけでなく、自分で心のうちに「檻」を作りその中に「鳥」を飼う という。「鳥」というのは、自分でもコントロールできない暗い欲望や暴力かもしれないし、 強迫観念のことかもしれない。いずれにしても、国家や会社や学校はつぶすこともできるが、 内なる「鳥」は殺せない。ただ飼いならすことができるだけだ。

この小説の奇数章はすべて、田村カフカ少年によって一人称形式(「僕」)で語られるが、 この少年は世界的に有名な彫刻家、田村浩一の一人息子らしい。なぜか母は少年が四才のとき 養子の姉を連れて、この上流家庭から家出をしている。母によって捨てられたことが田村少年の心 に「檻」をつくらせ、「カラス」と呼ばれる少年、すなわち、内なる「鳥」を飼うことに なったようだ。
この奇数章の最大の難点は、その「鳥」がなかなか暴れないことである。 というか、カラスと呼ばれる少年は、山中の小屋で独りもくもくとフィットネスをこなすような 禁欲的な少年に向かって二人称(「君」)で理性的に話かけるのだ。 そんなわけだから、血染めのシャツを着たまま神社の奥で倒れていた空白の四時間に対して 田村少年が感じるはずの恐怖にしても、はたまた真夜中に少年の前に出没する幽霊の佐伯さんとの セクシャルな交感にしても、まるでよくできた遊園地のお化け屋敷みたいな感じなのだ。 村上春樹には神がかりのシャーマンになって、少年の不条理な心に触れてほしかった。

そうした危うい橋を渡る代わりに、作家は奇数章で、性同一障害の大島なる人物を造型することで かわした。女性の身体(ヴァギナ)を持っているが性意識の上では男性として、肛門でのセックスを 好むという、この風変わりな登場人物こそが、内なる「鳥」を飼いならしていることをうかがわせる という意味で、誰よりもカフカという名前にふさわしい。かれは、「自然というものは、 ある意味では不自然なものだ」(上巻265)といった、人間世界のパラドックスをいくつも 田村少年に語ってきかせる。

一方、ナカタ、星野、ジョニー・ウォーカー、カーネル・サンダースなど、資本主義社会の ポップヒーローやブランド品の名前を付与された人物たちが数多く登場する偶数章で唯一 特筆すべきは、むしろ名前の与えられていない女性小学校教師による手紙 (第12章)である。この手紙には、戦争によって夫を奪われた若い女性が教え子の小学生に対し 衝動的に暴行を加えてしまったことへの内省が書かれており、みずからの不可解な「鳥」と 格闘したこの初老の女性の文章は、文句なしにすばらしい。 村上春樹のカフカ的な本領が発揮されている部分であろう。

このように「変態」の大島や無名の元小学校教師という脇役的な人物のおかげで、 村上春樹はチェコのカフカのように、<通過儀礼>やギリシャ神話などの型どおりの退屈な 物語構造から逸脱することができた。それにしても、原稿用紙にして千五百枚もの小説の ほんの一部の話だから、やはりこの小説は「あまめのカフカ」というしかないのかもしれない。

『High Fashion』2002.12

Text by Yoshiaki Koshikawa
Designed by OKADA Tomoyuki
Special Thanks:バス通り
Nov.26, 2002