「世界文化を追い求める道」を発見した日系アメリカ人
書評 デイヴィッド・ムラ『僕はアメリカ人のはずだった』(柏艪舎)

越川芳明
本書は日本滞在記の体裁をとっているが、ありきたりの滞在記とちがって、ずっしりとした読みごたえがある。それは、著者のきめ細かな観察と思索的な文章のおかげだ。克明なメモや日記にもとづいた著者の文章は、ある目標にむかって思索の旅をする。ノンフィクションとフィクションのあいだの境界を自由自在に行き来しながら。
著者のデイヴィッド・ムラは、「日系三世のアメリカ人」だそうだが、そのことは彼自身にとって、どっちつかずの状況を生きるということを意味するようだ。というのも、彼は晩年に和歌山に帰郷した祖父のように「日本文化」に回帰することもできず、かといって姓名をカツジ・ウエムラからトム・K・ムラへと変え百パーセントのアメリカ人になろうとした父のように「アメリカ文化」にも同化できないからだ。
むろん、そうした「宙ぶらりん」の状況は、書き手にネガティヴにばかり働くわけではない。二つの国の文化からはじき出されることが、狭隘なナショナリストへの道を閉ざし、やがて彼に自分と同様に「宙ぶらりん」の状況を生きた先学たちと連帯する、もう一つの道を発見させることになる。本書には、詩人のデレク・ウォルコットや哲学者のミシェル・フーコーなど、アウトサイダーとして生きた文学者のことばが数多く引かれている。
本書のほんとうの目標は、ここにある。既存の国境によって自らの生き方を狭めるのではなくて、「世界文化を追い求める人間」へと変わること。異なる文化に住む人びとの「別の視線」で、自分自身を見ること。本書を書くことによって、著者はパレスチナ系のアメリカ人エドワード・サイードの思想に通じるそうした「発見」を、日系人の側からなしとげた。そういう意味で、国籍はなんであれ、世界のどこでも逞しく生きたいと思っている人にとっては、きわめて刺激的かつ有益な本である。
(『産経新聞』2003年6月8日)