越川芳明
もうずいぶん前の話だが、アメリカ合衆国のどこかの空港に着いて、税関チェックを受けるさいに、<合衆国市民>と<エイリアン>と、二つのセクションに分かれていて、なるほどな、わたしは米国の当局者にはエイリアンと見られているのか、と妙な感慨にふけったことがある。いまでも、国境の砂漠や山を越えて米国に入ってくる人たちのことを、マスメディアはイリーガル・エイリアン(違法移民)と称している。
フェミニスト学者のマーリーン・バーによれば、米国のSF小説でエイリアンといえば、社会の周縁においやられている「他者」のことを指すらしい。たとえば、異邦人であったり、外国人であったり、旅人であったり、同性愛者であったり、とさまざまな姿で出てくるが、要するに、「中流の白人男性を中心とする規範から逸脱した存在」なのだ。
小谷のこの刺激的なSF評論のもくろみは、米国の当局者からうさん臭く思われている「エイリアン」なる存在を、たんに「人種」や「民族」で<われら>と<かれら>の二項対立に還元するのではなく、そこに「ジェンダー」や「セクシャリティ」の変数をかけてさらに緻密な差異化をはかろうとするのだ。ロボットやサイボーグといったSFの定番めいた<隠喩>から、<ペット>や<昆虫>や<人食い>といったSFっぽくない<隠喩>まで、さまざまな<エイリアン>表象を扱いながら、小谷はテクノメディアの発達によって皮肉にも価値観が均一化しつつあるこのグローバリズム時代に風穴をあけようとする。
小谷は、「日本にぜんぜん紹介されていない英語圏女性SF作家の作品を、日本にぜんぜん紹介されていないフェミニズム理論で斬る、という方法論に挑戦してみることにした」(353ページ)という。とりわけ、第I部はそうした小谷の野心が発揮された部分で、一五個のSF作品がそれの数倍にあたる他のSF作品とともに、エッジのきいた批評理論によってテキパキと料理される。小谷の論述スタイルは、独自の創作料理にチャレンジする有能なシェフみたいに、毎回真剣勝負なので、食する読者もそれなりの気合を要求されるのだ。
しかし、マヤ文明を題材にしたパット・マーフィや、南北戦争のジェンダー問題を扱ったコニー・ウィリスの紹介など、前菜にあたる料理も充実している。また、第II部や第III部にはデザートというべき軽い文体のエッセイがあって、ほっと一息つけるようにもなっている。うまく編集されている評論集だ。
(『すばる』2004年4月号)