「複数文化」の大切さを説くイスラーム世界の思想書

アブデルケビール・ハティビ『マグレブ 複数文化のトポス』

越川芳明

 マグレブとは、かつてフランスの植民地だった北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコの三国のこと。アラビア語で「日の沈む場所、西」という意味だ。

 アルジェリア出身のユダヤ系思想家ジャック・デリタと同様に、一九三八年モロッコ生まれの著者ハティブも、アラビア語ではなく、旧宗主国の言語であるフランス語で書く。

 そして、アラブの一神教の世界とフランスの普遍主義をともに批評の俎上(そじょう)にのせる。たんに西洋による<オリエンタリズム>だけを批評するだけではダメで、みずからの内なる文化の闇にも批評のメスを入れなければならない、と考えるからだ。

 どちらの世界からも中心ではなく、その周縁にいるあり方を、ハティビは「余白」という言葉で説明する。「西洋の形而上学やイスラーム神学の余白に位置し、余白のうちを移動する。目覚めた余白が問題なのだ」と。そうした「目覚めた余白」を生きる人をハティビは「プロの異邦人」と呼ぶ。

 本書でマグレブ地方の多言使用語(古代アラビア語、口語アラビア語、ベルベル語、フランス語)の慣習に触れながら、執拗に語られるのは、「複数の文化」を大切にすることの重要さだ。

 アラブやイスラーム世界も一様ではない、というややもすると中東の紛争の報道では無視されがちな事柄がすっと読者に胸に入ってくる。

 これは、思考のための思考の哲学書というよりは、実践的な提言の書である。たとえば、「反ユダヤ主義とシオニズムを超えて」は、ハティビの説く「複数文化」や「他なる思考」をパレスチナ問題に応用した、きわめて政治的で挑発的な批評文だ。

 また、一見政治とは関係なさそうな他の論文でも、功利主義を武器にして世界中に格差を生み出す新しい自由主義(グローバリズム)に対する批判を展開するなど、脱植民地主義の世界的な視野を持った思想家の書ともいえるのだ。

(「産経新聞」2004年9月)