沖縄を舞台に放浪する女たち
中江裕司『ホテル・ハイビスカス』
放浪は、中江裕司監督の大切にしているモチーフのひとつだ。
観光旅行が時間的に効率よく旅することを使命とすれば、逆に、時間をめいっぱい無駄にすることこそが放浪の命である。それは子供たちの寄り道からはじまり、老人の徘徊にいたるまで、日常の生産活動からかぎりなく遠ざかったところで行われる行為である。
なぜか、中江監督の作品の中では、放浪は女性によってなされることが多い。
たとえば、デビュー作『パイナップル・ツワーズ』(1992年)や、ヒット作『ナビィの恋』(1999年)で、調子のいい老人たちにかどわかされて、うっかり島の娘を妊娠させてしまい、それが切っかけで放浪をやめざるを得なくなるのがヤマトの青年であるのに対して、中江監督の意欲作ともいえる『パイパティローマ』(1994年)で、あてどなく放浪するのはヤマトの女性、とも子である。とも子は沖縄本島の那覇へと行き、さらに南の八重山諸島、石垣島へと向かう。そのうち、自分を裏切った男への「復讐」という最初の目的はどこかに忘れ去られ、放浪そのものにとりつかれたように、とも子は南の波照間へ行き、さらに船を乗り継いでどこか知らない島にたどり着く。
とも子のたどり着いた島が、民俗学的にも文化論的にもとても興味深い島である。小型トラックの車体には、なにやら漢字で文字が書かれているのに、住民達の顔はフィリピン人のように浅黒く、しかもアジアの風土に溶け込んだ土着的なカトリック教会が出てくるのだ。あとで、そこが蘭嶼(ルビ:らんゆう)という名の、台湾に属する島であり、住民たちはトビウオを追いかけて南からやってきた海洋民のヤミ族の人たちであり、ヤミ語と北京語を喋っている、と監督から教わった。
なぜそこが興味深い島であるかというと、そこが国境という海の上に引かれた政治的な境界線で分けられない、複数の国家にまたがる生活圏の存在をかいま見させてくれるところだからだ。とも子はそんな島でまるで蝶の幼虫が成虫にかわるがごとく、国籍に関係なくどんな土地でも生きていける逞しい人間へと変身を遂げる。この映画が凡百のロードムービーと違うのは、ただ主人公の空間移動を描くだけでなく、「越境」がひとりの人間にもたらす本質的な変化を扱っているからだ。
さて、『ホテル・ハイビスカス』にも、そんな逞しい越境者(ルビ:ノマド)が登場する。もちろん、美恵子の「母ちゃん」である。「母ちゃん」は、三人の子供の母親だが、その三人の子供たちの父親は米軍の黒人兵士であったり、白人兵士であったり、うだつのあがらない沖縄の男(ルビ:ウチナンチュー)だったりする。なるほど「母ちゃん」は何人もの男をとっかえしっかえした「男性遍歴」をもつ「トンでもない女」だが、それは儒教的な性道徳に基づいた価値判断でしかない。というのも、昼はホテル(といっても、客室一室だけだが)の経営、夜はバーでホステスとして働くなど、自力で三人の子供たちを育て、きちんと落とし前をつけているからだ。いくつもの文化や民族の壁を軽々と越えることができるという意味では、彼女くらい「インタナソナル」な越境者はいない。
その「母ちゃん」の一番下の娘で、小学三年生の美恵子は、この映画の主人公であるが、この世とあの世を境界を行き来する小さな放浪者でもある。最後のほうで、父に叱られ、ふらふらとさまよい歩き、ずっと昔に死んだ父の妹の魂(ルビ:まぶい)に出合い、ある種「宗教的な」体験をするのだ。
そんなわけで、京都出身の中江監督は、沖縄に囚われたというより、沖縄を舞台に放浪する女たちに囚われてきたといえないだろうか。すでに20年以上も沖縄に住み、よく陽に焼けた顔も、語尾をやや上げ気味に喋るソフトな話し方も、沖縄人(ルビ:ウチナンチュー)そのものだが、中江監督自身はあくまで部外者(ルビ:ノマド)にとどまり、鶴見俊輔のいう「外なるまなざし」を捨てる気はないようだ。中江監督はいう。「ずっと沖縄に居ようと思うと、沖縄にとっても僕にとっても不幸な関係になってしまう。沖縄にとって僕が必要であれば居るし、僕にとっても沖縄が面白ければ居ようと(思います)」
その辺に中江監督が定住者よりは、放浪する女たちを好んで撮る秘密の鍵が隠されているような気がする。中江監督は、尊敬する作家として、日本中をおそよ1万4000キロにわたって歩いた「裸足の民俗学者」の宮本常一を挙げる。「宮本常一は、文体が素晴らしいのと、フィクションとノンフィクションの間をいとも簡単に行き来している姿がとても好きなんです」
佐野眞一のすぐれた伝記(『旅する巨人』1996年)によれば、農政官僚や朝日新聞論説委員という立派な肩書きを持って全国をまわった柳田國男とちがって、宮本常一は旅先で出合う人々に「ただの百姓です」と自己紹介したという。中江裕司監督は、そんな低いアングルから人々の暮らしを書き留めた骨太の偉人に似ているような気がする。
(『ホテル・ハイビスカス』劇場用パンフ)
映画「ホテル・ハイビスカス」の公式サイト http://www.shirous.com/hibiscus/