船堀洋一編『ゲバラ 青春と革命』(作品社 2005年)
越川芳明
理想主義者のチェ・ゲバラは、アメリカ合衆国のラテンアメリカにおける植民地政策にも、ソ連の官僚的共産主義にもくみさなかった。そのため、ソ連の後ろ盾を必要としたカストロ体制からなかば追いやられるようにしてキューバをあとにした。
チェ・ゲバラが最後に新たなる革命をおこそうとして向かった先は、南米の小国ボリビアであった。チェはトレードマークである髭を剃り落とし、<アドルフォ・コンサレス・メナ>というウルグアイ国籍の偽造パスポートをつかう。さらに、敵をあざむくために<ラモン>をはじめ、いろいろな偽名をつかって変装しつづける。部下には、タニアという愛称をもつ、東ドイツ人の血をひくアルゼンチン生まれの若き女性スパイ(タマラ・ブンケ)がいた。語学に堪能な彼女は、ボリビアの大統領報道局長の秘書になって、情報収集活動をおこなっていた。チェの一行によるボリビアの山地でのゲリラ活動は、米国当局につつぬけだったといわれる。米軍の特殊部隊による訓練をうけたボリビア軍が、'67年夏の終りにタニアを撃ち殺し、その二カ月後にチェ・ゲバラを捕まえた。
チェ・ゲバラの処分をめぐって、ここに収められた文章には面白い対立が見られる。アンドリュー・ジョージというハンガリー生まれのカメラマンによれば、CIAはチェを生かしておこうとボリビア軍への説得を行なったという。いっぽう、フランス人ジャーナリストのミシェル・レイによれば、チェの暗殺はCIAの関与のもとになされたという。いずれにしても、米国が恐れたのはチェが殉教者となり反米・反帝国主義のシンボルとなることだった。ボリビア軍のオバンド司令官も、「チェの墓がゲリラの記念碑になり革命のメッカになると困る」といって、埋葬の場所を報道陣に教えるのを拒んだ。「死せるゲバラは、生きているゲバラより恐ろしい」というわけだ。
さて、本書はもともとチェの死の直後に刊行された本に、新たに資料や写真やゲバラやカストロの演説文とその録音CDなどを加えたものだ。せっかく新たに充実した資料が付け加わっているのに、僕が気づいただけでも二箇所で落丁と思えるページがある。もったいない。
それにしても、伊高浩昭の文章はエッジがきいていて素晴らしい。「チェは生前よりも死後に、カストロ体制に貢献した」と、伊高はいい、カストロの長期政権こそがチェの偶像化をもたらしたのだ、と念をおす。ソ連崩壊後の90年代に外貨を自由化して反体制派が台頭すると、カストロ政権はふたたびチェを偶像として担ぎ出す。「この政策は90年代からの観光立国政策と合致して、チェグッズは土産物の目玉商品として国中にあふれ、チェ司令官を讃える歌が終日巷に流れている」と、伊高はいう。やっぱり、死せるゲバラは恐ろしい。全然死なないのだから。
(『STUDIO VOICE』2005年6月号)