フリーダ・カーロ、国境地帯で輝く
Frida Kahlo(1907-1954)

"Self Portrait on the Borderline Between Mexico and the United States"(1932)
oil painting on tin
Size: 11 3/4" X 13 1/2"
国境地帯で輝きを増すフリーダ・カーロ
テキサス州の南の町、サン・アントニオ市のメキシコ料理店ミ・ティエラ(私の土地)の一番の奥の部屋には、メキシコの著名人たちを一堂に会した大きな壁画が描かれている。
よく見てゆくと、一番右端にエミリアーノ・サパタとフリーダ・カーロが並んで立っていた。かたや20世紀初頭のメキシコ革命を先導し、農民たちのあいだで圧倒的な信頼を得ていながらも中央政府の手によって暗殺されたインディオの英雄、かたやアンドレ・ブルトンによってメキシコの「シュールリアリスト」として高く評価されながらも不遇をかこった混血(ルビ:メスティソ)の女性画家。生存中は、二人のあいだに接触はない。しかし、二人はアメリカ合衆国の南の国境地帯では、歴史的に冷遇されてきた大衆たち、とりわけメキシコ系アメリカ人の想像力の中で一つとなって息づいているのだ。
フリーダは1907年生まれだが、メキシコ市郊外の「青壁の家(カサ・アスール)」と呼ばれる家の内壁には、あえて「1910年生まれ」と書いた。1910年はメキシコ革命がはじまった年だから、それは自分が「革命の子」であるという宣言である。しかし、フリーダは夫のディエゴ・リベラの絵の中で革命の闘志として描かれることはあっても、彼女自身が残した約二百点の作品の中で、『マルクス主義は病人に健康を与えるであろう』(54年)をほとんど唯一の例外として、政治的メッセージのつよい絵は描いていない。が、ある意味で、ディエゴ以上に「革命的」な画家だったのではないだろうか。
たとえば、フリーダは、22歳のとき21歳も年上のディエゴと結婚し、壁画の製作を依頼された夫と共にアメリカ合衆国に移り住む。32年デトロイト市滞在中に、自分自身の流産と母の死という二つの悲しい出来事に遭遇する。そのとき、フリーダはベッドに横たわる自分自身の姿を描いた『ヘンリー・フォード病院』と共に、『メキシコとアメリカ合衆国の国境線上の自画像』という、非常に興味深い作品を残している。
むかって左側には雲からなる太陽や月、ピラミッドや土偶や植物や根などの「有機的」かつ「土俗的」なメキシコの表象が、そして右側には窓のないビル群や煙突から煙をはく工場などの「無機的」かつ「近代的」なアメリカ合衆国の表象がちりばめられ、その真中にピンクの長いドレスを着てフリーダ自身が立っている。
一見この絵は、産業資本主義のアメリカ合衆国を否定して、光と大地と緑にあふれるメキシコを謳歌しているかのようである。だが、絵の中のフリーダの手に注目してみると、この絵が決してそんな単純なものでないことがわかる。長いレースの手袋をはめた手は交差され、いっぽうにメキシコ国旗を、他方に見逃しそうなほどに小さな煙草を一本もっているのだ。つまり、フリーダは聖母の国のマッチョな男たちをいっぽうでは喜ばせるような身振り(メキシコ、万歳!)を見せながら、他方では彼らの眉をしかめさせる身振り(家父長制度が女性におしつける「性的な役割」などには囚われないぞ!)をそっと示しているのである。
そうした複雑な心理こそが、フリーダの絵の真髄である。彼女は18歳の時に交通事故によって脊椎と骨盤をやられ、生涯石膏のコルセットを放せず、30数回にわたって手術を繰り返し、たびたびベッド上での生活を強いられた。そうした物理的な拘束を、自己を見つめることによって、自己を描くことによって克服しようとした。
フリーダの妹にまで手をだし女癖のわるかったディエゴへの怒りや執着も、またイサム・ノグチやトロツキーをはじめとする男性遍歴による喜びや悲しみも、70点以上におよぶ自画像の一つひとつにつぎ込まれている。どの自画像にも、彼女の太く繋がった二つの眉とうっすらと生えた口ひげが描かれているが、何よりも特徴的なのは、そのまなざしだ。喜怒哀楽のどれとも呼べない、相対する感情がすべて注ぎこまれたような、静謐かつダイナミックな彼女の目がそこにある。
メキシコとの国境地帯において、フリーダの肖像は輝きを増す。なぜなら、「アメリカ」と「メキシコ」という、二つに分断されたアイデンティティを生きるメキシコ系の人々たちにとって、あの複雑なまなざしをした、自画像の中のフリーダこそ、自らの姿にほかないからだ。
* * * * *
識者のことば
(1)フリーダの絵の多義性について("Four Inhabitants of Mexico" 1938)
"For all her love of her native land, Frida has painted a highly ambivalent view, identifying Mexico's sufferings with her own."(Herrera 17)
(2) 「死者の日」の骸骨
"The grimacing skeleton, a large version of the small ones Mexican children like to dandle and bounce during the Day of the Dead, signifies "death: very gay, a joke," Frida said. (Herrera 17)(3)「革命家」の藁人形の多義性""The Mexican skull, probably relating to the skulls that often lined the stone walls of Aztec temples, is a life-sprouting-from-death metaphor that appropriately complements the vegetation."(Helland 399)
"Behind teh skeleton, in the middle distance, is the straw man, perhaps a revolutionary bandit like Pancho Villa, wearing a hat and cartridge belt and riding a straw burro. He suggests a fragility, and pathos in Mexican life, a poignant mixture of poverty, pride and dreams. Frida said that she put him in her painting "because he is weak, and at the same time has such elegance and is so easy to destroy." (Herrera 18)(4)国家の歴史と個人史
"It is an odd vision of Mexico, for it suggests that the nation's inhabitants-made of papier-mache, straw, and clay-are the ephemeral survivors of a terrible history. Yet these objects had a personal significance for the mature Frida; like the monkeys and other pets with which she surrounded herself, they were to her a kind of family; they offered familiar comfort in a world that felt void .(Herrera 18)(5)なぜ自画像なのか? 内面の不安・動揺を隠す仮面として。
"Frida would choose to paint her own face always as an impassive mask to hide the disquiet within." (Herrera 20)(6) コロンブス以前時代のメキシコ表象:彫刻(「国境上の自画像」における)
"The sculpture on the Mexican side of the picture typically pre-Columbian. In fact, the standing piece at the lower left is like many of the pre-classice sculptures found near Monte Alban in central Mexico (dating from ca. 500 B.C.). The squatting figure to the right is a pastiche of the crouching figures in Aztec sculpture or of the kneeling death goddess who wear skulls or had trophy necklace.... (Helland 399)(7)アステカ表象:ピラミッド、太陽、月(「国境上の自画像」における)
"The temple, the blood-drenched sun, and the moon, all suggesting the Aztec practice of ritual sacriface, are deliberately rendered in a"primitive" or "native folkloric style" similar that found on retablos, the traditional Mexican paintings of miracle collected by Kahlo." (Helland 399)
(8)フリーダの絵に頻出するアステカ表象:骸骨、心臓、コアトリクエ(蛇のスカートをはいた女神)
"Thus, the skeletons, hearts, and Coatlicue, images relating to the emanation of light from darkness and life from death, speak not only to Kahlo's personal struggle for health and life but to a nation's struggle.(Helland 398)レタブロ(奉納絵)の手法
メキシコの教会に行くと日本の絵馬に似た、金属板に描かれた奉納絵が掛かっているのを見かける。それは日本の絵馬と違い、災厄から救われた後に謝辞を書き込んで献納するもので、手術や交通事故、崖崩れの瞬間などが描かれている。それはどれも凄惨な場面であるはずなのに、不思議に生々さはない。あまりに稚拙な画法によるのか、画面の左上の天空に必ず描かれる救い主、聖母マリアによるものか、あるいはそれがすでに救われた後の報告であるからか、肉体の苦痛をテーマとしながら、そこにはつき離した眼と一種のゆとりのようなものまで感じられて、現実を描きながらそれは超現実の世界となっている。(堀尾113-114) フリーダは、当時、画集やディエゴを通じてヨーロッパのあらゆる絵画上の流派を知り、美術への造詣は深かった。しかし、彼女は自分の肉体の苦痛あるいは夫から裏切られた苦悩を描く時、あえてメキシコの民衆に伝統的に伝わるレタブロの手法をとり入れた。(中略)鮮やかな色彩と素朴で直接的な描法は、フリーダの内面の苦痛を際立たせ、しかもそれはお祭りの時の仮面のように苦渋を隠してユーモアで笑いとばすような粗野なヴァリタリティをも感じさせる。それはそのままフリーダの、自分の苦痛に対する態度でもあったろう。(堀尾 114)参考文献
ケッテンマン、アンドレア『フリーダ・カーロその苦悩と情熱』(タッセン・ジャパン2000年)
小柳玲子編『夢人館3 フリーダ・カーロ』(岩崎美術社 1989年)
堀尾真紀子『フリーダ・カーロ――引き裂かれた自画像』(中公文庫 1999年)
Helland, Janice. "Aztec Imagery in Frida Kahlo's Paintings," Women's Art Journal 11(Fall 1990/Winter 1991):8-11.
Herrera, Hayden. Frida: A Biography of Frida Kahlo. 1983. New York: Perennial,2002.
Homepage: http://www.fridakahlo.it/
リンク
フリーダ・カーロとその時代展(日本語) http://www.tokyo-np.co.jp/event/bijutsu/frida/
映画「フリーダ」の公式ページ(日本語) http://www.frida.jp/
フリーダ・カーロ略年譜
1907年 6月6日メキシコ市郊外のコヨアカンにある「青壁の家」で生まれる。
1910年 自分を「革命の子」と規定し、この年に生まれたと主張。
1913年 ポリオにかかり、後遺症として右足が不自由に。
1925年 18歳。バス事故で手すり棒が子宮を貫通。骨盤と脊髄をやられる。
1929年 メキシコ画家ディエゴ・リベラと結婚。
1932年 デトロイト滞在中に母の死亡。自身の流産。
1933年 中絶。リベラと実の妹の情事発覚。翌年別居。
1934年 イサム・ノグチと情事。
1937年 トロツキーとの情事。
1938年 ブルトン主催の『メキシコ展』のため、パリへ。
1946年 椎骨接合手術。大量の鎮静剤服用で幻覚症状。
1950年 骨の移植手術が細菌感染症を誘発。
1953年 壊疽にかかった右足切断。自殺未遂。
1954年 7月13肺塞栓症のため自宅で死亡。
1958年 フリーダ・カーロ美術館開館。
(『ハイファッション』2003年8月号)