第8回
ボーダー音楽(2)



 

イーストLAの褐色のマリア

ロサンジェルスのダウンタウンから東のボイルハイツ方面へと車を走らせると、初めてなのに、 なぜか何度か来たことがあるかのような、懐かしい感覚にとらわれる。まるであちこち放浪している鮭が、 うっかり生まれ故郷の川に帰りついてしまったかのような・・・。

メキシコ移民を中心にしたこのラテン地区は、一見「劣悪な地区」であるが、 映画『アメリカン・ミー』や『ブラッド・イン、ブラッド・アウト』などの舞台と して使われたこともあり、サンタナの最近のヒット曲「マリア、マリア」でも歌わ れたこともある。犯罪が多く、メキシコ系二世の不良少年グループ同士の抗争が絶えず、 ときにはピストルやナイフによる殺傷事件まで、ひきおこす。
と同時に、「ズート・スート」という、丈の長い背広を着こなし、スポーツカーを乗りまわす メキシコ系マフィアのスタイルを生みだしたのも、「オラレ(いいぜ)」「エセ(OK)」といった ストリート系のスペイン語を創造したのも、そうした不良たちであることを忘れてはならない。

太陽が西に傾くころ、小型トラックを改造した屋台がイーストLAの街かどに出現する。 つぶれたガソリンスタンドやカーディーラーの空き地が、いつのまにか臨時のタコスショップに変身をとげる。 照明は暗く、飾り気もなにもない。それなのに、まるで砂漠に咲いた色鮮やかな花のように、 その剥き出しになった生の息吹きに誘われるかのように、人びとがやってくる。

そう、新大久保のコーリアンタウンの焼肉屋の煙を想いだしてほしい。 あるいは、メキシコシティの地下鉄のどの駅でも、階段をのぼったら、 その先に必ずあなたを待っている屋台の湯気と煙を。 
もちろん、立ち食いスタイルである。注文をとる女主人はバイリンガルおばさんだが、 家族やカップルでやってきた客たちのほとんどは、スペイン語で注文したあと、 店のトラックのかげで何やらひそひそとしゃべっている。腹いっぱい食ったら、家に帰ってアレしようか。 うん、何回もしようね、とかなんとか。

昼間のあいだに、ひとりでイーストLAの街なかをあちこち探索した。
ハイスクールの建物の横壁やコンクリートフェンスに、メキシコ移民の人びとの過去と現代と未来を一緒くた にした大きなグラフィティ・アート(落書き芸術)が描かれている。 「落書き」といはいえ、色鮮やかなペンキをつかって描かれた壁画には、自らのアイデンティティ (メシカ文化にルーツをたどる)に誇りをもち、子供に教育(読み書きとコンピュータ技術)をほどこし、 コミュニティに平和をもたらそう、という立派なメッセージが読み取れるようになっている。 美術館の中に上品に鎮座するのではない、リベラ、オロスコ、シケイロスといったメキシコ壁画運動の 伝統につらなる民衆のための壁画だ。それでも、ぼくにはちょっと気がかりなところがある。

この地区のメキシコ料理店やトルティーヤ店の外壁には、「グアダルーペの聖母」が描かれている。 聖母が身にまとう服の色は、緑だったり青だったり赤だったり、とまちまちだが、顔の色は褐色で、 首を右下に傾げ、両手を胸の前であわせ、女陰を連想させる後光につつまれていることなど、宗教的イコンとしての特徴は、 どの絵にも共通しており、一目でそれとわかる。
この褐色のマリア、混血の国の守護神として、本国メキシコではカトリック教会の中にひっそりおさまっているが、 この移民の街では、いたるところに顕現し、執拗に存在を主張しているかのように見える。

ハイスクールのグラフィティ・アートにしろ、グラダルーペの聖母の壁画にしろ、自己のアイデンティティの よりどころをアステカ文明・メシカ文明にたどる単純なメキシコ民族至上主義がすこし気になる。というのも、 それはアングロ白人文明への強力な対抗力にはなりえても、同じコミュニティに住む非メキシコ系の住民たちを 排斥する力ともなりうるからだ。そこにはメキシコ以外の中南米からの移民は? カンボジアをはじめとする アジアからの移民は?といった発想は見られず、ひたすら、メキシコ移民だけを特権化している。
そういう意味で、マルチリンガルの歌手リラ・ダウンズの存在は注目に値する。彼女はアメリカ人の父と、 メキシコの先住民の血をひく母とのあいだに生まれた混血児で、デビュー作『ラ・サンドゥンカ』以来、 英語やスペイン語の歌だけでなく、メキシコ南部の先住民たちの詩をオリジナルの言語(ミクステカ、サポテカ)で歌ってみせる。 先住民の伝説をとりいれた「泣き女」や「生命の樹」や「木、黒い山」などの歌を通じて、 ダウンズがめざすのは単純なメキシコ回帰ではない。相反する文化を内在させたボーダーの移民の声をこそ、代弁するのだ。

「青い砂よ」

青い砂よ
あなたはどこからやってきたのか?
昨夜降った雨が
あなたを解き放った

あなたはキューバの女?
いいえ、キューバの女じゃありません
あなたはハロチャの女?
いいえ、ハロチャの女じゃありません
できれば、あなたはなんになりたいのか?
わたしは蝶です

アメリカ先住民やアフリカ奴隷の女の肌の色だけを見て、 その人のアイデンティティを単一の民族やエスニシティに還元しようとする支配者層(白人、クレオール、男性)の カテゴリゼーション(別称「オリエンタリズム」)の欲望に対して、 国家や民族や男女の境界線をひらひらと行き来する自由を獲得したい。 そんな願いをこめた、先住民の母とヨーロッパ系の父のあいだに生まれた混血児リラ・ダウンズの汎大陸的ノマドの歌だ。

LAダウンタウンのアトリエ


Sergio Zenteno(セルヒオ・センテノとその作品)

イーストLAに取材にいくと話したら、友人Uの顔が一瞬くもった。 聞けば、かつてかれ自身取材にいったことがあり、交差点で車を停めたとたんに、 何者かにいきなりフロンドガラスを叩き割られたという。ぼくはちょっと不安になって、でも、どうして? と訊く。 だけど、友人はただ、夜中の2時ごろだった、としかいわなかった。

いま、ぼくはダウンタウンの近くのエコパークという地区を走っている。友人が真夜中の急襲にあった時刻には、 まだ2時間ほど早いが、通りには、車の往来がほとんどなく、明るいのは、オールナイトでやっている セルフサーヴィスのガソリンスタンドぐらいだ。ふと友達の言葉が頭をよぎる。交差点で停車などしたくない。 信号よ、赤になるなよ。そう祈りながら、この地区で家賃の安そうな倉庫を改造したスタジオ兼アトリエを持っているszを たずねにいくところだ。

szことセルヒオ・センテノは、メキシコの国境の町ティファナから車で2時間ほど南にいったところにある エンセナーダという海岸町で、1955年に生まれる。10歳のころに家族とともに、LAに移民。大学では哲学と芸術を専攻した。 セルヒオは、自分のことを、「多領域アーティスト」とか「メディア横断アーティスト」と呼ぶ。 絵画、音楽、パーフォーマンス、写真、フィルム製作、プロのDJ、とひとりで何役もこなす。実に多芸である。 というか、あまりに多方面に創造のベクトルが向きすぎて、収集がつかなくなっているようだ。 「オレをひとつの方向に導いてくれる、有能なマネージャーが必要だよ」と、かれはいたずらっぽく笑う。

しかし、それぞれの領域でセルヒオが創りだす作品は、かれがロスにやってきて以来身をもって体験してきたであろう メキシコと米国の文化衝突を決して生のまま表現していない。むしろ、本質的なものだけを残して、 これ以上は削ぎ落とせないというところまで切り詰め、長い熟成の時間をかけただろうと思えるくらいに洗練されている。

「生まれはメキシコだけど、わざとらしいアステカ族の格好はできない」と、セルヒオはいう。 イーストLAの街角の壁画などにみられるメキシコの中世のメシカ文化に自己のルーツをたどるような、 わかりやすい政治性は、かれの芸術作品にみられない。もちろん、生粋の米国の都会ッ子にもなれない。 しかし、絵でもフィルムでも、高度に洗練された西洋的なタッチの中に、どこか西洋的な価値観に疑問をいだく土俗的な視点というか、 死や悲しみや憂いを連想させる目がつねに存在する。

セルヒオの部屋には、音楽の機材をつんだJD用の舞台がしつらえてあり、 いつも何かの曲がかかっている。壁や天井には、絵画やオブジェが飾ってある。しかし、 この部屋がかれの作品の展示場というのではなくて、この部屋自体、かれの作品のひとつとみなせるところがおもしろい。 外側の窓や壁を格子縞や唐草模様にしたり、オブジェを壁に打ちつけてあったりする。 うらぶれて殺風景なまわりの風景の中でそこだけやけに楽しい雰囲気をかもしだしている。 セルヒオは80年代から90年代にかけて、ロサンジェルスやメキシコシティの小さなギャラリーで展示会を繰り返してきたが、 自分のところに個人的に足を運んでくれるのよう、このような仕事場兼スタジオを作ったらしい。

ぼくがセルヒオに興味が惹かれたのは、作品をみせてもらう前に、地域の新聞に載っていた記事によってだった。 それによれば、かれはコンピュータを駆使したデジタル・アートを創造する一方で、車での移動が大前提となっているような ロサンジェルスで車をあえてもたないという生活をしているらしかった。そんなバカな、と最初は思ったが、かれに会ってみて、 そういう条件反射こそは、ぼくが米国の消費主義的な生活をいかに無批判に受け入れてきたかを裏付ける証しにほかならない、 ということを知らされることになったのだ。

マスメディアによる広告・宣伝が人々の中に欲求をつくりだすこの消費主義の世の中で、 誰もがあこがれるような衣食住における高級な商品をあきらめること。そうすることで、 それらを買ったり維持したりするために割かねばならない時間を得ることができる、とセルヒオは考える。 「芸術製作というのは、時間とスペースがあるところで可能になる。ときには退屈でいることから何かが生まれたりするものさ」
「製作に専念するために、低家賃の部屋を借りて生活を簡素にすることが必要だった。たとえば、車をもたないとか。 車をもたないと、いきおい自分の場所にいなきゃならなくなるし、それによって、ずっと多くの作品を創り出す契機になるし」

簡素ではあるけれども、貧困ではない。成功は欲するけど、貪欲ではない。 ウォールデンの森で簡素であるが本質的な生活の実験をしたソローの思想を思わせる、 ストレスのない生き方をしている、とぼくは感じた。
見慣れた世界に新しいヴィジョンを提供するという意味でコンセプチュアル・アート風 でもあるセルヒオの絵画は、すでにメキシコの画家タマヨやキューバの画家ウィルフレド・ラムなどをさばく ディーラーたちによって目をつけられているらしい。インターネットでも、 作品は見られるし、プリントぐらいは直接買うこともできるようだ。
(セルヒオのホームページはhttp://66.34.80.205/ 問い合わせは直接メールで。sergiozenteno@yahoo.com)

 

ティファナ発のテクノ音楽

いま、ラテンアメリカ発のスペイン語ロックが熱い。現在、全米で二千二百万人以上のスペイン語を話すヒスパニック系がいて、 2020年にはヒスパニックの人口が米国の全人口の15パーセントに達し、最大のマイノリティになると予想されている。 ニューヨークには、プエルトリコ人を中心にしたカリブ海からの移民のゲットー(116丁目周辺にひろがるイースト・ハーレム)、 ロサンジェルスにはメキシコ人を中心にした中南米からの移民のゲットー(イーストLAのホイッティア通りを中心にひろがる ボイル・ハイツ地区)、そしてマイアミにはキューバ移民を中心にしたゲート−がある。 通常、スペイン語で「バリオ」とよばれるそうしたラテン地区では、すべてスペイン語だけで用が足りてしまうほどだ。 おまけに、南米には、20カ国のスペイン語をしゃべる国が存在する。もちろん、一口にスペイン語といっても、 世界中に300から600のヴァリエーションが存在するといわれるほど多種多様だが、それでも、 そうしたスペイン語の話す人たちの世界に、音楽産業が有力なマーケットとしての魅力を感じないわけがない。 米国とメキシコの国境地帯に限定して、いくつかヒスパニックの音楽の例をあげてみよう。

1999年にメキシコのティファナで生まれ、いまひそかに米国はおろか世界から注目を集めはじめた音楽がある。 メキシコ北部の伝統的な音楽「ノルテーニャ」を電子処理して、独自のテクノ音楽を創りだすグループが出現したのだ。 ノルテーニャ自体、1860年代にメキシコがフランスのマクシミリアン皇帝に統治された時代に、 当時フランスで流行していたサロン音楽やダンス音楽(ポルカ、ワルツ、マズルカ)がメキシコにもたらされ、 それがテキサス南部に住む非アングロのテハノ人(メキシコ人)の手によって独自の味付けをほどこされたものだった。 独自の味付けとは、19世紀末までに、テキサス中央部に定住したり、 北部メキシコに鉱物採掘やビール醸造の技術をもたらしたりしたドイツ人がアコーデオンをここに持ち込み、 それがここでのダンス音楽で主役の位置を獲得し、「コンフント」とよばれる楽団形式、 「ノルテーニャ」とよばれる曲想が生まれた経緯をいう。ちなみに「コンフント」というのは、一緒にとか、 グループという意味のスペイン語である。

ノルテーニャを電子処理した音楽は、ノルテーニャとテクノロジーの語頭を足して、 ノルテクNor-tecとよばれる。もともと、国境地帯の混血(フランス、メキシコ、ドイツ)のダンス曲であったノルテーニャだが、 こんどはハイテクと結びつくことによって、ミニマリスト的なポストモダン音楽として生まれ変わったのである。 事の起こりは、ボスティッチというグループがあるノルテーニャの曲のビートを電子改変したデモテープを友達にわたし、 意見を聞こうとしたことにはじまる。はたせるかな、ボスティッチの行なった実験をほかの連中も試みるところになり、 自分たちの作品をその友達へとわたして、そういう風に草の根的にひろがったらしい。かれらが参考にしたのは、 ドイツの環境音楽(ブルゲールとインクの「ラス・ヴェガス」)らしいが、ある意味でグローバルなメディアである電子音楽に、 国境地帯特有のローカルな味付けをしたところに意義がある。

おもしろいのは、この実験はミュージッシャンだけでのものではなく、 他メディアからの越境がみられることだ。グラフィック・デザイナーやヴィデオ・プロデューサーや建築家や作家なども参加していて、 大きな広がりをもったひとつの芸術活動になっているのだ。2001年に、この実験は、 記念碑的なアルバム、ノルテク・コレクティヴの「ティファナ・セッション Vol.1」として実をむすぶ。 ティファナからボスティッチ、フシブレ、イペルボレアル、クロロフィラ、パノプティカ、隣町のエンセナーダから プランクトン・マン、テレストレなどが参加している。(http://www.nor-tec.org/)

 

国境地帯のロック

  「ティファナ・ノー」Tijuana Noというロック・グループをご存知だろうか。 かれらはメキシコ国内に内在する階級差別や貧富の差といった社会矛盾を弾劾するだけではない。 かれらがターゲットにするのは、国境地帯でメキシコ人を搾取しまくる、米国や日本をはじめとする「先進国」の工場群 (ルビ:マキラドーラ)であり、メキシコ人や中南米人の安い労働力を確保することで生活の快適さを維持しているくせに、 国内が不況になると治安のわるさや大都市での犯罪を「違法移民」のせいにする欺瞞的な米国人のレトリックであり、 まるでそのレトリック自体のうそ臭さを覆い隠すためにやっているかのような、米国政府による国境地帯の警備強化などである。 かれらは、そうした国境地帯の退屈きわまりない常套句やイメージを使いながら、それを乗り越えていくヴィジョンを歌にする。 南部チアパスのEZLNをサポートしているメキシコのヒップホップ・グループ、「レイジ・アゲイント・マシーン(機械への怒り)」の 抵抗精神に通じる、ロック魂と政治性をぼくはかれらに見る。 というのも、ヒップホップ(ラップ)というのは、本来、国家や制度へノーをつきつける、 もっともアナーキーで、もっともラディカルな抗議形式であり、貧困、階級差、人種差別、性差別、さまざまな社会矛盾に牙を むく音楽だからだ。

2001年、メキシコ映画界はある映画によって久しぶりに活気づいた。イニャリツ監督の『アモーレス・ペロス』である。 メキシコシティを舞台にして、スラム街、広告業界、ホームレスと、三つの異なる世界でのエピソードを交錯させながら、 メキシコの大都市の人間群像をリアルに提示した傑作だ。イニャリツ監督にとってこれがデビュー作だが、ロック、ラップ、 クンビアなど、テーマにふさわしい音楽とミュージシャンが惜しげもなく使われているのがすばらしい。 ラテン音楽の大御所セリア・クルーズからはじまり、ロックグループのカフェ・タクバやフィエブレ、 ヒップホップのコントロール・マチェテ、イリヤ・クリアキなど、現在メキシコで活躍している最高のメンツが登場する。 なかでも、ボーダーとのかかわりでいえば、女性ボーカルのフリエタ・ベネガスを無視できない。

彼女は国境の町ティファナで育ち、8歳からクラシックピアノを学び、その後声楽や理論も勉強し、 5人の子どもの中で唯一音楽産業界に進んだらしい。22歳のときに、メキシコシティにいき、 演劇の作曲をしたりバンドをつくったりする。96年にメージャーのBMGと契約し、97年デビュー作「ここ」 を発表し、メキシコの「われわれのロック」部門賞を受賞。98年、MTVの「ベスト女性パーフォーマンス」賞を受賞。 2000年には、2番目のアルバム、「ブエンインベント(素敵な発明)」を発表。いま、メキシコでもっとも注目されている 女性歌手のひとりである。ぼくは彼女の歌い方、彼女の声を聞いて、ふとアイスランドのビョークを連想した。

フリエタのほかにも、混血のリラ・ダウンズ、ラテン風のヒップホップグループ<ノナ・デリチャス>など、 国境地帯のロックから当分、目が離せそうにない。

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Muchas Gracias a Colin Griswold, Sergio Zenteno, Evelyn Vasquez, Shige(Coyote)Suzuki y mis otros amigos para sus corporaciones.

国境地帯のスペイン語ロック、ヒップホップ、テクノ音楽

グループ名出身地 (あるいは本拠地)特徴
ノルテックNortec Collective ティファナ伝統的な音楽を電子処理してダンス曲に
ティファナ・ノーTijuana Noティファナ政治的にラディカルなロック
フリエタ・ベネガスJulieta Venegasティファナメキシコのビョーク?女性ボーカル
ノナ・デリチャス Nona Delichas ティファナ女性ボーカル中心。ポップとテクノ
アルマラファ Alamalafa メキシカリラテン風味の、プログレッシヴ・ロック
ソニオス Sonios エンセナーダ落ち着いた静かなサウンド
エマウエEmaue サンディエゴラテン風味のロック
デュカー Dukkah サンディエゴスパングリッシュのヒップホップ
カフェ・タクバCafe Tacubaメキシコシティ都会の社会問題をとりあげる
コントロール・マチェテControl lMacheteモンテレースペイン語のヒップホップ
セルソ・ピーニャCelso Pi?aモンテレアコーデオンとロックのデュオ
オソマトリOzomatliイーストLAスペイン語のヒップホップ
リラ・ダウンズLila Downs  スペイン語と複数の先住民族の言語で歌う

USAにおけるヒスパニックの人口比(1990年の国勢調査)
メキシコ系 61%
中南米系  23%
プエルトリコ系 12%
キューバ系 4%
合わせて2200万人