第7回
ボーダー音楽(1)



 

キミがプロのミュージッシャンでないかぎり、音楽は気晴らしの娯楽でしかないけど、もともとは世界各地で、宗教行事やお祭りにおけるスピリチュアルな高揚と切り離せない関係にあった。神々をたたえる歌をうたいながら踊りくるい、崇高なる存在を身近にかんじた。テキサスのサンアントニオには、信者たちのために変わった音楽を使っているカトリックの教会があると聞き、無神論者コッシ−は日曜日の教会にかけつけた。

テキサスの音楽

車でアメリカ合衆国の知らない土地をぶっとばす爽快感は、何ものにも替えがたい。
そうはいっても、どこまでも真っ直ぐの高速道路で、ただひたすら車のアクセルを踏みつづけるのは、おそろしく退屈でもある。何か単調な流れ作業に従事しているみたいで。だから、ハンドルをにぎったら音楽専門のFMラジオのスイッチをいれ、ボリュームをあげて走ろう。

サンアントニオ空港でピックアップしたレンタカーのラジオは、すでにFM92.9にチューニングしてある。スピーカーからは、「メレンゲ」と呼ばれるカリブのダンス曲が流れてくる。レンタカー会社に働くメキシコ系のメカニックの人が整備しながら聴いていたのか、それとも前にこの車を借りた人がこの放送局を選んだのか、わからない。いずれにしても、この選択はわるくない。明るく開放的な波動がスピーカーから伝わり、ハンドルを握る指たちが勝手にリズムを刻む。腰もあやしくうずきだす。

そのうち、トランペットとギターに率いられた北部メキシコ特有のメローな恋歌「ノルテーニョ」が流れてくる。この放送局は、あとでわかったのだが、「エステロ・ラティノ」という愛称をもち、歌もCMもアナウンサーのメッセージも、みなスペイン語である。

チューナーをあっちこっちいじってみると、アナウンサーのしゃべる言葉もスペイン語なら歌もスペイン語といったFM放送局が、もうひとつある。FM94.1だ。こちらは若者向けのようで、エレキギターやシンセサイザーをつかって、「ノルテーニョ」をポップ風にアレンジした「テハーノ」と呼ばれる曲ばかりを流している。僕は、グルーポ・ディビシオンGrupo Divisionという「テハーノ」のグループの「国境を越えて」Cruzando La FronteraというCDをもっているが、土臭い北部メキシコ産の「ノルテーニョ」より、テキサス産の「テハーノ」のほうが米国仕様というか、資本主義の市場を意識した作りをしている。

メキシコの国境音楽にかぎらず、沖縄の島唄でも津軽三味線でも、こういう伝統的な音楽一般にいえることだけど、単に伝統曲をポップス調に(ぬるく甘口に)アレンジして視聴者を増やすことだけに腐心するのではなく、どんどん他のジャンルに絡んでいって、伝統ジャンルの枠をおしひろげてほしい。それが「伝統」のサバイブする道でもあるのだから。

ところで、このふたつのスペイン語放送は、国境の向こうのメキシコから流れてくる電波ではない。国境地帯のこちら側、テキサスのサンアントニオ市に、スペイン語専門の放送局があるのだ。もちろん英語のFM放送局だって、10以上もある。テキサスといえば、やっぱりカントリー・ウェスタンだ。カントリーというやつは、歌詞をおっかけてみると、屈強なカウボーイ野郎のめめしく幼稚な失恋の歌だったりして、ガッカリさせられることも多い。でも、ひっくりがえった裏声で歌う、独特の歌唱法はわるくない。つい運転しながらのバックグランドミージックとして、その声に聞きほれてしまうこともある。そのほかにも、いま流行中のロックや、懐メロのロックばかりをかける放送局があるかと思えば、ヒップホップ、クラシック、オペラと、それぞれの専門放送局もあり、面白いところでは「キッス」の曲しかかけないという、FM99.5みたいな「わがまま」で(すごく素敵な)局もあるし、アナウンサーが英語で曲を紹介しているくせに、歌はスペイン語の「テハーノ」ばかりという局もあって、個性がイマイチはっきりしない日本のFM放送とは大ちがいだ。

国境のFM放送

国境がちかづくにつれて、それまで聞こえていたサンアントニオの放送局が聞きずらくなり、その代わり、イーグル・パス(米国側)とピエドラス・ネグラス(メキシコ側)の放送がはいるようになる。 繁華街のデパートの売り出しが今日から始まるという、スペイン語のコマーシャルがはいったな、と思っていると、通りの名前がどうも米国的でなく、ふとピエドラス・ネグラスの放送だとわかる。そうかと思えば、FM105みたいに、スペイン語のおしゃべりのあとで、コロンビア出身の人気歌手シャキラShakiraの英語版の曲や、最新の英語のロックをかける放送局もある。

もともとテキサスの歴史からいっても、150年前まではメキシコの領地だったわけだし、現在のボーダータウン(テキサス州)の人口比をみて、7割から9割がヒスパニック(スペイン語をしゃべる)であるという現状からも、いきおいスペイン語放送が多くなるのは当然のことだろう。最後にかかげたFM放送局一覧をみてもわかるように、8割以上がスペイン語放送だ。

こうした英語とスペイン語の共存した音楽放送を聴く楽しみは、米国とメキシコとの国境地帯をいく者だけに与えられた特権であり、ぜいたくである。確かに、FM放送にかぎっては、どこもまわしてもほとんどスペイン語ばかりなので、英語だけで世界の情報も市場も牛耳れるとカン違いしている者(米国人だけでなく、「名誉白人」であることを恥ずかしく思わない日本人もふくめて)や、KKKやネオナチみたいなアングロ白人至上主義者などは、ムカつくかもしれない。ここは一体どこだ?「アメリカ」か?と。でも、僕は、愉快でたまらない。米国の覇権主義のリーダーであるブッシュ大統領のお膝元、テキサスのなかにこんなヤバイ非アングロのエアポケットがあることが。

マリアッチの教会

よく知られているように、米国の深南部には、植民地時代からプランテーションで奴隷として搾取されつづけてきた黒人たちの教会があり、日曜日にはゴスペルソングのミサが行われてきた。アフリカ的な歌と踊りで、キリストをたたえるという一種の<ハイブリッド>な信仰だ。最近では、ニューヨークシティの話だが、ゴスペル教会だけでなく、ヒップホップのミサを行なう黒人教会もでてきた。

さて、サンアントニオには、メキシコの音楽隊が日曜日のミサを執り行っている教会があると聞いた。ゴスペル教会なら、日本のテレビでも紹介されたことがあるが、マリアッチの教会となると知らない人が多いだろう。

日曜日のたびに、マリアッチのミサが見られるのは、ミッション・サンホセ教会というカトリックの教会である。サンアントニオのダウンタウンからハイウェイ37号線で南にくだり、20分たらずでつく。
驚いたことに、マリアッチのミサを執り行うのは、神父さんではなくて、民間人である。ヘラルディンという名の、ちょっと恰幅のいい女性で、'80年から前任者の母の後を受けて、ミサを仕切ってきたという。母娘で合せて33年間、この教会でマリアッチのミサをとり仕切ってきた。

ヘラルディンは、歌手もふくめると、20人以上はいるマリアッチ隊に合図を送るだけでなく、自分でもギターを弾きながら自慢のメゾソプラノを披露し、スペイン語による讃美歌をリードする。その声はやや太く、教会内によくひびく。最初、僕は一番後ろの二階のバルコニー席から見ているが、いったん外に出て、前方の傍の入口からマリアッチ隊のそばまでいく。ミサのはじまる前に、神父さんが外で並んでいるミサの参加者に出身地を聞きにきたので、僕はあらかじめ写真撮影の許可をもらっておいたのだ。

布教のためのミッション教会

サンアントニオには、このようなミッション教会が5つ(テキサス州全体でも6つ)もある。ミッション教会とは、新大陸の先住民たちへの布教のために建てられた教会のことで、厳しい環境のもとで先住民のインディアンたちに生活の技術(工芸品や家具づくりや灌漑農業)を教えこみながら、キリスト教への改宗を試みた宣教師たちの根城のことである。たいていは、生活の場所と軍隊支援の場所としての機能をそなえ、砦のようにぐるりと石塀がめぐらしてある。

いま、簡単に歴史をおさらいしてみると、カトリック教会が新大陸へと歩を進めたのは、わりと早かった。ヨーロッパでの宗教改革の実践をあきらめた新教徒プロテスタントが新天地をもとめて、北米の東海岸(現在ニューイングランド地方のマサチューセッツ州)にやってきたのが、1620年のことであるが、カトリックのほうは、すでに100年以上も前に南のカリブ海のほうから新大陸にきていた。布教の先鋒をなしたのが、探検隊に同伴した従軍牧師たちである。16世紀のはじめには、いまのニューメキシコやアリゾナのあたりに、フランシスコ会の修道士たちが探検隊と一緒にやってきて、インディアンと接触をはかった。

このとき、先住民はふたつの危機にさらされたのだ。カトリックの宣教師から魂をねらわれ、探検隊から金銀の物品をねらわれた。1521年に現メキシコシティにあったアステカ帝国をほろぼしたスペイン人たちは、「黄金郷(ルビ:エルドラド)」伝説に魅せられて北へと探検隊を繰りだしたが、宣教師たちも負けじとメキシコ中央部から北の辺境へとむかった。

布教のルートには、おもに三つのルートがあったといわれている。ひとつは、現在のメキシコの太平洋岸を北上して現在の南アリゾナあたりにたどり着くルート。これは、当時結成されたばかりのイエズス会が通った。イエズス会の修道士は、自分たちだけの連隊を組み、先住民の言語を学んだり、先住民と交流をはかったりして、スペインの軍隊にはそれほど依存しなかった。いい換えれば、スペイン国王よりもローマ法王に忠義をたてていたといえる。それがしばしばスペイン国家との軋轢をうみ、ついに1767年に国王によって新大陸からの追放を命じられ、イエズス会は新大陸における布教の可能性を絶たれてしったのである。

そのほかのふたつの北上ルートは中央と東にあたり、フランシスコ会の宣教師がたどった。現在のニューメキシコや北アリゾナやテキサスに通じるルートである。フランシコ会は、イエズス会とちがいスペイン政府の代役も果たしたので、プエブロ・インディアンやピマ・インディアンをはじめとする先住民の「反乱」にも数多く遭遇することがあった。先住民からすれば、「反乱」ではなく、ヨーロッパ人の侵略・同化政策に対する「抵抗」だったのだ。インディアンがカトリック教徒に改宗しても、信仰はインディアン風に改変された。キリスト教の儀式や信仰は、すでにあった先住民の信仰の中に繰り込まれ、とけこまさざるをえなかった。ミッション・サンホセ教会のとなりにある記念館でみたヴィデオでは、ここのキリスト教が、インディアンの神秘的な先祖信仰と唯一神信仰が奇妙に習合した<ハイブリッド宗教>であることを訴えていた。

メキシコがスペインから独立すると、1834年には教会と国家は切りはなされることになり、説教師は追放され、教会の土地は競売にかけられ、それまでの特権をうしなう。180近くあったミッション教会のうち、現存しているのは約半数しかない。メキシコ国内のミッション教会はそのまま使われたが、米国のそれがリバイバルを果たすのは20世紀のことである。

抵抗のミサ

神父さんの挨拶によれば、教会にぎっしりつまった出席者の2割ぐらいが地元の信者で、あとの8割は観光客のようだ。神父さんによって州ごとに国ごとに紹介されるたびに、参加者が立ちあがって皆に手を振る。まるでスポーツの祭典のようだ。さすがに日本から来ているのは、僕だけだ。

ミサは、神父さんが事務的な用件(どこそこの赤ちゃんが今日洗礼を受けるとかいった)を簡単に説明したり、信者への祝福をおこなったりするが、主役はやっぱりヘラルディン率いるマリアッチ隊。かれらの伴奏による讃美歌の合唱がメインなのだ。

いきなり、僕は隣りのマリアッチじいさん(この人は歌専門)に手をにぎらる。まさか、と思いつつ、手をにぎられたまままポカンとしていると、全員が起立して手と手をつなぐ。そして、みなで体を揺らしながら、ヘラルディンの指揮に合せて讃美歌の合唱となった。宗教にありがちの権威臭さがないのである。楽しいのだ。こんなにユカイなら、オレもカトリックになろうかな、というナイーブな声がつぶやく。しばらくして、いやいや、いっときの感情に左右されるのはよくないぜ、と皮肉な声がささやく。

そのうち、寄付金をいれる容器がまわってきて、僕はズボンのポケットにしまっておいた紙幣をうっかり額もみずに二、三枚その中にままつっこむ。ケチな奴だと思われたくないからね。それを見ていた隣りのマリアッチじいさん、あとで、おまえは善良な奴だ、と僕にささやく。僕は自分ではそんなに善良な人間だとは思っていないが、マリアッチじいさんに気に入ってもらえたのは、うれしい。

このようなマリアッチ教会は、メキシコシティにはない。やっぱりテキサスならではのものである。なぜなら、故郷を失った黒人奴隷が白人の主人の神様をたたえるさいに、アフリカのリズムと踊りをつかってキリスト教を異化してしまったように、一五〇年ほど前の不合理な条約(グアダルーペ・イダルゴ条約とガズデン購入)によって故郷を失ったメキシコ系米国人たちもまた、甘くけだるいマリアッチのメロディーをつかったスペイン語の讃美歌をうたうことで、カトリックのローマ法王の権威からも、アングロによる白人至上主義の抑圧からも逃れる術と魂の拠りどころをみいだしたのだから。

参考文献

Giffords, Gloria. Spanish Colonial Missions, Southwest Parks and Monuments Association.
Martinez, Oscar J. Border People: Life and Society in the US-Mexico Borderlands. U of Arizona P, 1994.

国境地帯のFM放送局リスト(イーグル・パス編)

FM87.7  スペイン語放送  歌はなし(おしゃべりのみ)
FM88.7   英語放送    英語のカントリー・ウェスタン
FM89.5   スペイン語放送  スペイン語のロック
FM92.7 英語放送     英語のハードロック、懐メロ
FM94.5(PN) スペイン語放送  スペイン語のラテン系ダンス、ノルテーニョ
FM99.1(PN) スペイン語放送   スペイン語のテハーノ  
FM99.9   スペイン語のラテン系ダンス、スペイン語のロック
FM102.5  スペイン語    スペイン語の恋歌<カンシオネス>
FM105.5(PN)スペイン語放送 英語のロック、スペイン語のロック
FM106.3(PN)スペイン語放送 スペイン語のノルテーニョ、テハーノ
FM107.1  スペイン語放送  スペイン語の恋歌<カンシオネス>
FM107.9  スペイン語放送  スペイン語のテハーノ、ラテン系ダンス
*PNはピエドラスネグラスの略。メキシコの放送

米国におけるミッション教会クロニクル

1919年―1921年 スペインによるアステカ帝国征服
1524年 12人のフランシスコ会修道士、新大陸に
1539年 マルコス・デ・ニサによる「シボラの7つの都市」(黄金郷)の話
1598年 ニューメキシコにおける最初のミッション教会
1619年 ソノラ(アリゾナの南)における最初のミッション教会
1680年 ニューメキシコで、プエブロ・インディアンの「反乱」 テキサスにおける最初のミッション教会
1695年 ソノラで、ピマ・インディアンの「反乱」
1696年 ニューメキシコにおける二度目のプエブロ・インディアンの「反乱」
1697年  バハ(現メキシコ側)における最初のミッション教会
1751年 ソノラにおける、二度目のピマ・インディアンの「反乱」
1767年 イエズス会宣教師、新大陸から追放される
1768年 カリフォルニアにおける、最初のミッション教会
1821年 メキシコ独立
1834年 メキシコにおけるミッション教会の民営化secularization