越川芳明
抵抗者の<アイコン>の商品化
ゲバラの激烈な生と死が露呈させたものは世界の南北問題の深刻さだといえるだろう。批評家の太田昌国はこれまで、ペルーのフジモリ政権下での人質問題をはじめ、現代にいたるさまざまな南北問題を真のジャーナリストの反骨精神で粘りづよく論じてきている。時代風潮にながされないという意味で、数少ない信頼できる批評家のひとりだと思う。
そうした南北問題には無頓着なくせに、ゲバラだけを<英雄>として称えるのは、自己矛盾をはらむ歴史の一コマを単純化することに他ならない。あたかも自動車のガラスに黒い遮光膜をはるみたいに、歴史的、社会的、政治的な内実を覆いかくす行為に等しい。太田は現代日本のご都合主義的な政治や政策を批判するために、ゲバラの顔にはられた遮光膜をはがそうと試みる。それが最新の著書『ゲバラを脱神話化する』(二〇〇〇年)である。
この本に触れるまえに、そもそも神話的なゲバラ像を簡単におさらいしておきたい。メキシコの学者ホルヘ・G・カスタニェーダは、定評ある『ゲバラ伝』(スペイン語版一九九七年、英語版一九九八年)で、体制への「抵抗者」という<アイコン>に祭りあげられたゲバラについて、そうした「神話作用」が三つの世界的現象に関連しているといい、ゲバラ神話は六〇年代という「反乱」の時代の産物だったと結論づける。
三つの歴史的現象とは、キャーバの独裁政権の転覆であり、米国や西ヨーロッパの産業資本主義の国々での「学生運動」であり、チェコに侵略したソ連をはじめ、既成の社会主義への若者たちの反抗である。その時代、世界の若者たちは自分たちの反抗や抵抗をキューバ革命になぞらえ、ゲバラの肖像をあしらったTシャツやポスターを奉ったが、とりわけ六七年のゲバラの死が神話創造を決定的なものにした。権力に立ち向かう英雄的な<抵抗者>のゲバラ像が決定的になったようだ。
カスタニェーダが鋭いのは、ゲバラによって唱えられた<新しい人間>というスローガンの実質がゲバラ神話から抜け落ちてしまったことを突いている点である。なるほど、個人の自発的なボランティアによって社会を築くことをめざしたゲバラは、そのスローガンをみずから実践した。だが、ゲバラ神話には、最初からスローガンとしての<新しい人間>とゲバラ本人との混同があった。ゲバラの<ペルソナ>が単純化され、人々を抑圧するイデオロギーと化すモメントをはらんでいた。革命を成就し体制を確立したキューバ共産党がゲバラ神話を<神の声>と教え込むことで、それが抑圧装置として働く可能性があった。カスタニェーダは、そのようにゲバラ神話が諸刃の剣であることを示唆している。
さて、太田はこうした歴史学者風の分析にとどまることなく、ゲバラ神話が美化しかねないキューバ革命軍を批判しさえする。キューバやコンゴでの「国際主義」の実践にかつて感じた心の鼓動を否定しないといいながら、太田は軍隊が恒常化することの危険性を説く。が、太田の舌鋒の影にあるのは、日本の自衛隊の存在である。
「だが、と今の私は思う。ゲリラ=反乱軍や革命軍や国際主義者軍が、ある限定的な時代において必然的な役割を果たし得たとして、軍隊そのものをいっときのものとして「消滅」させていく志向性が、そもそも革命の本質にあるのではなかったか、あるべきではないか、と」(『ゲバラを脱神話化する』)太田は革命軍であれ、自衛隊であれ、軍隊は消滅させねばならない、という意見を述べるのだが、雑誌のゲバラ特集やゲバラ本の刊行もふくめて、最近の日本におけるゲバラグッズの流通に関して、興味深い感想をわたしにもらしたことがある。
一言で要約すれば、こうなる。Tシャツをはじめとして、ゲバラがポップな<アイコン>として資本主義社会で商品化され流通されることをいちいち批判するのは無意味だ、歴史を知るための入口はどんな形でもいいのでないか。そう太田はわたしにいった。太田の意見は過激である。なぜなら、現在のハイパー消費主義という怪物にゲバラが食われ尽くすことで、逆にゲバラの魂(アンチ資本主義の心情)が人々の心の中に入りこむ、といった逆説を説いているように思えるからだ。
頭の中ではそう思うものの、わたしはポップなゲバラ像をディズニーキャラクターのように売りだす姿勢を素直に喜べない。日常の消費活動と結びついた伝説づくりへのわたしの違和感は、直感的というか生理的なものだ。わたし自身のそうした違和感が果たしてどこからくるのか、このエッセイで論じてみたい。
ノマディックな意志
ゲバラが十代の頃にとり憑かれていたのは、革命ではなく放浪だった。わたしたちが放浪するゲバラに魅せられるとすれば、一箇所にとどまらないその身軽さにある。
苦労して作りあげた財産も人脈もすべてリセットして、旅に出る。人々はその身軽さにこそ惹かれ、そして憧れる。
革命などとはまったく関係のなかった頃の青春日記の中で、ゲバラはこう書く。
「ありとあらゆる片隅をかぎ回りながら、しかしいつも飄々と、どこの土地にも根を下ろすことなく、何かの本質を見極めようと立ち止まることもなく。僕らには表面だけで十分だ」(『モーターサイクル南米旅行日記』)こうしたゲバラの文章を読んでいてハッとさせられるのは、単にゲバラが旅の身軽さを身につけているだけでなく、自分はものの表層だけでいいのだ、といい切った、そんなゲバラの潔さだ。
というのも仮に「漂泊の文学者」を自認する作家や詩人が、あなたはうわっ面だけをなぞっているだけじゃないか、と非難されたら、どうだろう。おそらく、野坂昭如や嵐山光三郎みたいに軽薄調を自分の専売特許としている作家でないかぎり、顔を引っぱたかれたかのような屈辱感を味わうか、怒りにうち震えることだろう。
だが、ゲバラはあたかも自分が軽薄に生きると宣言するかのように、うわっ面だけでいい、というのである。アルゼンチンにとどまれば、医者の地位も得られただろうし、安穏に暮らせたはずなのに、なぜそういう安定や地位をゲバラは棄てたのか? あるいはキューバ革命後、なぜ政府の要職や家族を棄てて、ゲバラはキューバを離れたのか?
従来の英雄的ゲバラ像では、おそらく「革命の意志に燃えたからだ」というような分かりやすい、ありきたりの理由に還元されてしまうだろう。が、ここではゲバラの「軽薄な」放浪癖と関連させて考察してみたい。
ゲバラ死後三十年を記念して作られたドキュメンタリー映画のひとつ『チェ・ゲバラ 伝説になった英雄』(一九九七年)を見てみよう。この映画は冒頭から、ゲバラを『路上』の著者ジャック・ケルアックや、「風の靴を履いた」ランボーに喩えることで、ゲバラを「漂泊の放浪詩人」という<ペルソナ>に仕立てようという意欲が感じられる。
もちろん、隊列から離れて、ひとり分厚い本を読んでいるゲバラの写真は、コルダの写真集などによっても、一般によく流通している。ジャングルの野営で半裸のまますわって『夜も昼も』というタイトルの本を読んでいたり、カリブ海に釣りにでかけたボートでなにかの文学書を読んでいたり、あるいは寝台に寝そべり葉巻をくわえながら、分厚いゲーテの本を読んでいたり。
そうした「漂泊の文学者」のイメージを決定的にしたのは、チリの詩人パブロ・ネルーダの説得力のある言葉だ。ゲバラは、キューバのシエラ・マエストラでゲリラ戦にいどみながら、解放区をつくり、ラジオ放送を始めたり、手工業で兵器をつくった。そうした手作りの行為と戦闘行為とは、なんらゲバラの中では矛盾しなかった。一人の人間の中に非情な<戦闘家>と内省的な<芸術家>とが共存していた。これこそ、ネルーダが自分自身の姿を重ね合わせて作り出したゲバラ像だ。ネルーダは、初めてキューバでゲバラに出遭ったときのことを、次のように回想する。
「チェ・ゲバラは長靴をはき、戦闘服を着て、腰には拳銃をもっていた。その服装は銀行の環境には不釣合いだった。(中略)私の本『大いなる歌』についてかれがいったことが私を大いに喜ばせた。シエラ・マエストラでは、夜になると、彼がゲリラ兵士たちにこの私の本を読んでやるのが彼の習慣だった。あれからもう何年もたったが、彼の死に際して私の詩もまた彼に付き添ったのだと考えると、身震いする。私はこのことをレジル・ドブレから知ったのだが、ボリビアの山中で最後の瞬間までリュックサックの中に保存していたのは二冊の本だけだったという。数学の教科書と『大いなる歌』だった。(中略)私がいまなおチェ・ゲバラのうちに見つづけているのは、英雄的な戦いの中にあっても、つねに武器のかたわらに詩のための場所を用意していたあの瞑想的な男なのである」(『ネルーダ回想録』)わたしは、ネルーダの力づよい言葉に後押しされて、最後まで「放浪」を貫いた詩人といった格好いいゲバラ像を額に入れて飾っておきたい誘惑にかられる。
ちなみに、さきほど名前を挙げたドキュメンタリー映画のひとつのハイライトは、キューバの工業大臣に任命されたゲバラが、演説台の前に立ちネルーダの詩を引用するシーンだった。
「ぼく自身の詩でないので、正確な文言でないかもしれないけど」と、ゲバラは恥ずかしそうに弁解しながら、大地で汗して働く労働の大切さを詩によって的確に伝えようとする。「これまで誰も 鍬で太陽のリズムを変えた者はいない 愛と美しさで 実った穀物を刈った者もいない」と。
だが、わたしは直感する。だれもが納得するそうした静的なイメージにゲバラを閉じ込めたいという誘惑の種子は、おそらくネルーダ自身の言葉が意図した以上に、美味そうな実を結びそうにない、と。
だから、むしろそれとは対照的な小さな種子に注目してみよう。
それは、イギリスの作家ブルース・チャトウィンが「ノマドの可能性」と名づけた、放浪をめぐる仮説だ。サハラ砂漠への旅をきっかけに、チャトウィンはなぜ自分がつねに旅への焦燥にかられるのか、なぜ自分の腰が一箇所に落ち着かないのか、といった素朴な疑問にとり憑かれる。中央アジアに端を発する遊牧民たちの移動の考察や、オーストラリアのアボリジニたちの目に見えない「ソングライン」を再確認する旅に関する考察をへて、さらには膨大な数におよぶ古の著作物を読みこなすことによって、チャトウィンは人類の本質をめぐる、ある仮説にいきつく。
それを一言でいえば、人類の起源は砂漠にあり、という大胆きわまりない意見だ。砂漠こそ少ない資源を共に分かち合う知恵を人類に与えてくれたのだ、というのだ。したがって、一箇所に定住し、家族であれ民族であれ国家であれ、それらのためにさまざまな境界や囲いをつくり、自分たちの財産をまもるべく争いを繰り返すのは人類の本質に合わないのではないか、とチャトウィンは考える。そこから、「人類は放浪するために生まれてきた」という大胆な結論を導きだすのだ。チャトウィン自身の言葉を引用してみよう。
「われわれの身体構造は、脳細胞から爪先まで、イバラのやぶや砂漠地帯を周期的に徒歩で移動する生活に合うように、自然淘汰されてでき上がったものなのだ。もしそうなら、もし砂漠が人類の故郷なら、もし人間の本能が過酷な砂漠で生き抜くために培われたものなら、われわれが緑なす牧場に飽きてしまうその理由を、所有がわれわれを疲弊させるその理由を、パスカルが人は快適な寝場所を牢獄と感じると言ったその理由を、容易に理解することができるだろう」(『ソングライン』)"路上の紳士"
ゲバラは若い頃から、自分の血の中に「ノマドの可能性」を見いだしていた。アルゼンチンからキューバ、アルジェリア、コンゴ、チェコ、ボリビアととどまることを知らないかれの人生の旅の秘密は、そんなところにありそうだ。
みずからボーダーレス・ピープルの一員になることを志向したゲバラにとって、おそらくラテンアメリカのジャングルはチャトウィンのいう「砂漠」だった。
しかしながら、ゲバラの放浪癖をロマンティックに美化する人たちが見逃しやすい点がある。確かにゲバラには生来放浪癖があったが、ゲバラがそれを自覚したとき、すでにもっと重要な、別の本能に対する自己認識を深めていた。
ゲバラは自らの血の中に、ほうっておけば立派な独裁者になりかねないカリスマ性と残虐性があることに気づいていた。だからこそ、そうした本能を飼いならすべく、自覚的に、独裁者への道を避けようとしたのだ。ゲバラは、すでに二十代の前半で自己分析によってそのことを熟知していた。
「偉大な主導的精神が、人類全てをただ二つの敵対する勢力に分けてしまうような巨大な切れ目を入れる時がきたなら、僕は民衆の方につくだろう」(『モーターサイクル南米旅行日記』)これは、民衆への思いやりをしめすゲバラの美しい言葉だ。だが、逆にいえば、そのときまでゲバラは自分が民衆の一人であるという自覚はなかったということだ。
それにつづく次の文章に注目してほしい。ゲバラはいう。
「それが分かるのは、ドクトリンの解剖者であり教義の心理学分析者である僕が、悪魔憑きのように唸りながら、バリケードや塹壕に攻撃をかけ、引きを血で染め、怒りに狂って、僕の腕の中に倒れ込む敗者全ての首をはねる様子が、夜の中に刻みつけているのがみえるからだ」独裁者の血を自覚した者の辿るべき道は、ふたつしかない。独裁者の道を突き進むか、その道を閉ざすか、だ。さきほど挙げたチャトウィンによれば、放浪癖と独裁者との関係は、大いにあるらしい。一言でいえば、放浪する者は暴君にならないのだ。一箇所にとどまり営々と財産や地位を築きあげることができる者こそ、独裁者になるためのチケットを得られる。チャトウィンはいう。
「生物学の一般的な規則によれば、移動性の種は定住性の種ほど"攻撃的"ではない。これにはひとつの明白な理由がある。巡礼のように、移動そのものが過酷な旅だからである。"適者"は生き延び、落伍者は路傍に倒れる。旅は地ならしなのだ。旅はこのようにあらかじめヒエラルキーを必要としており、個体間の優位性を明らかにする。動物界の"独裁者"とは豊かな環境のなかで生きるものたちである。アナーキストは"路上の紳士"なのだ」(『ソングライン』)
家族をキューバに残し大臣の職も棄てて、少数の兵士とボリビアへ向かうゲバラには、革命の<大儀>よりも何よりも、ラテンアメリカの「表面」をわたり歩く「路上の紳士」の血が騒いだのだ。かくしてゲバラの放浪は、独裁者の道よりも独裁者を倒す道を必然的に選ばせることになった。
ボーダーと"路上の紳士"
米国とメキシコ国境地帯は、世界に数多くある国境地帯と同じように、単にわれわれに秩序と混沌の桎梏にきしむ現代世界の一面をかいま見させてくれるだけでなく、そうした世界の一員である日本の未来を予見させてくれる場でもある。
たとえば、ティファナやフアレスをはじめ、国境のすぐ南のメキシコの各都市には米国に先導される経済的グローバリズムの一形態としての関税保護工場群(マキラドーラ)が存在する。それは、日本を含む「第一世界」のメーカーが「第三世界」の恐ろしいくらい安い労働力を使って莫大な利益をあげるという意味で、産業資本主義時代の新しい「奴隷制度」だ。
わたしは、ことしの春、ティファナの工場群を外から瞥見した。経営者側の人に会って話を聞くことも考えたが、十九世紀の米国南部のプランテーションに行き、白人の農場主に会って「奴隷制」のメリットの話を聞くみたいだと感じてやめた。一方的な資本の論理を聞かされるのは、わかっていたからだ。その代わりに、大学で教えながら雑誌に論評を寄せている若い詩人(かれ自身も学生時代に工場で働いたことがある)に、二四時間操業の工場のシフトの交代時間が朝六時から七時だと教えてもらい、労働者の話を聞けるとは思わなかったが、ともかく友達のいう「労働者の絶望的な顔」を見るために出かけていった。労働賃金は、いろいろな人の話を聞きたり、「マキラドーラ」に関する本を読んだりすると、だいたい一日八十ペソ(八百円)であるというのがわかる。これはたんなる賃金の問題ではない。劣悪なのは企業の福祉対策で、ある労働者は若い弟が工場で働いていたときに、化学物質にやられて体がただれ、数年後に亡くなったという。もちろん、会社からの保障などはなかった。
これは、少々意地のわるいいい方をすれば、メキシコ政府のお墨付きの「奴隷制度」だ。政府によるお仕着せの「組合」はあるが、労働者が自分たちで組織する組合はなく、また作らせない。国境の「南」には、経済格差を利用した南北問題が、妙な言い方だが、いまなお現実として息づいている。
さきほど挙げたヴィデオとはちがう、もうひとつのドキュメンタリー映画『チェ・ゲバラ 人々のために』(1999年アルゼンチン マルセロ・シャプセス監督)は、そうした南北問題を意識した、ラテンアメリカ側の逆説的な視線が見られてうれしい。
そもそも、この映画はゲバラと共に革命にかかわった人々(老人たちだ)の証言からなるものだ。たとえば、ゲバラは空からの攻撃してきた戦闘機に怯えた一兵士にこうアドバイスしたという。「恐怖をなくす方法は、危険に慣れることだ。毎日危険に遭えば恐怖を感じなくなる」と。戦闘機に向かって下からライフル銃を撃ったゲバラに、あとで一兵士が「怖くないんですか?」と聞くと、さきほどの答えが返ってきたのだ。
そうしたゲバラのパラドックスに満ちた警句を一兵士が覚えているのは、それが単なる机上の知識ではなく、生きるか死ぬかの戦場の知恵、いまわたしたちの国境の「南」のコンテキストに照らしあわせれば、路上の知恵に他ならなかったからだ。
ラテンアメリカでは、そうしたパラドックスが日常に溢れる。独裁者への道をとざして、路上の紳士の道をめざしたゲバラのTシャツがよく映えるのは、こぎれいに脱臭された日本や米国の町(スラム以外の)でなく、生物と動物の匂いがぷんぷん漂う国境地帯の「南」の路地裏のようなところだ。そこでは、路上の紳士は青年とかぎらない。老人あるいは子どもの紳士もいる。
わたしは、最初にゲバラ便乗商法には直感的な違和感を覚えるといった。たぶん、それはもしゲバラが日本にやってきたとして、有名芸能人を歓迎するように黒塗りのリムジンを差し向けるような、そんな無神経さへの嫌悪感からきているのかもしれない。嫌悪感を感じるのは、きっとわたし自身がそんな無神経さを有しているからだ。
太田昌国によれば、ゲバラが来日したとき、日本兵の戦没墓地へと案内しようとするキューバ大使館の意向を無視して、ゲバラは被爆した広島に行ったという。その一説を読んだとき、わたしは"独裁者"への道を捨てて自覚的に"放浪の紳士"を演じきるゲバラの徹底ぶりに、思わず微笑まずにはいられなかった。
出典
<書籍>
太田昌国『ゲバラを脱神話化する』現代企画室、二〇〇〇年。
ゲバラ、エルネスト・チェ(棚橋加奈江訳)『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』現代企画室、一九九七年。改訂版200四年。
コルダ(写真)、ハイメ・サルスキー、太田昌国(文)『コルダ写真集――エルネスト・チェ・ゲバラとその時代』現代企画室、一九九八年。
チャトウィン、ブルース(芹沢真理子訳)『ソングライン』めるくまーる、一九九四年。
ネルーダ、パブロ(本川誠二訳)『ネルーダ回想録――わが生涯の告白』三笠書房、一九七七年。
Castanneda, Jorge G. Companero : The Life and Death of Che Guevara. New York: Vintage Books, 1997.
<映像DVD>
マルセロ・シャプセス『チェ・ゲバラ 人々のために』アルゼンチン、発売アップリンク、一九九九年。
モーリス・デュゴウソン『チェ・ゲバラ 伝説になった英雄』フランス、発売エプコット、一九九七年。